第三十九話 ヨハンとフランツ
ガラドゥーンが起こした轟乱が去り、4日が過ぎた。
学園島の修復作業は終了し、元の平穏が戻ってきた。多くの教師、生徒が力を尽くしたおかげでこれだけの時間で修復を終えることができたのだ。
今回の件で一番活躍した生徒はシャルルだろう。最善の行動では無かったものの、ガラドゥーンを単身で追い詰め、打倒した功績は大きい。しかし、彼以外の2人の特待生もまた、ガラドゥーンの魔の手から多くの人間を救っていた――
◆“朱雀組”クラス校舎教員室◆
“朱雀組”のクラス校舎は宮殿である。
そこに通う生徒もまた、宮殿に似合った騎士然とした者が多い。
右目を眼帯で隠した男、“朱雀組”担任にして副校長のカイゼルは煙草に火を点けて温和な笑顔を作る。
「今回の騒動の魔獣討伐数、ナンバーワンは君だったようだね。素晴らしい。私も担任として誇らしいよ。ヨハン」
カイゼルの前で膝を付くは“朱雀組”所属の特待生、ヨハン=テイラーである。
「運が良かっただけです。たまたま私が居たところに多くの魔獣が出現しただけのこと」
「謙遜かい? 君のそういうところは嫌いじゃないよ」
カイゼルの声量は小さい。けれど、1言1言がよく通る。透き通った声だ。煙草で喉を焼いている男性の声とは思えない。
ヨハンはカイゼルが言葉を発する度、心を撫でられているような気がした。カイゼルは相手にとって最も聞きやすい声量を見極め、そういう声の出し方をしている。実際、彼の声は大多数の人間にとって心地のよいものだが、ヨハンは多少の気色悪さを感じている。全幅の信頼を寄せるカイゼルだが、ヨハンはカイゼルのこの声だけは好きになれなかった。
「校長先生からは褒美になにを貰ったんだい?」
「“静寂を愛する者”の紋章石を頂きました」
「もう飲んだみたいだね」
「はい」
ヨハンの左瞼は糸で縫い止めてあった。瞼を下ろした状態で固定されている。
「左瞼を魔力の糸で塞いでいるのか」
「紋章が左眼に宿った瞬間、瞼が糸で結ばれました。念じれば簡単に外せます」
「紋章は扱いが難しい。今度、私が直接指導しよう」
「ありがとうございます」
「しかし……」
カイゼルは微笑みを崩さぬまま、頬杖をつく。
「こうも易々と紋章石を渡すとはね」
「それは私も驚きました。アランロゴス校長にとって紋章石はそう価値のない物なのでしょうか?」
「そんなことはないさ。いくら校長と言えど、所有する紋章石は10もないはずだからね」
カイゼルは眉間にシワを寄せる。
「……ガラドゥーンのせいでケノス教徒に遺体の位置がバレたから、少しでも戦力を増やそうと――だとしたら、他の特待生にも紋章石を渡しているかもしれない」
ヨハンはカイゼルの言葉を聞き取れず、疑問を表情に出す。
カイゼルはヨハンの表情を見て、いつも通りの微笑みを浮かべた。
「わざわざここまで足を運んでくれてありがとう。下がりなさい」
ヨハンは退出を命じられても立ち上がらなかった。
「……カイゼル副校長」
「なんだい?」
「なぜ、3人目の特待生を教えてくださらないのでしょうか」
「与えるばかりが教育だとは思っていないからさ。君は困るとすぐに私に甘える癖がある。気になるのなら、自分の力で探しなさい」
「――わかりました。失礼します」
ヨハンは教務室から出て、月明かりが照らす廊下を歩く。
(今回の一件で校長に顔を覚えてもらえたのは良かった。いち早く“聖堂魔術師”になるためにも、私は誰よりも優秀でいて目立たなければならない。学年トップの座は誰にも譲れない。私の皇道の障害となるのはやはり、他2人の特待生……)
ヨハンは窓から夜空を見上げる。
(1人は“青龍組”のフランツ。もう1人は“白虎組”の誰かだ。成績で見るならホリー=パラソン、アルマ=カードニック、ヒマリ=ランファーの3人が怪しい。だが……)
ヨハンはダーツ城ですれ違った白髪の生徒を思い出し、微笑んだ。
「……シャルル=アンリ・サンソン」
ヨハンは再び歩を刻み始める。
自分の覇道を真っすぐと進んで行く。
◆“青龍組”クラス校舎教員室◆
“青龍組”のクラス校舎は寺院である。
床は畳、戸はふすま。
畳部屋に座布団を敷き、“青龍組”担任のコバヤシ副校長はキセルを咥える。
「シャルル=アンリ・サンソンに会ったぜ。オイラからすりゃ、大した奴には見えなかった。とてもお前さんが負ける相手とは思えねぇ。なぁ、坊」
青き龍を背負う男、“青龍組”特待生フランツ=シュミルトン。背中に青龍の絵が描かれた法被を着ており、色素の薄い黒のサングラスの奥には龍の如き鋭い眼が隠れている。担任を前にして足を崩して座り、サングラスにかかった黒髪の隙間からコバヤシを睨んでいる。
フランツは低く、けれどもよく響く声で言葉を発する。
「負けるとは思ってねぇ。甘くは見てないだけだ」
「聞くところによるとヒデェ成績らしいぞ。魔術師としちゃ下の下だ」
「テメェは知らねぇんだよ、あの野郎の狂気を……あの眼を。アイツの怖い所は魔術とか武術とかとはかけ離れた部分にある。組の足並みが揃うまで、“白虎組”との戦いは避けさせてもらう」
「因縁の相手だからか? そこまで慎重になるのはよ」
「……因縁って程じゃねぇ」
「ん? そうなのか? 奴はお前さんの妹の仇だって話じゃねぇか」
フランツはサングラスの奥から鋭い視線をコバヤシに浴びせる。
「おい、人の事情に首を突っ込むな。担任だろうが関係ねぇ、俺の気分を損ねたら殺すぞ」
「へへっ、会った時から変わらない眼だ。いいぜ、好きにやりな」
フランツは腰を上げて、教員室から出る。そのまま寺院の如き校舎から外に足を踏み出した。
フランツが校舎から外に出ると、ズラリと人影が正面に並んだ。
『若ッ!!』
フランツの前に、“青龍組”の生徒が膝を付いて並ぶ。
フランツと同い年の人間が揃って頭を下げている。無理やり頭を下げさせているわけではない、フランツに心から敬意を払っているからこその姿勢だ。彼らの表情に淀みは一切はない。
「学園島の復元作業において、俺達の組が1番活躍することができた。お前らが俺を信じ、指示に従ってくれたおかげだ。ピエロ校長にも俺達のクラスのことを覚えられただろう。“青龍組”にとって大きな一歩を踏み出すことができた。感謝する」
『勿体なきお言葉です……!』
「今日最後の任務だ、『ゆっくり体を休めろ』。明日からまた、俺の手足となって働いてもらう」
『はい! 仰せのままに!!』
「若様若様~」
フランツのクラスメイトの一人。糸目の女子がフランツを呼び止める。
「アランロゴス校長に報酬を貰ったんですよね? なにを貰ったんですか?」
「ふん、面白いモンとだけ言っておこう。近い内に教えてやる」
「えぇ~?」
フランツは部下、もといクラスメイトの間を歩いて行く。
(名も無き奴隷、まさか学園島に来てまでテメェの顔を見ることになるとはな)
フランツは過去のトラウマを思い出し、目の前に居ないシャルルを睨みつける。
「……ぶっ殺してやる」




