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氷の侯爵様は、捨てられ令嬢の淹れるお茶しかお気に召さないようです  作者: 九葉(くずは)


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最終話 その後

あの断罪劇から、数週間。

アルフレッドとクラリッサの末路は、瞬く間に社交界の知るところとなった。


クラリッサは、マートン男爵家から即刻勘当され、家名に泥を塗った罰として、北の最果てにある修道院へと送られたそうだ。

美しく着飾ることも、男性に媚びることも許されない、厳格な戒律に縛られた日々。

彼女が最も嫌うであろうその場所で、己の犯した罪と一生向き合うことになるのだろう。


一方のアルフレッドは、もっと悲惨だった。

激怒したラングローブ公爵は、息子を公の場で勘当。全ての爵位継承権を剥奪し、平民として王都から追放した。

プライドだけは天下一品の彼が、貴族としての特権を全て失い、泥にまみれて生きていく。それは、彼にとって死ぬよりも辛い罰に違いなかった。


二人が蒔いた種は、見事なまでに、彼ら自身の手で刈り取られることになったのだ。

いわゆる「ざまぁ展開」というものを、私は現実で目の当たりにしたのだった。


そして、私、リリアーナ・フォン・ヴェルナーはといえば―――。


「リリアーナ」


低く、心地よい声に名前を呼ばれ、私は読んでいた本から顔を上げた。

目の前には、いつの間に部屋に入ってきていたのか、アシュトン様が柔らかな笑みを浮かべて立っていた。


ここは、グレイフィールド侯爵家の王都屋敷にある、陽当たりの良いサンルーム。

あの日、王宮で改めて正式な求婚を受けた私は、まるで夢でも見ているかのように、ふわふわとした気持ちのまま、それをお受けした。

ヴェルナー伯爵家とグレイフィールド侯爵家の婚約は、国王陛下の勅許も賜り、瞬く間に整えられた。


お父様は感涙にむせび、お母様は手のひらを返したように「あなたを信じておりましたよ!」と私の手を取り、その変わり身の早さには、もはや笑うしかなかった。


「どうした? また難しい顔をして」

「いえ……少し、昔のことを思い出しておりました」


アシュトン様は私の隣に腰を下ろすと、私の手から本を抜き取り、代わりに彼の手をそっと重ねた。


「アルフレッドたちのことか?」

「……はい。あの方々は、どうして、あんなことになってしまったのでしょう、と」


私の言葉に、アシュトン様は少しだけ考えるように窓の外に視線を移した。


「彼らは、見ているものが違ったのだろう。クラリッサは、男の地位や財産。アルフレッドは、自分を飾り立てるだけの都合の良い人形。どちらも、相手の本質を見ようとはしなかった」


そして、彼は再び私に視線を戻すと、そのアイスブルーの瞳に、深い愛情の色をたたえて言った。


「だが、私は違う。私が初めて君に会ったあの日から、ずっと君だけを見ていた」

「初めて……? それは、夜会の夜のことではございませんの?」


私の問いに、彼は悪戯っぽく口の端を上げた。


「もっと前だ。……三年前、東部国境の野戦病院で、君に会っている」

「三年前……東部国境……?」


記憶の糸をたどる。

三年前、私は父の領地に近い東部で起きた紛争の際、ボランティアの慰問団に加わり、負傷した兵士たちのためにお茶を淹れて回っていたことがあった。

戦場の過酷な環境。怪我と疲労で絶望に沈む兵士たち。

まだ十代半ばだった私にできたのは、温かいお茶を淹れることだけだった。


「あの時……いらっしゃったのですか?」

「ああ。私は、敵の奇襲を受けて部隊を半壊させられ、自分も深手を負っていた。心も体も、寒さと絶望で凍りつき、全てを諦めかけていた」


アシュトン様の声が、遠い日を懐かしむように、静かに響く。


「そんな時だ。一人の少女が、私の前に一杯の湯気を立てるカップを差し出した。見すぼらしいテントの中で、ありあわせの茶葉と、決して上等とは言えない水で淹れた、素朴な紅茶だった」


「……」


「だが、その一杯が……不思議なほど、私の体に染み渡った。凍てついた心を、内側からじんわりと溶かしていくような、陽だまりのような温かさだった。私は、あの時、君が淹れてくれたあのお茶に、命を救われたんだ」


まさか、と息をのむ私に、彼は続ける。


「戦いが終わった後、ずっと君を探していた。名も知らぬ、陽だまりの少女を。そして、ようやく見つけ出したのが、あの夜会だった。アルフレッドの隣で、自分を殺したような笑顔でたたずむ君を見た時、すぐに分かった。……そして、同時に、腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えた」


だから、あんな無愛想な態度をとってしまったのだと、彼は少しバツが悪そうに頭を掻いた。


「私の宝物を、あのような男がぞんざいに扱っていることが許せなかった。必ず、私の手で君を救い出すと、あの夜、心に誓ったんだ」


全ての謎が、解けた。

初めて会ったはずの彼が、なぜ私のことを知っていたのか。

なぜ、唐突に「お茶が飲みたい」などと言ったのか。

そして、なぜ、あそこまで私を信じ、守ってくれたのか。


それは、運命の再会だったのだ。


「そんな……わたくし、何も存じ上げず……」

「知らなくていい。ただ、これだけは覚えておいてほしい」


アシュトン様は、私の手を両手で優しく包み込むと、そのアイスブルーの瞳で、まっすぐに私を見つめた。


「君は、地味でもなければ、退屈でもない。君はそのままで、誰よりも美しく、温かい。君の淹れるお茶が、この私を救ってくれたように、君の存在そのものが、多くの人を癒し、幸せにする力を持っている」


そして、彼はそっと私の体を腕の中に引き寄せ、囁いた。


「もう、誰かのために自分を殺す必要はない。これからは、君自身の幸せのためだけに、その笑顔を見せてほしい。……リリアーナ、心から君を愛している」


耳元で囁かれた言葉に、私は喜びと安堵で、涙が溢れて止まらなかった。

でも、それはもう、悔しさや悲しみの涙ではなかった。


数ヶ月後。

私たちは、アシュトン様の領地である北のグレイフィールド辺境伯領で、ささやかな、しかし心温まる結婚式を挙げた。


厳しい冬に閉ざされると聞いていたその土地は、アシュトン様の善政と、そこに住む人々の温かい心根によって、活気に満ち溢れていた。

最初こそ「あの氷の侯爵様がお妃を?」と遠巻きにされていた私も、領地の人々のために心を込めてお茶を淹れ続けるうちに、いつしか皆に受け入れられていった。


私が淹れたお茶を飲んだ農夫は、次の年に驚くほどの豊作をもたらし、病に伏せっていた老婆は、みるみるうちに元気を取り戻した。

私の力は、決して万能薬ではない。

けれど、人々の心に寄り添い、ほんの少しだけ背中を押してあげる、ささやかな「陽だまり」にはなれるのだと知った。


そして、私はいつしか、領民たちからこう呼ばれるようになっていた。

『氷の侯爵領に春を呼んだ、陽だまりの侯爵夫人』と。


「――何をにやにやしている?」


執務室の暖炉の前。

書類の山と格闘しているアシュトン様の膝の上で、私はマグカップを温めながら、くすくすと笑った。


「わたくし、今、とっても幸せだなぁ、と思いまして」

「……そうか」


彼は、ぶっきらぼうにそう言うと、ペンを置いて、私の肩を後ろから抱きしめた。

その腕の力強さと、背中に感じる温かい体温が、私の心を幸福で満たしていく。


「リリアーナ」

「はい、アシュトン様」

「……これからも、毎日君の茶が飲みたい」


それは、あの運命の夜会から始まった、彼のたった一つの、そして最高の願い。


「はい、喜んで。あなた様のためならば、生涯、心を込めて」


私は振り返り、愛する人の唇に、そっとキスを返した。


捨てられ令嬢が見つけたのは、真実の愛と、本当の自分。

氷の侯爵様は、今日も、私が淹れたお茶しかお気に召さないようです。

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