死にたくなる日常と死ぬほどつまらない自分
くそったれな毎日に嫌気が差す。
何のために生きているのかもわからない。
期待するのはもう辞めた。
他人にも。
自分にも。
…家族だけは、まだ少しだけ信じていたいけど。
どこから間違えたのか。
どうすればよかったのか。
“もしも”を考えては「くだらない」と吐き捨て過ぎた事だと諦めるのを何度繰り返したのか。
ただ無為に消費する日々に意味が欲しい。
…最初に「誰かの為に在れたなら」と考えてしまう矛盾した自分に腹が立つ。
他人は信じない癖に他人を求めるあたり矛盾した感情という人間らしい愚かしい感情が邪魔で鬱陶しくイライラする。
「誰かの為に」?
社畜か何か?
死ね!死んでしまえ!他人も!俺も!みんな死ね!
…希死念慮というのだったか。
時々、過激な罵倒をしなければ激情が収まらない時がある。
いや、これは発狂か?
わからん。そしてわりとどうでもいいな。
心の病で死ぬのならそれでも良いし
怒り狂って血管ブチ切れて死ぬのも
無様で無価値な俺にふさわしいしょうもない死に方だろう。
私は社会不適合者だ
間違えた
気をつけてはいるがまだカッコつけが取れない
「ぼく」は大人と言われる歳を超えてもワガママを言い続ける単なる糞餓鬼だ
最近では「子供大人」と言うらしい。
存分に嗤ってくれ
そうすればするだけ私もこの世に未練が無くなる
私の性根は「やらざるを得なくなったからやる」と言う、なんとも怠惰だがある意味単純な性質がある
私は生きるのも死ぬのも面倒臭いが、「家族になんて言われるか億劫だから」「死体の事後処理が大変」「自分が可能な自殺は死亡確率の低い方法ばかり」「痛いのも苦しいのも普通に嫌だ」と言う以上の理由により生きてる方が楽と判断した為生きている
要するに「生きる辛さ」が「死ぬ辛さ」より強いのなら普通に死ぬのである。
そもそも私自身が自分の命と存在に価値を感じて居ない。