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唯一勝利

「勝負!」


 榎戸の号令と同時に、片品は高速で足を継いでアキの間合いに入った。

 一本ずつ取り合っての三本目、これ以上アキの好きにさせるわけにはいかない。ただでさえ格下相手に、実力が如実に出る相面で一本を献上したなんて笑い話もいいところだ。

 竹刀の裏から小手を狙いすまし──


「……!?」


 飛び込もうとして思わず止まり、間合いを脱する。

 打ち込めない。

 威圧されたわけでも避ける姿勢を確認したわけでもない。アキはただ真っ直ぐ中段に構えている。だからこそ打ち込めない。


 まるで真剣のような剣先が片品の喉元を一直線に指している。欠片もぶれることのない構えが、また底の見えない水面の気配を感じさせる。明らかにさっきまでの防戦一方だったアキではない。打ってもするりと抜けて響かない、黒々とした湖のような深さで、打ち込んだら最後何が返ってくるか分からない。攻めることをためらうほどに気味が悪い。


 そんな馬鹿な、と片品はすぐに状況を否定した。

 恐れ戦いている。少なくとも全国で二番目に強かった自分が、何の実績もない女子相手に。

 それでも本能が告げる。向こうの剣は一撃必殺だと。

 これが、東雲アキの正剣。ただただ真っ直ぐに鍛錬を積み重ねたその結果。自分の経験からはどこまでもかけ離れた、まるで別物の剣道。


 ──だが、それだけではここまで苦戦することはない。

 問題なのは、目の前のアキが本当に東雲アキであるかどうかだ。稽古の時の単純な体捌きも、数分前までは拙かった攻防も、今は面影もわずかなほどで、同一人物であるかどうかも疑わしい。

 吸収された。試合中の片品の立ち回り、攻め、駆け引きも何もかも、片品が小さな頃から積み重ねてきた勝つための技術も工夫も全て、アキは吸収し、咀嚼して対応してきた。その結果が今の状況なのだ。


 片品の腹の底に黒い何かが生まれた。ガソリンのようなそれはやぶれかぶれに丹田(たんでん)へと注ぎ込まれ、片品の体に無理矢理動力を送り込む。

 理性よりも数段速い反射的な挙動。ただ一振りで打ちのめすために間合いに入り、飛び込む。

 それよりも、(はや)く──


「──」


 反射を置き去りにする一閃が、片品の喉を突き穿った。


 ◇


「突きあり! ──勝負あり!」


 道場全体が静まりかえる中、二人は開始線に戻って蹲踞し納刀、五歩退がって礼をし、試合場を後にする。

 白線を跨いだ途端、片品が膝から崩れ落ちた。

 面も取らず四つん這いになって荒く息をする片品に、近くの男子部員が数名駆け寄る。その様子を見て、アキは不思議な高揚感を覚えた。


「アキちゃーん!」


 着座して面を取るアキの元に、さちが脇目もふらず駆け寄ってきた。


「なんで言ってくれなかったの! あんなに強いなんて知らなかったよ! 全中準優勝に勝っちゃうなんて……」

「全中って何?」


 キラキラと興奮し切った様子のさちの顔が一気に苦笑いに変わった。いっそ、あんたこそ何なの? とでも言ってやらねば負けた相手も救われないと思った。


「いやー、まさかまさか。恐れ入ったよ」


 そんなさちの背後から、へらへらといやらしい笑みを浮かべた筑紫が顔を出した。


「まずはおめでとうだね。初めての試合はどうだった?」

「……よく分かりません」


 アキは道場を見渡した。皆思い思いの視線をアキに向けている。だが特に人の目など気にしたことのないアキでも分かるほど、いい意味の込められたものはひとつとしてなかった。


「……嬉しいのに、私と同じように喜んでくれる人がいないのは不思議な感じです。試合って白線の中だけで綺麗に完結するものじゃないんだなって」


 勝ちたくて勝った。勝ったことで望んだものはたぶん手に入ったし、認めたくない現実もたぶん否定できた。最初から自分のためだけに臨んだ試合だった──はずなのに。

 勝ってみるとあっけない。元はといえば自分が台風の目なのだから当たり前ではあるのだが、そこにはアキ自身が感じているような歓喜も喝采もない。ただ結果に対する静かな敵愾心の砲火に晒されるだけ。

 少し寂しげなアキに、筑紫は小さく微笑んで、


「そんなこと、気にするもんじゃ……」

「──でも勝ったのは私です」


 意気揚々と盛り返した声に思わず面食らった。


「私が勝ちました。これで全部クリアですね」


 微笑むアキの瞳の奥底にある、形容しがたい何か。筑紫は生唾を飲んだ。

 片品から吸収したのは技術や工夫だけではなかった。そんな目に見えるものなどはとっくに喰らい尽くしていた。

 闘志さえも。

 あのたった四分足らずの間に、アキは片品の闘志をも喰らってしまった。でなければ説明がつかないのだ。まるで別人のような四分前からの変わり様。そう思わせるほど轟々と燃え上がり漂う闘志。こんなものが彼女の中に眠っていたなんて……こんなものを秘めた剣士が今まで表舞台に出てこなかったなんて、俄には信じがたい。


 途轍もないものを叩き起してしまったかもしれない。

 全身に浮き出た鳥肌を誤魔化すように、筑紫はくるりと回った。


「はい、じゃあ片品は明日からおもり着けて稽古ね! というわけで、東雲さんと守岡さんが仲間に加わりましたー! はい拍手!」

『で、でも筑紫先輩、その子は……』

「なあに? 何か文句ある?」


 筑紫の眼光に気圧されて、反駁しようとした女子部員が口を噤んだ。


「皆も忘れてないと思うけど、ここ五年、我が尚成館(じょうせいかん)高校は男子も女子も全国ベスト4止まり。でもそれじゃダメでしょ。『勝利』し続けることこそが尚成館の誇りであり使命でしょ。そうだよね」


 筑紫が指差した神前の隣には、『唯一勝利』の文字が大きく書かれた臙脂色の横断幕が掲げられている。


「狙うは頂点のみ。そのためなら私はいくらでも潰し合うし潰し合わせるよ。それで生き残れないようじゃ全国行っても恥かくだけだからね」

「──おい東雲ッ!」


 筑紫の言葉が終わるのを待たずして、面を取った片品が鬼の形相でアキに怒鳴った。


「次は絶対に僕が勝つ! 僕の方が強いことを……っ、証明してやる! 絶対にだ! 今日勝ったくらいで図に乗るなよ! すぐにでもぶちのめしてやるからなッ!」


 男子部員に制止される中でもがき叫ぶ片品。──を、見ていたアキの視界に、またいやらしい笑みの筑紫が割り込んできた。


「だってさ、どうする?」

「……また勝ちます」


 無意識なのか、自然に笑みを浮かべているアキに、筑紫はまた笑った。


「私が勝てば、先生に教えられた剣道を、その正しさと鍛えた自分自身を……本懐を、皆に認めさせることができるから」

「いいね」


 二人の笑みが交錯する。理想が異なることを知りつつも、辿り着く場所は同じであるということを理解し合っているかのように。


「──よし、じゃあ五分後から稽古再開だ! 準備しろよ!」


 榎戸の号令に全員が返事をして、各々準備に取りかかる……というわけでもなく、誰も彼も一目散にアキの元へ駆け寄ってきた。


『ねぇ、さっきの相面どうやったの? 何食べたらあんなに速くて強い面打てるの?』

『東雲さん中学卒業したばっかだよね? なんで最後の突きあんなに綺麗だったの? こっそり練習してたの?』

『どこの中学でやってたの? 試合で見たことないんだけど』

『守岡さんは東雲さんの何なの?』


 何故かさちも巻き込んで混乱状態の中、部員たちのあまりの変化に二人揃ってあわあわと慌てふためくばかりだった。

 こうして、東雲アキの高校剣道生活が始まった。


 ◇


「相変わらず焚きつけるのが上手いな」

「そうですか? でも、実際楽しみじゃありません?」


 今日何度目かの嘆息をする榎戸に、筑紫は凛と笑いかけた。


「今年の尚成館は強いですよ。強くしてみせます、絶対に」

「……頼りにしてるよ、監督代理」


 二人の眼差しに気づくわけもなく、アキは休憩時間いっぱいまでもみくちゃにされたのだった。

〇丹田

気を集めて煉ることにより霊薬の内丹を作り出すための体内の部位。臍の下にある部分。

剣道ではここを意識して力を入れることで力強い打突や正しい姿勢が得られると言われている。(作者談)


〇唯一勝利

本作における造語。

意味は推して測るべし。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)やはり……こうしたエンタメドラマを手掛けさせたら面白いですね。アキちゃんの主人公感から、周りのキャラクターたちの個性・キャラ立ちも含めちーちゃんが言われるように惹き込まれていきました…
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