モルディエヌス・エイレストその9
私は今日も母様の療養所を訪れていた。
あの変な奴と出会ってから数日が経った。
もちろん初めて会った日に捕縛の命令を出している。
そして、実際に街中で見かけたという報告も上がって来てはいる。
当たり前だ、あんなに目立つ格好をしているのだから。
だが、すぐに逃げられてしまうようで、全く捕まらないのである。
しかも、目撃されるのも、どうにも普通の場面ばかりである。
食べ物屋で食べ物を買って食べていたとか、ギルドをうろついていたとか、広場で大道芸をしていたとか、そんな物ばかりだ。
いったい、あの不審なピエロが何をしたいのかわからない。
まあ、それはいい。
あれ以来ピエロは現れていないのだし、この場の事が漏れている様子もない。
今日も、私はオージェリンと母様と、大事な話を進めなければならないのである。
「失礼するわ」
そんなことを考えていると、ちょうどオージェリンが部屋へと入って来た。
「来たわねオージェリン」
「よく来てくれたなオージェリン」
「ええ」
オージェリンはいつものように、扉のすぐ側に立ったまま返事を返してきた。
「それで、頼みたいことがあるのだが……」
「アジェーレ王国に行けというのですよね?」
オージェリンは即答した。
「流石オージェリンですね。よくわかっています」
母様はオージェリンを褒める。
「よくわかったね、オージェリン」
それは、私の娘であるピリフィルの婚約同盟の話である。
「私はここを離れられないんだ。すまない」
それに、母様に言われてシェラミエは妊娠中である。妊娠中でなくても、シェラミエにはこの役割は任せられないけど。
オージェリンに頼むしかないというわけだ。
「お願いね、オージェリン」
「ええ、わかっているわ」
どうにも、ここ数年のオージェリンは妙に素直というか――まるで何かを諦めたような態度である。
まあ、元々母様とも仲が良かったし、この国の人間が母様のいう事を聞くのは普通の事である。
「ねぇ」
ふと、オージェリンが口を開いた。
「なにかしら?」
「ここに侵入者があったというのは本当?」
それは誰にも言っていない事である。
あのピエロの事は、窃盗犯として捜索させているはずだ。
「い、いや……そ、そうだな……」
私は母様を見る。
「オージェリンには話しても良いでしょう」
母様はそう答えた。
それならいいだろう。
「そうだな。おそらく私の命を狙った暗殺者だろう」
それ以外考えが付かないし、人間ではなく、魔族かもしれない。
「勘違いということはないのよね?」
そう言われると自信がない。
なにせ、あの日以来出没していないし、ここに入れる人間は私とオージェリンと母様以外にはいないはずなのだから。
「大丈夫。勘違いではありませんよ」
そして、母様がそう言うなら、勘違いではないのだ。
「間違いない」
私がそう答えると、オージェリンは「そう……」とだけ言って、深く考え込む。
しかし、しばらくすると、
「それでは私は失礼するわ。出来るだけすぐにアジェーレ王国には向かいます」
と言って、いつものようにさっさと帰ってしまったのだ。
♦
そして、いつものように、私と母様の二人きりとなる。
「この国はいい国だね」
すると、あの声がまた上から響いてきたのだった。
だが今回は、私は焦ったりしない。
静かに上を見上げると、あのピエロが窓から入ってくるのが見えた。
「自ら捕まりに来たのか」
私は部屋の中へと入って来たピエロにそう言った。
「そうそう、それなんだよ。僕は"何もしていない"のに何故だか衛兵が追い回してくるんだよねえ」
確かに、言われてみれば何もしていないのかもしれない。
だが、"この場"に来ること自体が重罪なのである。
「今日は何をしに来たのですか?」
「何をしに来たんだ」
私達は聞く。
「うーん。何をしに来たというわけでもないんだよね」
それでは、また何もせずに帰るのだろうか?
「それならば、お引き取り願おう」
いや、それでは駄目なのだ。
だが、恐らく私ではこいつを捕まえられないのである。
「まあ、そう言わずに何か喋ろうよ。君はとても大変な人生を送ってそうだね。そういう話とかさ」
そうでもない。
何故なら、
「私は母様の言う通りに生きて来ただけだ。大変だと思ったことはない」
というわけである。
「人の言う通りに生きるのも大変だと思うけどね」
それは違う。
私は人の言う通りに生きて来たわけではない。
"母様"の言う通りに生きてきたのだ。
そう言い返そうと思ったのだけど、ピエロが「まあ」と続ける。
「僕の言えた事ではないか」
なんのことだかわからないが、やはり誰かに言われて私を暗殺しにきたのではないのだろうか?
「何を話し込んでいるのですモルディ。今捕まえてしまいなさい」
母様に言われて、"はっ"とする。
そして、すぐさま両手を広げて、ピエロを捕まえようとした。
しかし、ピエロはそれを軽々と避けてしまう。
「おっと、歓迎はされていないみたいだね」
当たり前である。
むしろ、そんな怪しい恰好で侵入してきて、何故歓迎されると思うのだろうか?
「また来るよ」
更に、そう言い残して、ピエロはそのまま窓から出て、どこかへと消えて行ってしまった。
歓迎されていないと言ったのに、また来る気なのだろうか?
「モルディ。まさか気を許しているわけではありませんよね?」
「まさか、そんなことはありません」
確かに、少し話してしまったが、そんなことはない。
私が気を許すのは、母様に対してだけである。
だけど、あのピエロを捕まえることは出来ないし、実際にまた来るのだろう。
そう思った。