第七話 シャルル=アンリ・サンソン
「そうと決まれば物件探しだな!」
気絶したご主人様を近くの診療所に預けた後、ハルマン副校長の提案で不動産屋に行くことになった。
「入学式は2ヶ月後。この2ヶ月の間、君が暮らす場所を探す」
「それはわかりましたけど……不動産屋に行くんじゃないんですか? ここ、明らかに不動産屋じゃないでしょう……」
目の前のどう見ても不動産屋じゃない店を指して言う。
看板のズレた店だ。埃だらけで、絵の具臭い。
右隣は空き家、左隣はヨボヨボのお婆ちゃんが経営する菓子屋。人通りの少ない場所だ。
「“セケルの美術店”。マイナーだけど良い絵がいっぱいある。私の行きつけの店だ」
「美術店……?」
「美術店っていうのは絵画を売っている場所さ」
「それは知ってます。あれ? 物件を探しに来たんですよね」
「そうだよ。早く入ろう」
「……話の通じない人だな」
ハルマン副校長は入店する。
話がかみ合わないまま、とりあえず僕はハルマン副校長の後ろをついて行った。
「いらっしゃい」
丸眼鏡を掛けた店主が新聞に目を落としたまま挨拶する。
美術店の中は外観から受けた印象と異なり、和やかで神秘的な雰囲気だった。カウンター台に置かれたオルゴールから美しい演奏が響き、心を落ち着かせる。壁にはズラリと絵画が並んでいる。置いてある椅子やらゴミ箱やら全てが趣向を凝らした芸術品で、意地でもありきたりな物を店内に置きたくないという意思表示が見える。
絵画を眺めて、ジャンルの偏りに気づいた。どれも家の絵ばっかりだ。
ハルマン副校長はチョコやアイスクリームで構築されたお菓子の家が描かれた絵画の前で止まり、「こんなのはどうだい?」と聞いてくる。
「お菓子の家だってさ。子供の時憧れなかったかい? いや、君はこういうのに憧れるタイプじゃないか」
「あの……どうして絵画を見てるんですか?」
「物件を選ぶために決まってるだろう。私は絵の中の世界を結界として具現化できるんだ。適当な家の絵を選んで、具現化させて君を住ませる。さっきの試験会場の結界も私が作ったんだ」
そういうことか。ようやく話がかみ合った。
「……菓子の家は嫌です。虫が集まってきそうだ。それに甘い匂いに囲まれたら気持ち悪くなります。あと溶ける」
「いーねー! 夢も希望もない意見だ。君の好きな家を選ぶといい。金は当然、私が出す」
「菓子の家じゃ無ければなんでもいいですよ」
豚小屋に比べたらどんな家でもましだろう。
「わかった。ではこれにしよう」
ハルマン副校長が選んだのは雲の上に浮かんだ一軒家だった。
僕はハルマン副校長の肩を掴んで止める。
「普通の家でいいんですよ! 普通の家で! こんな家から一歩出たら即死するような家ではなくて!」
「なんでもいいって言ったのは君だろう? あ! あっちにあるやつもいいなぁ……手足が生えた城だ。きっと動くぞ!」
「……すみません。やっぱり自分で選びます」
僕は貴族が住んでいそうな豪邸を選んだ。ハルマン副校長は不服そうだ。
「つまらない家だ」
「住む場所に面白さは求めません」
店の外でハルマン副校長が会計を済ませるのを待つ。ハルマン副校長と合流し、美術店の隣の空き家に入る。
天井に蜘蛛の巣が張られた部屋でハルマン副校長は買った絵画を出し、呪文を唱える。
「【ヴィルクリヒカイト】」
絵画に魔法陣と呪符が刻まれる。すると絵が歪み、絵が水面のように揺らぎだした。
僕とハルマン副校長は絵画に手を伸ばす。すると体は絵画に吸い込まれ、気づいたら野原の上に立っていた。後ろにはさっきの空き家の内装が描かれた絵画が浮かんでおり、正面には豪邸がある。
「今日からここで、2ヶ月暮らしてもらうよ」
入学式は4月1日、今日は2月1日。入学まであと2ヶ月ある。
僕はハルマン副校長の魔術により作成された豪邸に2ヶ月の間過ごすことになった。暖炉のある部屋に入るのは初めてだ。包帯に巻かれた大剣を壁に立て掛け、ハルマン副校長の背中を見る。
「今さらですけど、副校長のあなたが試験を抜け出して良かったんですか?」
「きちんと引き継いできたから大丈夫さ」
特になにも言わずに出てきたように見えたけども。
「書類選考の時点で欲しい生徒はチェックを付けていた。彼らが実技でどれだけやらかそうと合格は揺るがない。私があそこに残る意味はない」
ベッドにテーブルに椅子にカーペット。とても魔術で作られた物とは思えない。触れるし、きちんと機能する。いくら魔術と言えどここまでの物を作るのは至難のはず。もしかして、ハルマンという魔術師は僕が思っているよりもかなり凄い人なのかもしれない。
しかし、豚小屋暮らしだった今までに比べたら、夢のような環境だな。
「君のようなド貧乏人にとっては夢のような環境だろう?」
「……失礼な人だな」
感謝する気持ちが一気に薄れた。
「早速で悪いけど、君にはテストを受けてもらう」
「テスト?」
「魔術練度テスト、魔術知識テスト、フィジカルテスト、メンタルテスト。計4つのテストだ。君の現段階の能力値を正確に測らせてくれ。新入生はみんなこのテストを受けなくてはならないんだ」
そんなわけで、僕はまず魔術練度テストを受けることになった。
「魔術練度テストは4種の所有魔術の熟練度を測るテスト。1種魔術を完璧に使えれば25点、4種完璧なら100点と言った感じだな。君は洗礼術しか使えないからどれだけ頑張っても25点だ。さっきの実技試験で魔術練度はわかっているからこれはパスでいいだろう」
「ちなみに何点ですか?」
「23点だ。最低でも千度は洗礼術を使ったのだからな、洗礼術の練度は素晴らしいものだったよ」
それでも23点。まだ2点分上があるのか。
「次にペーパーテストだけど……君、文字の読み書きはできるのか?」
僕は奴隷だ。
文字を読めないと思われてもしかたない。実際に文字を読めない奴隷を見たことがあるし、言葉すら曖昧な奴隷を見たこともある。
「僕は奴隷になる前、6歳までは真っ当な教育を受けていました。それに死刑執行人になってからも――アンリという女の子が教えてくれましたから。その辺りは大丈夫です」
文字の読み書きはできる。
けれど一般的な知識は同世代の人間と比べて少ないだろう。非魔術の知識も、魔術の知識も、他より劣っているはずだ。
案の定、魔術知識テストはほぼ勘で問題を解くしかなかった。結果、34点。
「まぁ予想通り魔術分野は壊滅的だな。しかし、ペーパーテストで34点も取るとは驚きだ」
「34点って、低いですよね?」
「君は魔術の知識が全くないと言っていい。そんな人間が、記述の多いこのテストで34点だぞ」
またハルマン副校長は薄気味悪い笑顔を浮かべる。
この女がこの表情をする時は毎度ゾワッとする。頬っぺたを舐められてる気分になる。
「次にフィジカルテストだ。これは魔術抜きのテストだからハンデはないぞ」
「……フィジカルには自信があります」
握力テストでは測定器を壊し、反復横跳びでは残像を生んだ。
フィジカルテストが進むにつれ、ハルマン副校長の顔は引きつっていった。
「やれやれ、呆れた身体能力だ。8歳の時からあれほどの大剣を振り回し、人の首を斬り続ければそうなるか」
タオルで頬の汗を拭いながら、あの日々を思い出す。人を効率的に殺すための、訓練の日々を――
「……僕がミスをすると、受刑者の人達は余計に苦しむことになる。だから、必死に鍛えましたよ。死刑がすんなりと進むために……」
僕が言うと、ハルマン副校長は哀れむような目をした。
「……悲しい優しさだな。とにかくフィジカルテストは100点だ。素の身体能力は間違いなく新入生の中で1位……いや、学園ナンバーワンかもね」
魔術練度23点、魔術知識34点、フィジカル100点。
あとはメンタルテストか。このテストが何の役に立つかは知らないが、良い点を取っておいて損はないはず。前2つが酷かった分、フィジカルとメンタルで挽回しないと。
「最後はメンタルテストだ。そのまま椅子に座っていてくれ」
ハルマン副校長が持ってきたのは包帯に巻かれた人間サイズの物体。
ハルマン副校長は包帯を剥いで、中身を晒す。それは、髪の毛が蛇のようになっている女性のミイラだった。
「これはメドゥーサの骸、そのレプリカだ。本物は目を合わせた存在を石にする魔術を持っていた。レプリカはそれの超絶劣化版、目を合わせた存在を硬直させるほどのプレッシャーを与える。恐怖、絶望、悲しみ。あらゆる負の感情を与えてくる」
「大体わかりました。どれだけ彼女と相対することができるか。それが最後のテストですね?」
「気丈な人間でも1時間、コイツと一緒の空間に居れば理性を失う。危険な代物だ。きつくなったらすぐに声を上げなさい。いいね?」
ハルマン副校長のやけに落ち着いた声色から、いかに危険な代物かわかる。
「わかりました」
「では始めるよ。私はコレ嫌いだから、魔術が発動したら別室に逃げる」
メドゥーサの瞼が、開いた。
「――ッ!?」
――『【死ね……死ね……!】』
――『【お前など、生きる価値はない!】』
――『【この世に希望などない。死んでしまえば楽になる】』
魂に巻き付く怨嗟の声。
まるで死ぬことが良いことに思える、言葉の数々。
視界が一気に狭まり、メドゥーサ以外が見えなくなった。
きっと、コイツは本来拷問に使われる類のものなのだろうな。
精神、魂、心に、釘を一本一本刺されていくような感覚だ。
だが――
「……慣れている」
死刑囚の絶望からにじみ出た罵詈雑言に比べれば、
――こんなもの、所詮レプリカだ。
◆
「3時間経過だ。終わりにしよう」
ハルマン副校長がメドゥーサの目に包帯を被せ、メンタルテストは終わった。
「100点だよ。文句の付けようがない。君のメンタル、普通じゃないよ」
「恋人の首を斬り落とした男ですよ? 真っ当なメンタルしてるわけないでしょ。あっはっは」
「その笑いは怖いよ……」
魔術練度テスト――23点
魔術知識テスト――34点
フィジカルテスト――100点
メンタルテスト――100点
現状の僕の実力はこんな感じだ。
「学園に入るにあたって、1つお願いがある」
「なんでしょうか」
「名前を考えておいてくれ。ラストネームだ。君はシャルルというファーストネームしか持ってないだろう。今すぐじゃなくていいから」
「それなら考えてあります」
僕は近くの丸テーブルに近づく。
テーブルの上にはペンとメモ帳あったので、ペンを使ってメモ帳の一ページ目に僕のフルネームを書いた。
メモを切り取り、ハルマン副校長に手渡す。
「これでお願いします」
「……これで、本当にいいんだね?」
ハルマン副校長は「変えられないよ?」と念を押す。
「はい。それで、お願いします」
「確かに承ったよ。“シャルル=アンリ・サンソン”」
僕の尊敬する人の名を、そのままもらった。
「さてと! それじゃあ、君に初めての宿題を渡そう」
「宿題?」
ハルマン副校長は小さな額縁を出した。額縁には真っ黒な絵が入っている。ハルマン副校長は絵に手を突っ込み、丸まった画用紙を出した。ハルマン副校長が広げた画用紙には本棚の絵が描かれている。ハルマン副校長は画用紙に手を入れ、次々と本を出していった。本が出るにつれ、絵の中の本棚から本が消えていく。
「あと2ヶ月の内に一般教養を頭に詰め込んでもらう。魔術の知識じゃない、この世の一般常識だ」
積み重なった本の山は天井に届きそうだ。思わず唾を飲み込む。
「君が同世代の人間と比べて劣っている部分は魔術だけではない。他人との付き合い方や基本的なマナー、知っている言葉の数。これらは既に誰もが自然に身に着けているものであり、魔術学園で習いはしない。魔術に関しては入ってからなんとでもなる。だがこればかりはな」
本の山を見上げ、軽く怯む。
ハルマン副校長は一冊の本を僕に差し出す。
「君はまず、『普通』を知りなさい」
『普通』……なんて縁遠い言葉だろうか。
千の人間を殺した僕が、目指してもいいのだろうか。今からでも遅くはないだろうか。
『普通』に少しでも近づけるならと、僕は本を受け取った。
それから入学式の日まで、僕はひたすらに『普通』を学んだ。




