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氷の侯爵様は、捨てられ令嬢の淹れるお茶しかお気に召さないようです  作者: 九葉(くずは)


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SS『氷の侯爵様の独占欲は、極上はちみつよりも甘い』

グレイフィールド辺境伯領にも、ようやく本格的な春が訪れた。

長く厳しい冬を乗り越えた大地が、一斉に芽吹き、柔らかな陽光と花の香りで満たされる、一年で最も美しい季節。


「ふふっ……いい香り」


私は、サンルームの窓辺で、ぽかぽかと差し込む光を浴びながら、ポットの中でゆっくりと開く茶葉をうっとりと眺めていた。

今日の茶葉は、春摘みのカモミールに、特別な果実から採れたはちみつをほんの少しだけ加えたオリジナルブレンド。

高ぶった神経を鎮め、安らかな眠りを誘う効果がある、私の秘蔵のお茶だ。


(最近、アシュトン様、少しお疲れ気味だから……)


夫となったアシュトン様は、それはもう絵に描いたような完璧な領主様だ。

冬の間に滞っていた政務を片付けるため、このところ書斎に籠りきりで、夜遅くまで仕事をしている日も少なくない。

彼の眉間に、うっすらと刻まれた疲れの色に気づかない私ではなかった。


「リリアーナ、ここにいたのか」


噂をすれば、その人。

執務を終えたアシュトン様が、少しだけ硬い表情でサンルームに入ってきた。

私の姿を認めると、その表情がふわりと和らぐ。この瞬間が、私はたまらなく好きだった。


「お疲れ様です、アシュトン様。ちょうど、お茶が入りましたわ」


私がカップに黄金色のお茶を注ぐと、彼はごく自然に私の隣に腰を下ろし、その大きな手で私の手をそっと包み込んだ。

すっかり、定位置だ。


「……また、君は私の考えていることが分かるのだな」


一口飲んだ彼が、ほう、と安堵のため息を漏らす。

カモミールの優しい香りと、はちみつの柔らかな甘さが、彼の強張った心と体を、ゆっくりと解きほぐしていくのが伝わってくるようだった。


「いいえ。あなた様のお顔を拝見していれば、どなたにでも分かりますわ」

「そうか? 他の者には『いつも通り、鉄面皮だ』としか言われんが」

「それは、皆さんがアシュトン様のことをよく見ていないだけです」


私が少しむきになって言うと、彼はくつくつと喉の奥で笑った。


「そうだな。……君だけが、私の氷を溶かしてくれる」


そう言って、彼は私の指先に、まるで宝物のように優しく口づけをした。

その何気ない仕草の一つ一つに、深い愛情が込められていることが分かって、私の胸はきゅうんと甘く締め付けられる。


しばらく、二人で穏やかな沈黙を楽しんでいると、アシュトン様がふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、先日、王都の商人から面白い噂を聞いた」

「面白い噂、ですか?」

「ああ。かつての、君の元婚約者の話だ」


アルフレッド様――その懐かしい名前に、私の心はもう、ほんの少しも揺らがなかった。


「なんでも、平民に落ちぶれた後、日雇いの肉体労働でなんとか食いつないでいたらしいが……持ち前のプライドの高さが邪魔をして、どこへ行っても長続きせず、今では酒に溺れ、場末の酒場で昔の自慢話ばかりしているそうだ。『俺はなぁ、あの陽だまりの侯爵夫人を捨てた男なんだぞ!』と」

「……まぁ」


それは、あまりにも惨めで、哀れな末路だった。

自業自得とはいえ、ほんの少しだけ、胸がちくりと痛む。


「同情は不要だ、リリアーナ。奴は、自分の手の中にあった至宝の価値に気づけなかった愚か者だ。その罰を受けているに過ぎん」


アシュトン様の声は、どこまでも冷たい。

けれど、私を包む腕の力は、逆に少しだけ強くなった。まるで、汚らわしいものから私を守るように。


「君が領民たちから『陽だまりの侯爵夫人』と呼ばれ、慕われていると聞くたびに、私は誇らしい気持ちになると同時に……少しだけ、面白くない気持ちにもなる」

「え?」

「君のその力も、笑顔も、本当は誰にも見せず、この腕の中に閉じ込めて、私だけのものにしておきたい、と……そう思う時がある」


アイスブルーの瞳が、熱を帯びて私を見つめる。

それは、私が今まで見たこともない、甘く、そして激しい独占欲の色。


「馬鹿なことを言っていると、自分でも分かっている。君が、この領地とここに住む人々を愛してくれていることも、知っている。だが……」


彼は、私の頬に手を添えると、その親指で優しく唇をなぞった。


「君が私以外の男に微笑みかけ、君が淹れた茶を、私以外の男が口にすることを考えると……どうしようもなく、嫉妬する」


普段は冷静沈着で、感情をほとんど表に出さない彼が、私にだけ見せてくれる、むき出しの独占欲。

それは、私を困らせるどころか、どうしようもないほどの幸福感で満たしてくれた。


(ああ、この人は、こんなにも私を……)


私は、そっと彼の首に腕を回し、少しだけ背伸びをして、彼の唇に自分のそれを重ねた。


「わたくしのこの力も、この笑顔も、淹れるお茶も……その全ては、あなた様と出会えたからこそ、取り戻せたものですわ」


アルフレッド様の隣で、心を殺していた私。

笑うことも、自分の好きなものを選ぶことも忘れてしまっていた、空っぽの人形だった私。

そんな私を見つけ出し、温かい光を与え、「リリアーナ」という一人の人間にしてくれたのは、他の誰でもない、この人なのだから。


「ですから、アシュトン様。わたくしの全ては、とっくの昔に、あなたのものですよ」


私が耳元でそう囁くと、彼の腕の力が、ぎゅっと強くなった。


「……君は、本当に、ずるい女だ」


掠れた声でそう言うと、今度は彼の方から、深く、深く、口づけが降ってくる。

それは、極上のはちみつよりもずっと甘く、私の理性を蕩かす、情熱的なキスだった。


長いキスの後、赤くなった顔で彼の胸に顔をうずめる私に、彼が満足そうに囁く。


「覚えておけ、リリアーナ。このグレイフィールド領で、君を温めることを許されているのは、春の陽だまりと、この私だけだ」


氷の侯爵様の独占欲は、今日も、世界で一番甘くて、温かい。

そして、そんな彼に愛される私は、世界で一番の幸せ者なのだ。

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