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剣心一致

ご来店ありがとうございます。

後書きには剣道に関する少々の用語や解説を記載しておりますので、あわせてご一読くださいませ。

また、作中何か不明点などあればご連絡ください。後書きにて解説を追記致します。

「今のガキどもは小手先ばかりだ。当てただけで一本を取った気でいる」


 先生の口を突いて出てくるのは昔からそんな言葉ばかりだと、アキはいつも思っていた。


 今の、という括りが一体いつからを指すのかは定かではないし、面を取り手拭いを()いた頭から湯気を漂わせて言う先生はいつも頑固親父の小言のような口調だったから、負け惜しみ以外の何物でもないと思った。時代の潮流に取り残された老いぼれ剣士の戯言だと。


 稽古終わり、挨拶に行けばいつもこれだった。そんな戯言を耳にタコができるくらい何度も聞かされ、ただでさえ疲れた体で数十分もの正座を強要されるのだ。たまったものではないと、アキは心中で何度嘆息したか分からない。


「あんな邪剣はいかん。いいか、お前の振るう剣は正剣だ。この道場で剣を習ったのなら、正剣であれ。試合に勝つことが目的ではない。剣を通じて己を、己を通じて剣を鍛え、心身ともに成長することこそがその本懐なのだ」


 これもまたいつもの語り口だ。

 そんなだからこの道場も人が減っていく一方なのだ。現に、今日卒業する中学三年生の代はアキしかいない。アキを誘って一緒に入った幾人かの友達は、試合にも出させてもらえず、部活にも入れず、一心不乱に稽古をつけ続けるこの道場のスタンスに嫌気がさして早々に辞めてしまった。つまるところアキだけが辞め時を失ったのである。


 あの時自分も辞めて、他の道場に移ればよかったなあ、と先生の話を聞き流しながら思う。剣道自体は好きだから、もっと楽しく競技できる環境に。後先考えず突っ走る性格が裏目に出て、ただただ剣道に打ち込むことしか考えていなかった。


「私が今のお前に教えられるものは全部教えた」


 嘘だ。絶対出し惜しみするタイプだ。卒業するからリップサービスでもしているのだろう。……なんて、危うく口から出そうになって、アキは慌てて呑み込んだ。

 そんなアキの胸の辺りを、先生が指差した。


「剣士の本懐。それが全てだ」


 先生の顔はいつになく柔らかくて……アキが嫌な顔をして胸を隠したせいで慌てふためく姿はここ最近で一番面白くて、失笑してしまう。


 もう二週間もすれば高校生活が始まる。来る夢のような生活につい胸が踊る。

 だって、これまで稽古漬けだったせいで入ることができなかった部活も、試合もある。これからは何の制約もなく、自由に竹刀(しない)を振っていいのだから。


 ◇


「アキちゃーん、部活決めた? そっかやっぱ剣道部だよねー」

「さっちゃん、まだ私何も言ってないよ」


 にひひ、と笑うさちにつられて、思わずアキも笑ってしまう。

 さちはアキの幼馴染みで、小学校からクラスもずっと一緒の親友である。ショートカットの髪と猫のように大きな吊り目が特徴の可愛らしい女の子だ。そしてアキをあの道場に引き入れた張本人でもある。一週間で辞めたけれど。


「そんなこと言って、どうせ剣道部なんでしょ? もうバレバレだぞ、その入部届」

「あはは……」

「部活見学、今日からでしょ?」

「うん、日直の仕事が終わったら行くつもり。防具も一式持ってきた」


 さちはアキの足元の大きな防具袋と竹刀袋を見て、苦笑いしながら前の席の椅子に股がった。それからひとつ息を吐いて、既に『剣道部』と書かれているアキの入部届を持ち上げる。


 高校入学から早二日、アキは道場の卒業から既に二週間も稽古をしていない。一日休めば取り戻すのに三日はかかると言われる競技だ。やっと部活見学が始まるのだから、この機会をみすみす逃すなんてできない。できることならすぐにでも顧問に入部届を叩きつけて稽古に参加したいと、アキは内心鼻息を荒くしていた。


「でもさ、大丈夫? ウチの剣道部めっちゃくちゃ強いらしいよ」

「そうなの!?」

「う、うん……そんな喜ぶとは思わなかったけど……。なんかね、あたしも入ってから知ったんだけど、全国常連の超名門だって。公立なのにすごいよね」


 剣道は野球やサッカーのような他の競技と比べて、公立勢が強い場合が多くある。私立のように有望な選手を推薦で獲得することができないにも関わらずそういった構図が成り立っているのは、ひとえに『文武両道』を競技全体として標榜し、競技者全体に浸透しているからだ。「強い選手は学業の成績もいい」という定説もあるくらいである。


 つまり、アキが家から近いという理由で選んだこの高校も、公立の強豪校である以上、そういう『文武両道』を体現する強い選手の集まりということだ。それだけ部内の競争も激しくなるし、それに伴って経験できる試合のレベルも上がる。ただ試合ができるという小さな欲のその先が明確に見えてきて、さちに(そそのか)されて頑張って勉強した甲斐があったと、アキは小さくガッツポーズした。


「アキちゃん、試合出たことないじゃん。本当に大丈夫? やっていける?」

「全然大丈夫だよ。やる気あるもん」

「そういう問題じゃないと思うんだけど……」


 さちは遠い目をしてまた苦笑する。心配というか、こういう目の前の状況にのめり込んで突っ走ってしまうアキに振り回されっぱなしだったなあと懐古していた。


 温泉が気に入って三時間近く入って逆上(のぼ)せたアキを救出した小学校の修学旅行。授業時間を無視して生徒とドッジボールに興じるアキを引き摺って帰った中学校の職業体験。下から数えた方が早い成績だったアキを一緒の高校に行こうと唆したら爆発的に成績が上がって慌てた高校受験。さちがあの道場を辞めた時だってそうだ。このままだとずっと稽古漬けのままだよ、と注意したのに、既に剣道の虜になっていたアキは聞く耳を持たなかった。


 まあ、そういうところが面白いんだけどね、とさちは思う。好きなことに一点集中できるのは一種の才能だ。その才能を持っていないからこそ、持っている彼女が面白いと思うし、一緒にいて楽しいとも思う。

 気を取り直すように背伸びをしたさちは、顎に手を当ててうーんと唸った。


「しっかし、あたしはどうしようかなあ……。部活は必須じゃないけど、体は動かしたいし。でもアキちゃんみたいにバリバリスポーツやってきたわけじゃないから──」

「スポーツじゃないよ」


 さちが目を丸くした。


「剣道はスポーツじゃないよ、武道だよ」

「……そっか、そうだね」


 さちはまた困ったように苦笑いして、


「じゃあ、まあ、とりあえず剣道部にでもお邪魔してみますかね」

「一緒に入ってくれるの……!?」

「いや、まだ決めたわけじゃ……」

「そうと決まればすぐ日直の仕事終わらせちゃうね、二分待ってて」

「おーい、人の話を──」


 何か言いたげなさちを置き去りにして、アキは日誌を猛スピードで記入し、全力で職員室へ向かう。

 ──が、教室の扉を開けたところで誰かにぶつかった。いや、ぶつかって尻餅をつくまで、アキは壁か何かにぶつかったと思った。


「ちょっと、アキちゃん!」


 思い切り強打した鼻をおさえて見上げると、そこには背がすらりと高く、華奢で美人な女子生徒が立っていた。襟元の青いリボンはこのフロアにはいない。三年生だ。


「っと、大丈夫? 怪我してない?」

「は、はい、すみません……」

「ごめんなさい! もうほんとこの子は先走りが過ぎるというかなんというか……」


 ゴッ、ゴッ、とさちが何度も頭に手刀を入れてくる。

 女子生徒は淑やかで凛とした笑みを浮かべて、アキに手を差し伸べた。少し戸惑いつつその手を取ると、不思議と心が躍るのを感じた。生まれて初めてお姫様になった気分だった。


「怪我がなくて何よりだよ。廊下は走っちゃダメだから気をつけてね」

「はい! 肝に銘じます!」


 さちに無理矢理頭を伏せられたアキにまた微笑んで、女子生徒は職員室の方へ去っていった。


 その後ろ姿が視界の端にいつまでも映り続けていた。小さく揺れるポニーテール、天地を貫くような芯を感じる真っ直ぐな姿勢。華奢な体よりも何倍も大きく見えたその背中に、つい息を呑む。


「……綺麗な人」

「──じゃあるかボケェ!」


 すぱーん、と頭を引っ叩かれた。


「あの人! 剣道部の主将(キャプテン)だよ! 生徒会長もやってる! 入学式で祝辞読んでた! 有名人! 分かる!?」

「え……」


 何度も叩かれていることすら気にならないくらい──

 あの背中の残像が、さちの言葉に後押しされて強烈に脳裡に焼きついてしまった。

〇正剣/邪剣

これ、といって正しい解釈はあまりないが、一般には「剣道の基本に則り、構えた時の立ち姿がいいことや、打突時から残心まで姿勢が崩れないこと」を正剣、その反対で「構えや残心、所作が乱雑で無作法であること」を邪剣と言う。

ここではさらに解釈を広げ、「己の鍛錬のために剣を学び、心身の成長を目的とするもの」を正剣、「勝つことに固執し、そのためなら無作法も厭わないもの」を邪剣と仮定義し、剣道の現場に流れる意識的なものの具現化に努めている。


〇剣道界における公立高校

作中の通り、剣道はあらゆる部活動の中でも私立・公立との実力差が比較的拮抗している競技である。(作者の体感が十二分に加味されているため、真実か否かは定かではない)

島原高校(長崎)や安房高校(千葉)など、常に全国トップレベルの成績を残す高校も少なくない。



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