ベルテッダ・シュクラその2
この突然現れたピエロに対して、まず考えた事は魔族か?だ。
だっておかしいだろう。こんなに近くにいるのに俺は全く気が付かなかった。
俺"一人しかいない"と思っていたのだ。
そして、顔を隠しているのも不自然だ。きっとこの仮面の下には凶暴な顔が隠れているに違いない。
俺はまだ20歳にもなってない。そもそも自分の歳だってわからない。誰が親かもわからない。
赤ん坊の時にゴミ箱に捨てられて、子供の頃から盗みだけで生きて来た。
糞みてぇな人生だったのだろう。
だが、それもここで終わりだ。
この目の前の、ピエロの仮面をつけた魔族に殺されるのだろう。
「凄い所を見てしまったね」
ピエロが平然と声を出した。
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
少し考えて理解した。
まるで、自分には無関係とでも言いたげな台詞だ。
それに、どことなく呑気である。
「あ、ああ」
なんと答えればいいのか、全くわからなかった。
とりあえず、適当に頷いただけだ。
「さて、どうしたものだろうね」
俺の処遇の事だろうか?
頭から"バリバリ"食う気じゃないのか?
「どうかしたのかい?変な顔をして」
変なのはお前だろう。
「お前は……なんなんだ?」
まるで、知り合いに話しかけるような気軽さで話しかけて来たのだが……。
あれ?もしかして知り合いだったか?
「見ればわかるだろう。ピエロだよ」
いや、こんな変な知り合いはいない。
「ここに何をしに来たんだ?」
「ああ、"迷って"しまってね」
迷って入るようなところではないはずだ。
こんな無意味な嘘を、何故つくのだろうか。
それよりも、こんなに声をだして喋ってしまってはマズいという事に、今気づいた。
「彼女たちなら、もうどこかへ行ってしまったよ」
まるで俺の心を見透かしたようにピエロが言った。
重要な事だが、違うそうじゃない。
「ええと、知り合いだったか?」
恰好は変だが、襲い掛かってもこないこいつを、俺はどう扱って良いのかわからなかった。
「え?もしかして僕の知り合いなのかい?それはとても――困るな」
何故、他人事のように話すのかわからないが、一つ分かったことがある。
きっとこいつは俺をからかっているのだろう。
それなら、俺は適当に乗っかって逃げればいい。
「いや、知り合いじゃねーよ。気のせいだったな。すまんすまん」
これは俺のする台詞ではないなあと思う。そもそも先に話しかけてきたのは向こうなのだし。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺は「はははっすまんすまん」と言いながら、ピエロの肩を叩き、さりげなくピエロとすれ違い――。
そして、逃げたのだ。
♦
俺はとにかく走り続けた。
特にピエロは追いかけてくる様子もなく、そして――
自分の宿まで辿り着いたのだ。
「ふぅ……いったい何だったんだ」
本当に、それしか言葉が出てこない。
「あっ……」
一息ついてから気づいたが、手ぶらだった。
せっかく盗みに入ったのに、何も盗まずに帰ってきてしまった。
命からがら逃げて来たのに、こんなことを考えるのは、職業病かもしれない。
盗賊を職業と言ってもいいものかはわからないが。
「実は夢だったってオチの方が、マシなんだけどな」
ピエロの事は……まあいい。
そもそも、俺は魔族かとも思ったが、特に危害を加えられてないのだから。
いい。
忘れよう。
だが、この国の実質的な長が、この国を魔族に売ろうとしていることは、とても忘れられないのだ。
「はぁ~……仕方ねえよなあ」
俺は紙と筆を出して、"書き始める"。
「それは、何を書いているんだい?」
耳元で声がした。
いや、もういいんだ。
もう"驚かない"。
この突然現れるピエロは多分。頭のいかれた俺が作り出した妄想だ。
なら、"普通"にしていよう。
「逆に聞くけどよ?あんな場面を見て、黙っていられるのかお前は」
「僕は慎重なんだ。しばらくは様子を見るだろうね」
「そうかい。でも俺は焦っているわけよ」
「へぇ。君、意外と字が上手いね」
意外は余計だが、褒められるのは悪い気がしない。
「ところでよ、お前どっから入ったんだ?」
「窓が開いていたよ。少し不用心じゃないかな?」
見ると、窓が開きっぱなしになっていた。
確かに不用心かもしれないが、窓から入ってくるような輩はそうそういないだろう。ここは2階だ。
「そうか。窓か、窓だな。なるほど、窓が開いているのは不用心だよな」
俺は一人で納得する。
俺は筆を置くと、紙を折って、懐に入れる。
「その紙をどうするんだい?」
「着いてきな」
もう諦めた。
このピエロがなんなのかわからない。
なんでこんな、"普通"の会話をしたのかもわからない。
だが、いるものは仕方ないのだ。
何も言わなくても、着いてくるのだろう。
じゃあ着いて来いと、俺が率先して言ってやるのだ。
♦
向かった先は学園だ。
つまり、戻ってきたという事になる。
無駄に往復したおかげで、もう夜だ。
とても、都合がいい。
「なんで君は……」
「ちょっと待て。声が大きい。外の声は意外と建物の中に聞こえるんだ」
「ははっ、これで僕も盗賊というわけだ」
いや、違うだろう。
なにも盗んでいないのだから。
俺達は黙って、学園の中に忍び込む。
そして、建物を見上げると、一つだけ、たった一つの部屋だけ窓が開いているのだ。
その中に、持ってきた紙を投げ入れると、すぐさま学園の外へ引き返したのだ。
「凄いね。職人技だ」
仕事を終えた俺達は、帰り道を歩いていた。
夜だから、人通りは少ないのだが、たまにすれ違う奴らは、ピエロの仮面をつけたこいつを見て、ギョッとする。
俺にだけ見えているわけではないらしい。
「だけど……なんであんなことをしたんだい?」
「どれの話だよ……」
"あんなの"の対象が大きすぎるだろう。
「じゃあ、まず。君は盗賊だ。悪い奴だろう」
そう、はっきりと言う奴もそういないけどな。
「なんで、この国を助けるようなことをしたんだい?」
あの紙には、"学園長が裏切っている"と書いた。
それは、この国を助ける事と言えるだろう。
「俺は悪人だけどよ、人間が滅んじゃ困るのよ。商売相手がいなくなっちまう」
それどころか、魔族に俺も殺されるだろうしな。
つまり、
「自分のためだよ」
そういうことだ。
「なるほどね。君は根っからの悪人ではないってわけだ」
違う。
このピエロは、俺の話を全く聞いていない。
「それじゃあ次に、あの部屋は誰の部屋何だい?女の子がいなかったかな?」
学園に忍び込むルートを調べている時に、毎晩窓が開いている部屋があったら、嫌でも目に止まるだろう。だから、あの窓が開いているのは知っていた。
「あそこはいつも開いてるんだよ」
そして、あの部屋の持ち主は、天才と称されるアミュスと言う名前の、若い教師の部屋だ。
それを知った時に、忍び込むルートからは外した。
魔法の天才の部屋から忍び込むアホはいないだろう。
「誰の部屋かは知らんね」
だが、嘘をついた。
特に意味のない嘘だ。
この訳の分からん状況に対する、精一杯の抵抗だ。
「それじゃあ、なんであそこに紙を投げ入れたのかな?」
本当にそれはなんでだろうな。俺にもわからない。
偶然だよ。
お前が偶然、俺の部屋に窓から入って来たからだ。
いや、それは偶然ではないのか。偶然窓から入ってくる奴なんていないんだからよ。
ただ、俺が学園長の裏切りを知ったところで、誰に話すというんだ。
調査したと言っても、外から知れる、大雑把な情報だけだ。
誰にこの情報を託せばいいかなんて、全く分からないのだ。
信じてもらえるとも思えないしな。
それなら、
「神頼みだよ」
運に身を任せるのもいいかと思ったのだ。
「それじゃあ最後にいいかな?」
「まだなんかあるのか?」
もう、何もないと思うんだが。
「君の名前を教えてもらっていいかな?」
「ふっ……はっはっはっ!」
なんと今更な話だ。
流れも全関係ないしな。
というか、そんなことも知らずに、俺にまとわりついていたのか。
「自分の名前は教えないくせによ」
本当にこれだ。
「悪いけど、僕に名前はないんだ」
そんなわけはないだろうが、もうそんなことはどうでもいい。
「ベルテッダ・シュクラだ。よろしく」
そう言って、俺は手を差し出した。
「よろしくね」
その手を掴み返されたのだが――
「冷たっ!」
信じられないくらい手が冷たかった。
まるで"死人のよう"だ。
「今日は冷えるからね」
そういう問題ではない気がするが、もうこいつの言う事にいちいち付き合ってはいられない。
「それじゃあ、また」
「おう」
そう言って、ピエロは闇夜に消えていった。
勝手に来たと思ったら、勝手に消える。迷惑な奴だ。
そして、また勝手に来るのだろう。
そんな予感がするのだ。