ひとりきりのサクラメント
「——告白します」
幼い声に、私は息を呑んだ。
狭い部屋の中。もっと言うのなら、深夜、無人の教会、祭壇の裏手。咄嗟に隠れた誰もいない狭い部屋の中、ただ懺悔する少女の声が聞こえているだけだった。
「わたしは、少女になってしまいました。……お話し、します。させてください」
許しを請うような甲高い声に、返せる言葉などない。
私は牧師や司祭、ましてや神などでは決してない。ただ興味本位で深夜の教会に足を運んだ旅の放浪者である。知らない国の知らない街に来たら深夜の教会に足を運ぶ私が奇特なのは、私自身が一番よく知っている。
そんな私に、言葉を返す権利などないことは自明。否、それ以前に、そんな意味のわからない告白に対して返せる言葉など思い浮かばない。
そもそも、どうしてこんな深夜に、一人きりで、この教会に来たのか。自分も人のことは言えないが——不審な点はいくらでもあった。
しかし、私は言葉を発した。
「……お話しください」
——発して、しまった。
神にでもなったつもりか。なんて愚かしい。
心の底で自嘲しつつ、しかし興味を止められない辺りが私を私たらしめる所以なのだろう。
……なにより、彼女をこのまま放っておけるほど私も落ちぶれた人間ではない。話を聞く分には、きっとどうにかなるわけではない、はず。
己への言い訳を並べつつ、私は少女の次の言葉を待つ。
少女の吐息は少しずつ強くなって、しかしそれを必死に抑えながら……彼女は、少しずつ話しだした。
*
——わたしは、元は男でございました。
屋敷の下働きでした。もともと貧民のわたしに働き手の選択肢は少なく、この職にありつけたのもなかば奇跡のようなものでありました。
しかし不躾ながら、屋敷の主人はお世辞にも良い人間とは到底思えませんでした。
殴る蹴るは日常茶飯事。よく無茶を仰っては、それをできぬわたしを罵りました。
その環境に、わたしは何処か嫌気が差していたのでしょう。しかし、それを変える手段など思いつきようがなく、日々は過ぎていました。
あの日も、主人の暴力と暴言に怯えながら、掃除小屋で薄いシーツに身を包んで丸まって眠ったはずでした。いつも通りの日でした。
その翌朝でした。わたしが、このような幼い少女の姿になっていたのは。
銀色の長髪に、普段とは似ても似つかぬ小さな掌。異様に低い視点に甲高い声。わたしをわたしだと証明する手段は、もう何処にもありませんでした。
全裸体のわたしを見つけた屋敷の主人と口論になり——その、私は逃亡を余儀なくされました。
屋敷を抜けたわたしには、もはや何処にも行くあてなどありませんでした。
服さえ以前のものは着られず、買う金すら溜まっていなかったので、持ち出したシーツをそれらしく縫って仕立てました。
いまやわたしは、何処の誰でもない浮浪者でしかない。名も持たぬわたしに、誰も手を差し伸べようという気にはならないようでした。
日々、屋敷から盗んだチョコレートを一日に一つずつ舐めては飢えをしのいでいます。あと二つ残っているそれを食べきったら、あとはこの身が朽ち果てるのを待つのみでしょう。
しかし孤独に耐えかねたわたしは……最期に神へ我が身の悲劇を話し、気を紛らわそうとした。そうしてここに来たわけなのです。
*
それを聞いた私は、ただ呆気にとられるだけであった。
彼女、否、彼の悲劇——少女になるまでの境遇は、たぶんこの国ではありふれているものなのだろう。しかし、その姿になったあとの「天涯孤独」という現状は彼に与えられて然るべき結末とは到底思えなかった……思いたくなかったのである。
私はただわずかに深呼吸をし。
「……お話しくださって、ありがとうございます。確かに、聞かせていただきました」
声をかけてしまった。少女の息を呑む声なき声が聞こえた。
……本当に愚かなことをしてしまった。だが、このまま彼を見過ごせるほど私も人の心がないわけではない。
私はなかば出来心で、しかし少女を慰めるように告げた。
「あなたはきっと、生きていたかったのだと思います。……とてもつらく苦しい道のりだったのだろうことは、はっきり理解できました。最期に神の身許に導かれたことは、きっとそれそのものが神の慈しみ故のことで——」
そこで私は違和感を覚えた。
……声が、少しずつ高くなっているような。
「——神があなたを見捨ててはいなかったことの、何よりの証明なのでしょう」
その言葉は、もう自分のものだという実感が持てなかった。
——声が、徐々に少女のそれに近づいているのを感じたからだ。
「神は、乗り越えられぬ試練は与えません。そして、決して見捨てることもありません。……神に許しを請い、助けを乞えば、その罪を赦してくださることでしょう」
もはや自動的に紡がれていくその言葉。言いながら私は己の手を見た。
これまでのゴツゴツした大柄な手ではなかった。小さく、白く、ひ弱そうな手になっていた。
頬を撫でるサラサラとした感覚を手で探ると、そこには白と言うには若干濃い色をした、まさしく銀のような色をした髪。
「私はあなたを赦します。あなたはもう、一人ではありません。ですから——」
そこまでを言ったときだった。
「やはり、神すらわたしを救えないのですね」
件の少女の声が聞こえた。
口をつぐんだ私に、先ほどの幼い声は告げるのだ。
「恐ろしくて言えなかったのですが……隠していたことがありました。
屋敷の主人との顛末です。口論と濁しましたが、詳しくは話していませんでした。
——結論を言うと、わたしと同じく少女になりました。しかも、わたしと同じ姿に……わたしのせいで」
そう告げる少女の声は、ひどく消沈していて。
言い淀む彼を、今度は急かすことはせず——できず。
やがて少女は、低い声でその事実を告げた。
「……呪いです。——この事実……『わたしが男から少女になったという事実』を耳にした者は、同じ姿の少女になってしまうという呪いなのです」
私は息を呑んだ。——先程の彼の言葉を思い出して。
——銀色の長髪に、普段とは似ても似つかぬ小さな掌。
——異様に低い視点に甲高い声。
——私を私だと証明する手段は、もう何処にも——。
その現状が、いま現在の己と重なった。
「主人をわたしと同じ姿にした。だからわたしは屋敷を追われました。そのことで『呪い』を自覚したがゆえに、誰にも己の身元を明かせなかったのです。
そして、神以外の誰にも聞かれぬように、わざわざこの誰もいない深夜の教会で告白したのです。
——神ならば、わたしの孤独を聞いてくださるのだと信じて」
真の告白に、私は己の過ちを悟った。最初から感じていた違和感の正体に、私はただただ戦慄したのである。
——やはり神を騙ることなど、してはならなかったのだ。
「神にさえ、わたしの呪いが効いてしまうとは——残念です」
彼の可憐な声は淡々としていた。淡々とした中に、おそらく失望と呼べるようなものが混じっているように聞こえた。
私は取り返しのつかないことをしてしまったことを悟った。——私に彼をどうにかできる義理など、はじめからあろうはずもなかったのである。
祭壇の裏。膝を抱えて座り直した私に、遠ざかる足音。これからどうしようとか、そういった現実的なことはしばらく考えられそうもなくて。
代わりに、ただ祈ることしかできなかった。
——不幸な彼に、一匙の救いがあらんことを。
——少女の末路に、幸運あれと。
*
後日、身寄りのない子供が度々確認されるようになったらしい。
パスポートを取り直そうにも取れず国を出られなくなりこの街に滞在し続けている放浪者の私も、おそらくその一人に数えられるのだろう。しかし、奇妙なことに同じ姿の子供は何人かいるらしい。
十中八九「彼」か、その影響なのだろう。……道端で死んでたとか、優しい家に保護されたとか、だいぶ扱いに差があるのが気になるが。
私は放浪しながら、彼を探している。
あの時のことを謝って、今度は神じゃなく友達として話を聞きたい。
その理由の八割は個人的興味に尽きるが……あとの二割は違った。
——もっと、彼に寄り添いたかった。彼の苦痛を慰めたかった。——彼の孤独を癒やしたくなった。
それが私にできる、せめてもの贖罪なのだろう。ひとりきりの秘跡の邪魔をした、贖罪なのだ。
だから私は日々、小さな身体で街を彷徨い続ける。
それが、告白を聞いたものの責任なのだ。義務なのだ。そして——これが彼にとっての救いになるのだろう。
ただそう信じて——チョコレートを一つ口に入れ、今日も街を歩きだした。
Fin.
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