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第八章 精算とこれから




 1




 顔色を窺うような風が吹き抜けた。

 どこか火照りのある頬から熱を拭い去るような、爽やかな風。


 随分と長く眠っていた気がして、それでいて重要なことを置き去りにしている気がして、

アレックスが閉じた瞼を持ち上げる契機となった。

 視界に飛び込んだのは見知らぬ、ではなく、どこかで見覚えのある天井であった。それ

も、遠い過去の物事ではなく、ここ数日中に目にしたかといった近い記憶。

 眩い陽の光が射し込む方へ僅か視線を向けると、開かれた窓が視界に映る。窓がくり抜

かれた壁には天井のそれと同じ意匠が施されていて、つまるところ、アレックスはこの部

屋につい最近、用があったはずなのだ。


「おっ、お目覚めかい? 結構けっこう……ということは全荷物の運搬、損傷無しでこれ

にて無事完遂ということで〜」


 聞き覚えのある声が耳元で話しかけている。


 アレックスが目で追う先にはナルが羽ばたいていた。宙でころころと上下左右を変えつ

つ、一番すわりの良い姿勢を探している。

 やがて、ナルは組んだ腕に頭を乗せた仰向けの格好を良しとして、風にたゆたいながら

状況を話し始めた。

「一応、確認しておこうか。自分の名前はわかる? 私の指は何本立ってる? 最後に覚

えているのはどんな光景?」

「名前は……アレックス。立っているのは右手の指が三本で……最後に見た、のは……」


 記憶については漠然としていた。

 しかしながら、経験した酷い痛みを身体が覚えている。

 それははたして、どこで負った怪我なのか。

 大雨で氾濫した濁流から探るように、曖昧な記憶を追い求める。

 断片が徐々に蓄積し、やがて、貫流点を過ぎた途端、一気に全てを思い出した。


「巨塊は?! どうなった……ッっ……」

「あ〜、あんまり急に動かない方がイイんじゃないの。瀕死だったんだからサ」

「瀕死……そうだ、俺は……」

「ナイスファイトだったと思うよ。これはお世辞も誇張も抜きでさ。あの岩の巨塊はキミ

の後を引き継いで、私がやっつけたから心配ご無用」

「そう頼んだような気はするが、だが、どうやって……」


 わざわざ聞く必要あります?、と言わんばかりに、ナルが大袈裟に腹太鼓を鳴らした。


「それはそれとしてキミの身体、今だから言うけどひっどいモンだったよ〜。骨という骨

がほとんど潰れてたっていうかさ。それでも急所だけはかろうじて無事だったのはホント

に幸運。そうじゃあなきゃ、完全保管庫から出した瞬間に昇天待ったなしだっただろうね」

 そんな有様から復活できたのは彼女のおかげね、と、ナルが顎で隣を指した。


 促され、アレックスはようやく己の周りに意識を向けた。

 感覚が麻痺しているのか、それともずっとその状態だったので逆に判断つかずだったの

か、シーツから外へと投げ出された左腕を抱えるようにして、ベッドサイドに座り込む者

が居た。つむじをアレックスへと向けて俯いている。肩が薄く上下しており、座ったまま

眠っているようだ。

 はじめ、アレックスはそれが誰なのか分からなかった。

 見知らぬ者が一人、寄り添っているのだと考えた。

 その認識を改めることになったのは、

「魔力を使い過ぎると()()()()んだね。話には聞いていて、知識では知っていたけど、目

の前でそうなる様子を見たのは初めてだよ」

「……ぁ……」

「キミたち三人をこの宿に連れて帰って早五日。その内、到着後五分から、キミが今し方

覚醒するほんの五分前まで、寝ずの番」

「……ッシュ……」

「死にかけのキミと竜人クンの二人を蘇生するため、回復魔法(ゲイン)を四六時中かけ続けると、

そうなるみたい」

「……チェリッシュ……っ……!」


 傍で伏せるチェリッシュの頭髪は完全に脱色していた。

 今やそこに金の地はない。束となって何本と流れていた白髪と全てが一体化している。

 魔間欠泉(ゲイズ)には抗い難い眠気を誘う反動がある。他ならぬ自身が回復魔法を行使せねばな

らぬ以上、消費以上の魔力を外部から集める魔間欠泉の恩威に頼ることはできない。

 チェリッシュは文字通り、絶えず、内包する力を放出し続けたのであろう。

 魔力の連続使用は身体に強い悪影響を与える……歳若い時分であれば、特に。


 アレックスにはいつの日かの考えが再び過った。

 この歳で既に脱色が始まっているなら、いずれは全て色褪せるだろう……

 今の自分と同じように……

 まるで、悪い手本を示しているみたいだ……

 あの時の悲観的意見が、時を経た今、現実のものとなっている。

 彼女をそうさせた大元が己の行動にあると再認識し、アレックスもまた、目を伏せる他

になかった。


「……んぐっ……はッ! ナっちゃん、私、寝てた……?!」

「ん? うん。十分か、十五分くらい」

「落ちかけたら、引っ叩いてでも起こしてって言ったのに……!」

「回復魔法が途切れた瞬間にオダブツみたいな状況ならそうしたけど。とりあえず、今は

ほら、もう手放しでもどうにかなる段階だし」

「万が一ってのがあるから、万が一っていうのが……」


 ずり落ちかけていた手のひらを添え直し、チェリッシュが回復魔法の詠唱を試みる。

 その動きを止めさせるために、アレックスは上半身を起こした。

 寝不足と疲労で回りきっていないであろう頭と眼がぼんやりと見つめていたが、やがて

状況を把握したか、チェリッシュが大きな喝采をあげた。


「ししょぉ!! 良かった!! 生きてたんですね!!」

「声を下げてくれ……耳鳴りでまた倒れそうだ……」

「タシュはすぐ治ったけど、ししょぉは全然起きないから不安で……あっ、そうだタシュ!

タシュ〜〜〜ッ!! ししょぉがっ! 目を覚ましたよ〜〜〜っ!!」


 それだけの余力がどこに詰められているのか知りようもないが、朝一の雄鶏よりもなお

うるさく声を張り上げたチェリッシュがこの一室には居ないもう一人を呼ぼうとしている。

どうやら、タシュイィンはアレックスよりも早く回復し、外で何かしらの役を努めている

らしい。

 煩さでまた気絶しては堪らないと、アレックスは左腕を掲げて制止した。その運びであ

る程度は興奮を抑えたか、チェリッシュの声量も少し絞られた。


「ナっちゃんがここに運んでくれてから、まずタシュを治したんです。重症だったから」

「完全保管庫から出した直後に死んだっておかしくはない……魔力が十分にある内に、よ

り深手を負ったタシュイィンを治したのは、正解だ」

「生命維持ができる部位を一瞬で治すためにありったけを注いだから、思ってたよりも随

分早く持ち直したんです。それで、その足でずっと外の様子を伺ってます。巨塊はししょ

ぉとナっちゃんが倒してくれたのに、何を警戒してるんだろう……?」


 タシュイィンも同じ疑念を有していたらしい。

 スペル・ダウンから一行を庇ったが故、その場での判断材料は限定的だったはずだが、

それでもアレックスやナルが抱いたものと同様の結論を導き出していたようだ。


「それで、タシュが動けるようになったから次はししょぉの番だったんですけど、かなり

魔力を使ってたから、回復魔法の効き目が落ちてきて……思ったように、治せなくて……

全然、目を開いてくれないし……」

 途切れ途切れの声に向くと、チェリッシュの目の端には涙が溜まっていた。

「本当に、良かった……ホントに……」


 どたどたと足音が聞こえた。

 木製の階段を駆け上がり、寄り道せずにこの部屋へと向かう。

 扉が勢いよく開かれると、奥からタシュイィンと、いつの間にか彼を呼びに行ったであ

ろうナルが顔を覗かせた。

 起き上がったアレックスの顔を確認して安堵したのか……タシュイィンがその場で腰を

落とし、大きく長い溜息をついた。


「ねぇ、勇者サマさぁ」

 暫し静寂が続く一室にて、ナルが口を開いた。

「こんなに心配してくれる仲間たちよりも大事なもの、この世にあるのかな。あるんだと

したら結構な贅沢者だね」

「……俺は、俺だけが……釣り合ってないんだ」

「何と、何が?」

「誰かを想うことができる二人と……その二人が想ってくれる俺自身を救ってやろうと思

えない俺が、釣り合ってないんだ……危険を強いてしまったあの日から、ずっと」

「だから、死地での贖罪でバランスをとろうとしてるワケ?」

「贖罪……か、そうだな……それだ。それが一番ピンとくる。罪滅ぼしなんだ、この生が、

二人への」


 しかし、今、その二人によってアレックスはまたも生き延びた。

 それは、いつ終わるとも知れない、拝借の延長。

 永遠に返済しきれない、清算の堆積。


「俺は、目を背けていただけか」

「仲間への貸しから?」

「あぁ。もう二度と目の前の不条理から逃げ出さないと誓っておいて、違う形で結局は逃

げている。いつまで……同じことを繰り返しているんだろうな」

「う~ん……そんなに難しく考えることかねぇ。だってさぁ、」


 二人はそうとは思ってなさそうだけど、と、ナルが続けた。

 促された気がして、アレックスは面を上げた。


「ししょぉは、私とタシュから借りることがイヤなんです?」

「そうじゃあない。借りっぱなしが嫌なんだ。二人と横並びに歩けずにいる、自分が」

「んん、やっぱり何か、ししょぉは違うことを考えてます」

「違う……こと?」

「貸し借りで物事を考えるなら、借りているのはむしろ私のほうです。三年前、役割に従

って死ぬハズだったあの日に、意味をくれたのは、ししょぉでしょ」

「だが、俺の、想定が至らなかったせいで……お前も、タシュイィンも……」

「でも、生きてる。先のない道から助けてもらって、今ここにいる。それだけの恩に報え

ていないのは、やっぱりどう考えても、私のほうです。だから、」

 白い髪に手櫛を入れながら、「この一件のアレコレ全部足し引きして、家族間の貸し借

りなしにしませんか?」と、チェリッシュが笑った。

「いいのか……? タシュイィンは、それで……」

 腰をあげたタシュイィンは小さく唸ると、今まで見せずにいた彼の後ろ姿をアレックス

へと向けた。

 スペル・ダウンで吹き飛ばされた背中には回復魔法の作用により、旅の始まりの頃より

も薄くこそあれど、再び筋肉が満ちている。急速に修復したばかりだからか、まるで生ま

れたての赤ん坊のように瑞々しく、そして、未だ色素が定着していないが故に、白く輝い

ていた。

 チェリッシュが三か所の白を交互に指して、「お揃い!です!」と喜んだ。

 その反応があまりに眩しく、アレックスはどれだけかぶりに、本心から微笑んだ。


「――……ひとまずは一件落着ってことでよさそ?」

 パーティの存続そのものについては首肯できたが、新たな問題が残されている。

 必然、アレックスはこの後について考えざるを得なかった。

「一応、な。だが……これから先、だよな」

「私からはご愁傷様としか言えないなぁ。依頼主に裏切られるなんてサ」

「あぁ。食銅龍討伐を押し付けられたときは気付かないフリをしてやったが、今回ばかり

は露骨すぎる。軍としても、これを無視できるほど俺たちがお人好しだとは思っていない

だろう。もっとも、死人に口なしとの認識だろうがな」

「えっ、なんの話……です?」


 反応から見るに、チェリッシュはこの一件の裏に気付いていなかったようである。

 もっとも、巨塊との遭遇からここまで波乱の渦中であったことを思えば無理もない。


「魔法使いちゃんの邪魔をしたくなかったから治療中は言わずにいたけど、例の巨塊は人

工物だね。私の見立てでは、だけど。で、生成するためにお誂え向きの場所への派遣も、

超危険な起爆剤を運ばせたことも、それが偶然にも早く爆発したことも、どれをとっても

明らかに、キミたち勇者サマ御一行を吹っ飛ばすためだとしか思えないかな」

「そんな……それじゃあ、ルナキアには……」

 当然戻れない、と、アレックスが続けた。

「ただ、まぁ、二人とも、これ以上死人でいるつもりはないよな」

 パーティリーダーの問いかけに、チェリッシュとタシュイィンが頷いた。

 まるで、赤熱龍を屠ると決めた、あのときのようだ。

 そして、あのときとは違う道を歩む刻がきた。


「イイね、その一体感。私もアイツと二人きりの旅じゃあなかったら、今日のキミたちみ

たいな日がどこかであったのかもしれないなぁ。……ところでさ、」


 あまり水を差したくなかったけど本題がまだなんだよね、と、ナルが割り込んだ。


「この度は我がモスボール・エクスプレスをご愛好いただき誠にありがとうございます。

つきましては、ご請求額の変更に関して、今一度清算のほうをよろしくお願いしたく存じ

ます」

「そうだ、たしか……まだ元々の運賃しか払っていなかったよな」


 アレックスはここにきて支払代金について考えが至った。

 そして、窮地とはいえ丼勘定でナルへ追加の依頼を要求していたことを思い出した。


「出立前に支払ったヘリオンコアの運賃が28ルークと50サンズ。生物の運賃は五百パ

ーセントだったよな。だから、その五倍の金額が、三人分だから三倍。およそ……428

ルークってところか」


 相当ではあるが支払い不可能な額ではない。

 アレックス一行はこれまでの旅路で第二大陸を東西に何度も行き来したことがある。そ

の各地で通りがかった信頼のおける機関に、現地での報酬や物資を適宜預けていた。赤熱

龍討伐の功績が名高く知れ渡ったからこそ成せる、謂わば分散蓄財であった。

 ルナキアには戻れず、併せて当然ながら報酬金の五百ルークを受け取れずとも、これま

での財を統合すれば請求額には辛うじて足りるであろう。


「ん~、ちょいと違うかな」

 そのようなアレックスの勘定に、ナルが指摘した。

「あのとき、意識も朦朧としてただろうし、なんとなくそんな気がしてたけど、やっぱり

うろ覚えだったかぁ」

「と、言うと……どのあたりが」

「『生物の運賃は無生物の五百パーセント増』……ってとこ」


 ナルが完全保管庫に手を突っ込み、一枚の紙を引っ張り出した。

 ヘリオンコアの運搬を依頼する際に判断材料として提示された運賃表だ。


「もう一度よぉく読んで。『生物を運搬する際はひとつにつき、無生物の運賃の五百パー

セントの代金』じゃあなくて、『生物を運搬する際はひとつにつき、元来の運賃に五百パ

ーセントを乗ずる』んだよ。元々無生物の運搬依頼だったから、関係なさそうな部分につ

いては具体的な数値くらいしか印象に残ってなかった故の勘違いってヤツかな」


 ナルが改めて、正しい計算式を示す。


「この宿からキンガノ山脈への往路も復路も距離は同じで、これが三人分だから元来の運

賃は85ルークと50サンズ。その三つともが生物なんだから、これに五百パーセントの

五百パーセントの五百パーセントが掛かった値が正解。つまり合計金額は、」


 10687ルークと50サンズ。


「あっ、あと岩の巨塊との戦闘代行料金が10ルークね」

 どう?払えそ? と、ナルが尋ねた。


 無論、払えるわけがない。

 それだけの貯蓄があればチェリッシュとタシュイィンの食費に頭を抱える日々はおろか、

宿舎の狭い一室に三人詰める生活などとうに引き払って数倍以上も余裕のある家を買って

そこで暮らしていただろう。

 現実離れした請求を前にアレックスは自前で検算を働かせたが、運賃表に従えばどう捉

えても合計金額が変わることはなかった。

「タシュイィン、何かアテみたいなものは......」

 竜人はそっと首を横に振り、

「チェリッシュ......妙案はないか......?」

 魔法使いはうんうんと唸っていたが、やがてパンクしたかお手上げの様子を見せた。


「と、まぁ、一応聞いてはみたけどさ。とてもじゃあないけど今の勇者サマ御一行には

都合できそうにないね。本丸にも帰れないってんだからなおさら。だからさ、」

 出世払いってことにしていいよ、と、ナルが似合わないことを提案した。


「どういうつもりだ」

「心配しなくても利子を取るつもりはないよ。私の仕事は運搬業であって金貸じゃあない

からね」

「なら、なおのこと妙だ。利点もないのに、どうしてそう便宜を図る」

「う〜ん、何て言えばいいのか。まぁ、端的に言えばさ。上客だと思ってね」

「この素寒貧の寄せ集まりをか」

「キミたちは自分たち自身を過小評価しがちなフシがあるけど、龍殺しのパーティっての

は単純に尊敬されるべき存在だよ。ルナキアでなくたって、どこでも通用する。これまで

各地を転々とする中でそんな風当たりを感じたりはしなかった?」

「全くなかった、とは言わないが」

「でしょ。ルナキアで飼い殺しにされていた頃よりも、経緯はどうあれ解放された今後の

方がずっとずっと大成できるような気がするんだよね。だから、謂わばこれは先行投資っ

て捉えてもらって結構」


 利子は取らないって言ったけどそのときはお気持ち程度のイロを添えてもらえるとなお

嬉しいという旨を、冗談交えてナルが付け加えた。


「それにさ、現実問題として払えないでしょ。少なくともこの場では」

「そう、だな。それは確かに、そうだ」

「私はさっき伝えた通りの見込みがあるからいいけどさ。最低でも......」


 そのとき、入口の扉が数度叩かれた。

 誰かの返事を待つよりも早く開かれて、この宿の主であるロッドが顔を覗かせた。

 彼は客人全員の無事を認めると、やや大袈裟な身振りとともにアレックス一行を労った。


「やぁやぁ、勇者サマ。ご無事でなにより。いや、驚いたよ。いつぞや泊まったあのとき、

隠し事なく教えてくれたっていいじゃあないか、えぇ。まさかあの赤熱龍狩りの御一行が

この寂れた宿に足を運ぶとは夢にも思うめぇ」

「ファーストネームだけでさっさと案内してくれたから伝えなかっただけさ、悪かったよ」

「水臭いじゃあねぇか、俺とアンタらの仲だ。固いこと言いっこ無しだろう、えぇ?」

 ロッドはベッド傍まで歩を進めると、チェリッシュとタシュイィンの間へずいと割り込

むように身を寄せた。相変わらず酒臭さをまとっているが、出立の朝と比べれば幾らかま

しではあった。

「ちと考えたんだがよ。こういうのはどうだ。ウチの屋根をよ、『あの赤熱龍討伐の勇者

サマ御用達! 長期滞在の実績有り〼』って看板でドドンっと飾るってのは。なにせ今日

で五連泊ときたもんだ。こりゃあもうただの客って間柄じゃああるめぇよ。おっと、もっ

と居たいってのなら喜んで。箔ってのは付いてりゃ付いてるだけイイってもんだからよ」

「なぁ、その大層な宣伝については好きにしてもらって構わないが、先に話しておきたい

ことがある」

「おぉ、なんだい。これ以上の秘密は無しだぜ。遠慮なく全部明かしてくれよ」


 アレックスの説明に合わせて、意気揚々としたロッドの肩が縮んだことは語るに及ばず。

 それも当然のこと。勇者御一行宿泊済みという経歴がただの客どころか、彼等を始末し

ようとした国防軍すら誘い得ると知り、どうして浮き足だって居られるだろうか。

 アレックス一行を泊めたという事実は今や、彼等の抹殺が確実に成されたか裏付けを取

りたがる危険な連中を呼び寄せる、凶星の種と同義であった。


「......これが俺たちの現状だが、どうだ、まだここで優雅に寝泊まりする上客でいてほし

いか」

「いや、いや。まさかそんなことは。いや違う。アンタらが悪いだとか嫌になったとかそ

ういうワケじゃあないんだが、なんというか」

「言葉を濁さなくていい。俺とアンタの仲だろ。ここを出るさ、今すぐに。俺たちもそう

しなければならない」


 おぉそうか、と、ロッドが上ずった返事をした。

 それじゃあチェックアウトの手続きだな今すぐに、とも彼は続けて、台帳なりなんなり

を求めていそいそと部屋を後にした。

 そこでアレックスは、ナルが先の会話で言いかけていた内容の続きに思い至った。


「そうだ、そうだったな。ここの宿代も払わないと」

「でしょ? まぁ私のとこの貸しと比べたらお小遣いみたいな額だろうけど。なんにせよ

出費がかさむねぇ」

 それも私が払っておいてあげる、と、ナルがまた柄にもないことを提案した。

「これから逃避行なんだから、手元に現金握って出立したほうがいいでしょ。それに、山

ほど借りてるんだから今更小銭を積んでも大して変わりないし」

「それはそう、だが」

「返せないかもだって? さっきも言ったけどさ、キミ達には期待しているワケ。ずっと

ずっと大きな形で返ってくるものだという打算と一緒にネ」


 投資を成立させるための必要経費だと、ナルが笑った。




 2




 それから以降はつつがなく事が進んだ。


 嵐の前の静寂とでも呼べようか。そう捉えるには過敏であるとも言えて、それでいて無

関心を決め込めるほど穏健ではない事態が迫っている。

 故に、アレックスは体温で長く蒸されたベッドシーツから起き上がり、身支度を急ぎ整

えた。回復魔法によって治りたての身体は平時よりも動かし難いが、荒手のリハビリとし

てこれを甘受し、ここを訪れた日と見比べて随分と傷の増えた服飾を着込んだ。

 常日頃、どこか悠長なところがあるチェリッシュとタシュイィンもこの時ばかりは迅速

で、アレックスが急かさずとも各々の荷造りに着手している。というよりも、既にある程

度の荷を固めていたと言った方がよいだろう。アレックスの昏睡中、タシュイィンが表を

見張っていたのは追手への警戒であり、いつでもここを離れられるよう、そのときから念

頭に置いていたに違いない。


 やがて、普段では考えられないほどの速さで準備を整えた一行は、宿酒場のメインホー

ルまで降り立った。

 陽は高いところにある。数日前の出立時と同様の快晴だ。


 状況は悪化した。

 経緯はどうあれ龍殺しの誉を与えられていた当初から、今やこの世からの退場を明瞭に

望まれる立場となっている。

 軍上層部はアレックス一行の重要な任務が不幸にも失敗し、非業の死を遂げたという、

一般大衆受けするエピソードを求めているだろう。故に、死についての裏付けを求めて

足跡を辿るに違いない。

 窮状を極めている。


 しかしながら、心境は空模様同様に晴れ晴れとしていた。

 曇り続けていた眼前が澄み渡り、これまで見えずにいた遠く先が近くにある気がする。

 否、元々見えてはいたのだ。ただ、見ようとしていなかっただけだ。

 俯き、足先僅かだけがこれからの全てなのだと、思い込んでいただけだ。

 今より踏み出す一歩は、これまでの一歩よりも遥かに大きく、先を征く。


「――……これを渡す」

 アレックスがナルへと差し出したのは触媒剣だ。

 開け広げられた玄関から差し込む陽を浴びて白金色の刀身が輝く。アレックスが覚醒す

るまで誰も手を加えていないが、これまでの入念な手入れが功を奏したか、岩の巨塊との

激戦を経たとは思えぬほど損耗は少なく、状態は良い。

「今、手元で渡せそうなものはこれくらいしかない。受け取ってくれ」

「運賃とここの宿賃、全部ひっくるめて貸しにしたつもりなんだけどなぁ」

「それは理解している。その上で渡したいんだ。俺の、俺達の、目を開かせてくれたこと

に対して」

「そんなに大層なことをしたつもりはないんだけどね」

「それならそれで構わない」


 ヘンなの、と呟きながら、ナルが完全保管庫を開く。

 アレックスが触媒剣を差し込むように納めた。


「コレがなくて平気なの?」

「磨きなおすつもりだ、魔法の技術を。次は胸を張って二人を守れるように」

「道具に頼るのは悪い事じゃあないと思うケド」

「そういう意味じゃあない。なんて表現すればいいのか……まぁ、有体に言えば、」


 再出発さ、と、アレックスは向き直った。

 視線を配る扉の外にはタシュイィンとチェリッシュが待っている。

 アレックスは今しがた荷物を手放した手を軽く上げ、背中越しに別れを告げた。


 二人と合流し、先を望む。

 往来の人々越しに吹き抜ける風が頬を撫でる。

 もう、定められた道はない。行かなければならない道もない。

 新たに掲げられた旅が、今まさに、ここから始まる。


「――……これからどうします? ししょぉ?」

「――……まずは、あまり事が大きくなる前に、各地へ預けたままの物々の回収だ」

「――……それじゃあ、西へ?」

「――……あぁ、ある程度拾ったら、主要都市以外へ足を伸ばそう」

「――…… …………、…………」

「――……そうだな、以前立ち寄った村を襲っていた魔物の件、深刻になっていないか様

子を見てくるか」

「――……あの村の傍にはたしか、枯れそうな人面樹林がありましたよね」

「――……そこに暫く居を借りて、土壌整備に手を貸すのも悪くないかもな。香水の売れ

筋が良いかまでは分からないが」

「――…… …………、…………、……」

「――……分かってるよ。俺も樹液採取の練習、しなきゃな」

「――……ししょお、魔法はししょぉなのに、なんやかんやでぶきっちょですからね!」

「――……言ってろ。よし、まずは西へ、長い旅の第一歩だ……――」

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