キルエス・ガーレムその4
朝になり、早速僕は宿を出た。
目的は当然、彼女に会うことだ。
なんだかそう考えると逢引きのようである。
やっぱり、目的は彼女を捜すこととしておこう。
と言っても、昨日と同じ場所に行けば、見つけるのは容易だろう。
そう思ったのだけど、よく考えたら、昨日は迷ってしまったのだった。
僕が困っていると、また後ろから肩を叩かれたのだ。
「よう、兄さん。ちょっといいかい?」
昨日と同じだ。
そう、この声だ。
僕は期待に胸を膨らませて振り向くと、彼女はいた。
昨日見た彼女と同じだ。
表情以外は。
彼女は、しまったという表情をしている。
その理由は、相手が僕だと気付いたからだろう。
昨日一瞬しか会っていないのに、断られた客を覚えているのは"頭が良くて助かる"。
これは嬉しい誤算だ。
僕がにこにことしていると、彼女も笑顔になった。
と言っても、彼女はにこにこという感じの笑い顔ではないが。
にやにやと言う感じだろうか。
「なんだあんた。気が変わったのかい?」
僕がにこにことしている理由を、そう言う風に捉えらのだろう。
せっかくなので、それに乗っかるとしよう。
「そうだね。"よろしく頼むよ"」
この言葉は、彼女と僕では、言葉の意味合いが全く違うのだろう。
「そうかい。それじゃあよ」
そう言って、彼女は手を出してくる。
前払いと言うことだろう。
お金は念のためたくさん持ってきているから問題はない。
僕が軍に入ってから、もらえきれない程もらってきたけど、使う機会もなかった。
「毎度あり」
僕がお金を渡すと、彼女は僕の腕を引いてきた。
それは困るのだ。
「すまないけど。僕の泊っている宿でいいかな?」
ここでごねられると困るのだけど、
「ああ、いいぜ」
彼女はあっさりと承諾した。
よくあることなのだろう。
先ほどとは逆に、僕が案内する形になる。
連れていく間、話しかけられるのはともかく、ずっと体を腕に押し付けられてしまって困ってしまった。
♦
「へぇ、上等な宿取ってるじゃん」
部屋に入ると彼女はそう言った。
確かに一番高い部屋ではあるが、宿が上等かは知らない。偶然見つけた宿に入っただけだ。
「って!何してるんだい!」
僕がそう叫んだのは、彼女が服を脱ぎだしたからだ。
いや、それはあってるのかもしれないけれど、それは困るのだ。
彼女は脱ぎかけで動きを止めて、こちらを見る。
「何って服を脱がねえと始められないだろ……ああ、そっちの方がいいのか。それなら先に言ってくれよ」
彼女は納得したように、服を着直しだした。
そう言う意味ではないのだが、服を着てくれるのならなんでもいいか。
それよりも、どう切り出すべきだろうか。
「話がしたいんだけどいいかな?」
とりあえず無難に、切り出したのだけど、彼女は眉を顰めた。
何故だろう?話をするくらいいいと思うのだけど。
よくわからない。
「ああ、なんだい?」
なんだか喋り方が少し雑になった気がする。
いや、それは元からか。
「まずは自己紹介からいいかな?僕はキルエス・ガーレム。アジェーレ軍の要職なんだ」
軍師はいないことになっているから要職と言った。胡散臭いだろうけど仕方がない。
そして、身分明かすことにも躊躇いはなかった。
これからする話の上では必要だから。
「そうかい。あたしはエマだよ」
そう言うと彼女は、ドカリとベッドに座った。
なんだか雰囲気が違う。
それに、エマというのは偽名だろう。
「それじゃあエマ。単刀直入に聞くけど、君はいくらだい?」
それはもちろん一晩の値段ではない。
一生の値段ということだ。
でも、これだけでも彼女には伝わるだろう。
「はぁ~?あたしは他の娘より高いんだよ。それに、それより先に言う事があるだろうが?」
彼女が顔をしかめた。
なんだろう。察しがいいのは助かるが、察しが良すぎるのではないか?
「それじゃあ先に聞くけど、君はウルスメデスではないよね?」
そう聞くと彼女は、凄く驚いた顔をした。
この質問は予想外だったようだ。
「……違うに決まってるだろ?歌姫様がなんだってこんなところで娼婦をしてるって言うんだい?あたしは子供の頃からこの街で働いてるんだよ」
ウルスメデス事体は知っているようだ。有名人だから当たり前かもしれないが。
「それなら、もう一つ単刀直入に言うよ。君にはウルスメデスになってほしい」
彼女はさっきではきはきと喋っていたのに、急に黙ってしまった。
何か考え事をしているようだ。
「なんで、あたしなんだ?」
当然の質問だろう。
「似ていると思ったから」
素直な感想だ。
それを聞くと、彼女は大笑いで笑い出した。
「キヒヒヒヒ!」
腹を抱えて笑っている。
とりあえず、この下品な笑い方は矯正しないとなと思った。
「で、どうなんだい?」
彼女が先に聞きたかったのは、何をさせられるかだろう。
そんなに悪い条件ではないはずだ。少なくとも、ここで働くよりは。
「面白い冗談だけどよ。もう一つあるだろ?」
彼女は賢い。
そう、大きい問題があるのだ。
「歌ってみてくれないか?」
ここが一番誤魔化せない所である。
「歌は――」
続けようとした僕を彼女は手で静止した。
「~~~」
そして歌いだす。
これは、ウルスメデスが歌姫として歌っていた歌だ。
なんてことだろう。完璧だ。
そして、やがて彼女は歌い終わる。
「どうだ?上手いもんだろ?一度だけ聴いたことがあるんだ」
たった一度だけで、これほどまでに上手く歌えるものであろうか?
そんなことはあり得ないと思うのだけど。
「それで、あたしに何をさせようって言うんだ」
彼女はそう聞いてきたけど、彼女は賢い。
もう察しはついているのであろう。
「アジェーレ軍は負けそうなんだ。いや、負ける」
と言うよりは、僕がいない間に、もう負けているかもしれない。
「でも、最後まであがきたいんだ。だから君にはウルスメデスになってもらって、軍の士気を上げて欲しい」
「そんな上手くいくか?」
それはもっともだろう。
僕も上手くいくとは思っていない。
「悲劇の物語が必要なんだ。おそらくウルスメデス本人は死んでいる。彼女が所属していたはずのサーカス団の馬車だけは見つかっているんだ。死体は見つかっていないけど、悪いけどモンスターにでも食べられたのだろうね。一部の兵達から噂も広まっている」
彼女が一瞬悲しそうな顔をした気がした。
でも、もう一度見ると、普通の顔に戻っていた。
気のせいだったのだろうか?
「そこで、あたしの登場ってわけだ。奇跡の生還ウルスメデス様ってわけだな。みんな感動して泣きじゃくっちまうぜ」
そうだけど言い方ってものがあるだろう。
だけど、どうも乗り気の用で助かった。
「それで、やってくれるかな?」
「嫌だね!」
彼女は僕の言葉に即答した。
でも、にやにやと笑っている。
「って言ったらどうすんだい?」
別にどうもしない。 藁にも縋るような幼稚な作戦だ。上手くいくとも思っていない。
「死ぬ気で戦って負けるだけだよ」
僕は彼女の瞳を真正面から見た。
彼女は何かを感じ取ったのか、やれやれとする。
「わかったよ。まあ、この国が滅びたらあたしも商売あがったりだからね」
商売どころではないが、そういう冗談なのだろう。
「ありがとう」
僕は握手の為に、手を差し出す。
「その代わり、金はいっぱいもらうからな」
彼女は僕の手を握り返した。