エピローグ2
薄暗い部屋に廊下の灯りが差す。
開かれた扉から外気が吹き込み、研究室内が換気された。
真新しい紙のにおい。仰々しい古書のにおい。そして、魔力をたたえた呪符のにおい。
新鮮な空気に撹拌されて広がる独特の臭気に来訪者が瞬間、顔をすくめる。
ややあって、この研究室に先住する者が振り返った。
「おや。制服がこんなところに出向くとは」
白衣の男がそう述べると、軍服姿の来訪者は再び表情を濁らせた。
「あぁ、失礼。作戦参謀に対する口調には不適当でしたか。しかしながらここからの要請
を受けた際……」
「立場や階級を不問とする、だろう。理解している。だから博士も席を立たなくてよい。
私も脱帽しない」
「どうも。そういう儀礼的なモノは性に合わなくて。ところで、」
どの作戦の参謀でしたかな、と、博士が尋ねた。
「ヘリオンコアの件だ」
「あぁ、アレですか」
「先日、定点観測所のひとつがスペル・ダウンによる魔力波を検出した。ヘリオンコア特
有の波長が含まれていたことから処理は計画通り進行したと言える」
「それは私の期待するところではなくて」
「併せて、核の生成反応も確認された」
「よろしい。期待通りです」
そこまで報告を受けた博士は椅子に座り直した。
もはや知りたいところはないとばかりに参謀に背を向け、中断していた別件に着手する。
「ただ、二十四時間が経過したが、核の消失反応が未だ観測されていない」
「ん……それは、期待とは違いますね」
「無論、観測所の不手際という可能性もある」
「その線が濃厚でしょう。あの規模の巨塊が消失反応無しに霧散することは有り得ない。
それに私の作品です」
「現地の確認を含めて、残すは事後処理班に引き継ぎ本作戦は閉じる。連絡ついでに、博
士の耳には入れておくべき情報だとの判断だ」
伝えるべきことはこれで全てだと、参謀が視線を外した。
ぐるりと、研究室を一瞥する。
四方には所狭しと書類が留められている。計算式や物質性状などが記録された用紙に覆
われ、壁面が直接窺える部分は殆どない。
粗雑に留められた壁の書類とは別に、割合丁寧に扱われる紙類もあった。それらは大小
の差こそあれど例外なく魔力を帯びている。呪符と呼ばれる魔力の外部記録媒体が机や作
業場に並べられ、よって室内は上下前後左右、四方八方が紙という紙で埋め尽くされてい
る。
魔力の活用そのものは現代社会は勿論、軍部においても不可分の領域だ。しかし、ここ
まで科学と魔術が渾然一体とした状況は、国防軍が認知するどの管轄よりも異質と呼べた。
「興味深いですか。この部屋が」
相変わらず背を向けたまま、博士が問う。
「うむ。軍としても初の試みということもある。物珍しさは否定できない。何せ……」
巨塊を遠隔で生成するとは、と、参謀は改めて感心を示した。
「小規模の巨塊を人為的に生み出す術は知られている。ならず者共が巨塊をけしかけるテ
ロ行為が近年増加傾向にある件については我が軍も頭を悩ませているからな。だが、作り
出せる性能には限りがある。望むような動きをさせるとあればなおさら」
「理論はとうにできていましたよ。誰も取り合わなかっただけです」
「今なお信じ難いな。魔力により核を人為的に生成する、その過程で密度差を与えること
で、意図した回路状へと物質が引き合うようにするなどとは」
「確かに、凡庸な者では不可能でしょう。理論があっても実現できる技量がなくては」
にもかかわらず何故今頃お声がけを、と、博士が疑問を向けた。
「今回の処理は誰の目に映っても自然であるように、というのが依頼主からの要望だ」
「フォールンゲート家次期当主から、でしたか」
「あぁ。長い間燻り続けている没落貴族だ。龍殺しの称号を得たとあらば呼び戻してでも
実績にしたがることもおかしな話ではない。そうなれば当主の座には、元・島流しにされ
た次男坊が座ることになるかもしれん」
「私は政治の話に期待してませんのでなんとも。ですが、まぁ、兄に粛清を望まれるとは」
「我々としても、あの一行が今以上に英雄に成られると、此方の貴族方のご機嫌取りが面
倒だ。利害は一致している」
「遠くの貴族より、近くの貴族ですか」
「だからこそ自然の成り行きで事を済ませねばならなかった。あからさまな暗殺では予後
が悪い。その点、巨塊はおあつらえ向きだろう。いつ何処で生まれてもおかしくはない。
制御できるのであれば尚更」
参謀は、ヘリオンコアの早発で十分致命的なはずだが、と念押しした上で、「巨塊の遠
隔運用の実地試験としてはこれ以上ない機会だと捉えた次第だ」とまとめた。
「まぁ、そのあたりの事情はさておき、巨塊の遠隔生成については十分に認められたと期
待してヨロシイですかな」
「あぁ、制御できる巨塊の積極活用は大きな利便をもたらす。現在進行中の別件も含めて
今後も重用するだろう」
「良い判断かと。少し遅すぎる気もしますが、なに、これからですよ」
「今だからこそ打ち明けるが、私を含めて軍部は錬金術師を信用していなくてね。本件に
よりその見方は一転するだろう。かつて所属していた稀代の錬金術師、アトミアに次ぐ技
量の者が……」
「その名を呼ぶなッ!!! 穢らわしいッ!!!」
激しい音と共に椅子が蹴倒された。
机に広がる書類、書籍、呪符、諸々を薙ぐように払い、博士が立ち上がる。
鼻息荒く、肩が震えている。
「稀代の錬金術師? 誰が? ヤツがか? ヤツに次ぐ技量? 誰が? 私がか?」
憤りのまま振り抜かれた掌が参謀の胸倉を掴み上げる。
正面から相対した博士は、180cm近くある参謀よりもなお上背高く聳え立つ。
「この私がッ!!! あのクソカスに劣るとッ!!! そう言いたいのかッ!!!」
室外で待機していた数名の護衛が何事かと駆け出し、踏み入る。
絞められた窮屈な体勢のまま参謀が彼等に手で制止を伝えて暫し、長身瘦躯の博士はよ
うやく憤りの矛先を収めて手を離した。
足元おぼつかぬまま傍の机に寄りかかり、激しく咳込む参謀に、博士が語る。
「あぁ、あぁ、失礼……つい、冷静を欠いてしまいました。ヤツの名は私の繊細なところ
をどうにもくすぐるものでして」
「いや……此方こそ無神経なことを、すまない。これについても、たしか……」
「そうです。要請を受ける際に申したはずです。ヤツの名は、少なくとも私の目と耳が届
く内では口にしないこと。そして頭に叩き込んで、二度と忘れないことを、期待していま
すよ」
「大陸最大の錬金術師の名は、このグリフォリノであるということを……――」




