エインダルトその3
やはり、戦場の空気はいいものだ。
遠くから見渡すのとはまるで違う。
人間の怒号、モンスターの鳴き声。剣が肉に食い込む音。血の匂い。人間の悲鳴。
どれも素晴らしいものである。
だから、敢えてケルベロスををのそのそと歩かせる。
本気で走らせてもベリッドが着いてこれないしな。いや、馬から降りれば着いてこれるのだろうが。
そうして、ゆっくり動いても、目的地へはいずれか着くものである。
目的地へ着くと、まずは観察をする。
ケルベロスは馬鹿っぽいと言ったが、体がでかいので、上から見下ろせるのはいいものである。
それに、モンスターの群れに入ってしまえば、それほど目立たない。
意外と悪くないものであるな。
上から見渡す限りだが、確かに強い部隊だ。
私は奴隷と言うものはあまり使わないが、砦を建てた時に見た奴隷共は、体がやせ細っていて、とても戦える様子ではなかった。
だが、こいつらは違う。全員が屈強な戦士である。
まあ、奴隷であったのは昔の話ではあるのだろうしな。
中でも、指揮官らしき男は特に体がでかい。
あれはきっと強いのだろう。
「ベリッド」
私は副官の名前だけを呼ぶ。
私の副官はそれだけですべてを察し、モンスターを操って、"道"を作ったのだ。
もちろん、奴隷部隊の大将へと続く道である。
"挨拶"と言っても、言葉を交わすわけではない。
前肢同士に言葉はいらないだろう。
まずは一撃目から入るとしよう。
私は"道"を通って、相手の大将へと襲い掛かった。
距離はあるが、ケルベロスの足であれば一瞬である。
そして一撃目もケルベロスによるものだ。まずは軽くと言ったところだ。
しかし、一撃目は横から入って来た男に防がれた。
「なんと!」
勢いの乗ったケルベロスの一撃を受け止めるとは見事である。
とはいえ、狙ったのは大将。防いだのは別の――副官だろうか?
「なんだぁ、こいつは!」
ああ、そうだろう。
まだ、軍に入って間もないのだ。敵を知らなくても仕方がない。
せっかく受け止めたのである。教えてやろう。
「私はエインダルト。この軍の大将だ」
それを聞いた相手は随分と驚いた顔をしている。
それはそうだろう。いきなり敵の大将が現れたのだから。
「おいおい。これは運が良いんじゃねえか?」
ケルベロスと切り結んでいる男が言う。
なにが運が良いというのだろうか?
「こいつを倒せば勝ちだぜ」
なるほど、勝つ気だというのか。
威勢がいいのは好きだぞ。
「ベリッド」
だが、私の相手はお前ではないのだ。
ベリッドは私の言うことを理解し、威勢のいい男の相手を代わる。
そして私は、再び奴隷部隊の大将へと向かう。
ケルベロスが再び肉薄した――。
だが、再び横から割って入って来た男に防がれてしまった。
なんなのだろうか?
私と奴は戦えない運命なのだろうか?
まあ、誰かもしれない相手に、運命もなにもないのだが。
「うおおおおおお」
横から割って入ってきた男の顔には見覚えがある。
ウィグランドの部下である。
名前は……レなんちゃらとか言ったと思う。
はっきり言って、私から言わせれば、名前を覚えるまでもない奴である。何故こいつがまだ生き残っているのかわからない。
実際に、今にもケルベロスに踏みつぶされそうである。
「これが愛の力だああああ!」
ケルベロスの下にいるので、姿も見えないが、叫び声は聞こえた。
愛。愛か。人間が好きな言葉である。だが、魔族には理解できない感情である。
是非ともその愛の力とやらを見せて欲しいのだが、一向に押し返される様子もない。まだ踏みつぶされていないだけマシかもしれないが。
その時、ケルベロスの首が落ちた。
これが、愛の力か。
と言うわけではない。
「ウィグランドか」
ウィグランド・アジェーレである。
ケルベロスの首を落としたのは、敵国の王であった。
ケルベロスが崩れ落ちる。
私は、地上に飛び降りた。
「今日はとことん横槍が入るな」
と言いたいところだが、当然である。
突出した部隊を潰されない様に、事前に援軍を送っていたのだろう。
相手の戦略を褒めるべきだ。
「やはり出て来たなエインダルト」
ウィグランドとは長い付き合いである。
私が出しゃばってくることを読んでいたのだろう。
そのためか、相当量の兵士を連れてきたようだ。
周囲のモンスターは次々とやられて行く。
ベリッドの方を見ると、先ほどの男に苦戦しているようだ。
これは驚きである。
お目当てであった奴隷部隊の隊長は、微動だにしていない。
随分と肝が据わっている物である。余裕があるという事だろう。
それにウィグランドもいる。
その部下も、ケルベロスの下から這い出てきそうだ。いや、こいつはいいか。
「うむ!帰るぞベリッド!」
私は大きな声で言った。
ベリッドはその言葉を聞いて、すぐに私に合流する。
「逃がすと思っているのか!」
ウィグランドが一喝する。
"逃げる"とは安い挑発である。
「ハハハ!またなウィグランドよ」
私はそう言うと、"歩いて"自陣へと帰って行く。
私が通った道はモンスターで埋まっていく。
どうせ真剣には追ってこない。
ウィグランドは賢い王だ。
だからわかっているのだ。
ここで死ぬ気で争っても、負けるのは自分達だと。