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真剣勝負

 再び面を着けた二人が、道場に(しる)された試合場の白線の手前に立つ。


「あ、あの……」

「ん?」


 白線の外側に集まった部員たちの中に紛れたさちが、隣でほくほく顔の筑紫に話しかけた。


「あ、君東雲さんの友達だよね。えーっと……」

守岡(もりおか)さちです。……あの、どうしてあんなこと言ったんですか? 条件も条件だし、そもそもあのコーチじゃフェアになるとは思えない……」


 試合場の中には一人、榎戸が紅白の審判旗を持って立っている。

 筑紫は思わず吹き出して、


「あはは、大丈夫大丈夫。あの人はああ見えて意外と教育者だからね。フェアという点ではこの場にいる誰より適任だよ。だから一人審判してもらってる」

「でも……」


 楽しそうに笑う筑紫に、さちは少し憤りを感じた。そう、条件が条件だ。教室の前で会った時はあんなにクールだったのに、まるで好きなおもちゃを手渡された子供のように無邪気な彼女によって課せられた重い条件。


「それからさ、私結構東雲さんに期待してるんだよね。名前聞いたことないけど強いでしょ」

「さ、さあ……。あたしもアキちゃんがちゃんと剣道してるところ見るの初めてなので」

「またまた~。友達なんだから一回くらい試合見たことあるでしょ? その時の東雲さんどんな感じだった?」

「いや、アキちゃん試合出たことないです……」

「え?」

「え?」


 みるみるうちに筑紫の顔が青ざめていく。朗らかな笑みも次第に引きつり笑いに変わっていった。


「う、ウソでしょ……?」

「本当です。あの子のいた道場、なんかこう、超硬派というか、武士道派というか……」

「マジか……」


 試合経験が皆無というのは流石に不利すぎる、とさちが素人ながらに心中呻くするその横で、筑紫が試合に向けて素振りをする片品を震える手で指差した。


「……片品、去年の全中の個人戦で準優勝してるんだよね」

「えっ!?」

「ちなみに私は優勝」

「はあ……」


 試合経験の有無とか、もうそんな単純で目に見えそうな差ではない。『全国』という場所と『準優勝』という成績は、そういう経験のないさちにとって、そして恐らくアキにとっても、首を痛めるほど見上げても見えてこないところにある。

 想像がつかない。そんな薄ら寒さを感じて、さちは思わず手を握って祈るのだった。


 ◇


『ただやるんじゃ面白くないからさ、何か賭けよっか。そうだなー、じゃあ片品が負けたら向こう三ヶ月間の稽古はおもり(・・・)装着ね。東雲さんが負けたら、この道場に出入禁止ってのはどう?』


 飄々と告げた筑紫の面影が、瞼の裏にちらつく。

 横暴な条件だ。平等じゃない。そう訴えかけてくれたさちに、筑紫は掴みどころのない笑みで告げた。


『試合なんて元々殺し合いなんだから、平等なわけないじゃん』


 アキはその言葉が驚くほど腑に落ちた。

 名実共にこの部のホープである片品に対し、アキは厳密にはまだ入部すらしてない。そのアキが揉め事を起こしたのだ。ここは言わずもがなの強豪。その評価を裏づけるような張り詰めた空気と意識が満ちるこの場所で、アキはそうしたバランスを崩す(たわ)みにすぎない。つまり実力がない限り、部員たちが上を目指すためには可能な限り排除すべき要素であるという結論だ。


 しかし筑紫はそんなアキにもチャンスを与えた。試合という大昔から連綿と続く、限りなくフェアな土俵で白黒をつけていいと。試合とは死合(しあい)であり、選手たちが己の一切合切を背負って戦うための場だ。故に試合はフェアであって平等ではない。そんな偉大な場所──彼らがこの三年間命を懸けて臨む場で落とし前をつけろと言ってくれた。


 勝てば官軍、負ければ賊軍とはこのことだなと、アキは小さく嘆息した。チャンスを得た以上、勝たなければならない。勝たなければ……望むものは何も手に入らない。対峙する認めたくない現実を否定することもできない。


 初めての試合だろうと、相手が男子だろうと関係ない。

 ふと、頭の奥底で先生の顔が(よぎ)った。


「双方、入れ」


 榎戸の指示で、二人は試合場に一歩入って一礼。帯刀し、五歩で開始線まで進み、蹲踞する。

 面金の奥の片品は、稽古の時とは別人のような敵意を否応なくアキに向けている。双眸が狩りに向かう獣の如く爛々と輝いている。

 しかし、その挙動は驚くほど静謐で──


「始めッ!」


 号令とほぼ同時に、片品がアキの懐に入り込んだ。


「──ッ!?」


 下から突き上げてくる亜音速の打突。完全にアキの面を捉えかけた間一髪、竹刀を上げて刃で防ぐ。真剣の一撃を防いだような妙な痺れと余韻。

 そのまま鍔迫り合いに入り、体当たりの衝撃を耐え、交錯する竹刀の向こうで、


「──ィヤアァァァァァァァァッ!」


 怒号にも近い片品の気合がアキの体を震わせた。

 こんなにも、違うものか。

 稽古の時とは比べ物にならない気迫。敵意などという言葉すら生易しい剥き出しの感情。圧倒される。これは──覇気。

 呑まれる前に何か技を出そうと左足を半歩下げた、その瞬間。


「──メエェェェェンッ!」


 一閃が、アキの面を捉えた。


「面あり!」


 部員たちの歓声と同時に、榎戸が左の白旗を上げた。道場が拍手に包まれる。


 残像が、瞼の裏にこびりついていた。

 アキは打たれた姿勢のまま呆然とした。開始線に戻る片品を辛うじて認識して、自らも戻らなければと思うのに、足が全く動かない。


 見えなかった。文句なしの一本だった。それほどまでに手も足も出ない、見事な兜割り。稽古の時とは比べ物にならない衝撃の残滓がまだ頭に残っている。


「東雲、戻れ」

「あ、はい……」


 言われて動かした足が鉛のように重い。身体が勝手に開始線に戻ることを拒否している。

 恐い。

 初めて感じる恐怖だった。正真正銘、剣を取って一対一で勝利をかけて戦う白線の中に滞留する恐怖。まるで首筋にずっと刃を突きつけられているような怖気(おぞけ)。そんなことはあるはずがないのに、今すぐにでも首を刈り取られてしまいそうで、頭が真っ白になる。


『なんだ、大したことないじゃん』


 ひそひそと話す声が聞こえる。集中できていない。どう動けばいいのか分からない。

 これが試合というものか。これが、彼らが三年間命を懸けて臨む場所の本性なのか。

 前に、出られない。


「二本目!」


 ──それでも。

 アキは静かに、小さく長い息を吐いた。

〇剣道の試合

一対一で行う。団体戦の場合は先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の五人でそれぞれ同じポジションの相手と行う。(玉竜旗等の勝ち抜き方式の大会はその限りではない)

時間は高校で四分。二本先取した方が勝ちの三本勝負。審判は主審一人、副審二人の計三人。ただし練習試合などでは主審のみとすることも多い。

反則は二つもらうと相手に一本。主な反則は場外(押されて場外に飛ばされても飛ばされた側の反則)、竹刀を落とした場合(「巻き上げ」で検索)、不当に鍔迫り合いを行った場合、等。

突きに関しては高校から解禁となる。

また、よく「ガッツポーズをすると一本が取り消しになる」という話があるが、あれはマジ。


〇全中

全国中学校体育大会の略。


〇剣道における声

よく他の部活から「奇声」というふうに揶揄される「気合い」だが、実は一本を取るために必要な要素のひとつである。

所謂「気剣体の一致」で、この「気」が気合いにあたり、威勢と気概が打突や体捌きと重なって生み出されるのが一本である。

実際、声を出していないと当たっても一本になりにくかったり、逆に当たり損ないでも気合いによって一本になってしまうケースも多々ある。

そして一概に言えるのは、「強い人ほど気合いの出し方がカッコいい」ということ。


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