第6話 少女と死神の契約
暫く夜空を楽しんでいたが、腕の中のミカは寝てしまったようだ。
全身血と雨に濡れているがとても可愛らしい少女だと思う。月明かりに照らされて彼女の濡れた髪はキラキラと輝いていた。私はその髪をそっと撫でて思わず見入ってしまった。
眼下には先ほどまで厚い雲海が広がっていたがひとしきり雨を降らし満足したかのように散り散りになって消えかけていた。
私は徐々に高度を下げ、ミカの家へと向かうことにする。今度はびしょ濡れになることもなかった。
ふと、地上の方向を見ると何やら騒ぎになっており、その現場はついさっきミカを救出した場所だった。これからどうなるのだろう、ミカは裁きを受けるのか。まさか死神のせいです、何てのは認められるはずないしなあ。と一抹とは言い切れない不安を抱えていた。
私が玄関の扉を開けると、そこには可愛らしい便せんに書かれた2通の手紙が置かれていた。1通はミカの祖母に宛てた手紙であり、私が一番に開けるのは憚られたので、開けずにポケットの中にしまう。そして、もう1通は私宛のようだ。
「あかねちゃんへ
ごめんなさい。わたし、ひとをころしちゃうかもしれない
しにがみさまがきて、おばあちゃんをたすけるために
いきがみさまがいのちをくれるんだって。
ないしょにしててごめんね
しにがみさまのナイフをもつと、おかしいんだ
わるいこでごめんね、なかよくしてくれてありがとう。
だいすきだよ
ミカより」
年齢相応の文章力と、それにそぐわない辛い内容。死神による洗脳もうかがえるものであった。こんな小さな女の子に重荷を背負わせた死神に、相当な憎しみを持っていた。
私はミカを元寝ていた布団に寝かせ、毛布をかけた。よほど疲れていたのか彼女は、起きることなくそのまま熟睡していた。私も休もうと思ったがこれからの事を考えると寝てはいられない。もう間もなく死神がこちらへ向かってくるだろう。別に彼女のことを信用しているわけではないが、必ず約束通り私に12年間分の命を渡してくれる確信があった。
ふと、時計を見上げると時刻は2時40分を示していた。ミカの祖母が死ぬまであと5時間。私は電気もつけないまま暗いリビングへと移動し、椅子に腰を掛ける。ミカと夕飯を食べていた時は朗らかな雰囲気でとても楽しく明るいリビングだったのに今は違う。寝室の物より一回り大きな時計が無機質な音を立てて針を進めている。
台所の蛇口から水滴がぽたぽたと垂れ落ちる音も何故か大きく聞こえる。夜とはそういうものだ、生物や私のような無生物にも平等に恐怖を与える。私はこの静けさに少し身を震わせながら朝を待つ......
ことは出来なかった。私は再びミカの寝ている布団に潜り込み、背中を合わせて横になる。決してこれは寂しいからとかではない、死神が現れた時に私一人では、怒りに任せて戦闘になってしまうかもしれない。その点ミカが居れば落ち着いて対応できるのだ、とっても合理的だろう。
今日1日、私がイキガミとして仕事を始めて以来稀に見る忙しさであった。そして明日ミカが人を殺してしまったことに気が付いてしまった時、どうなってしまうのか。また長い1日になりそうだ、と少し憂鬱な気分となっていた。
しばらく物思いにふけていると、ついに待っていたものが訪れる。不快なオーラを纏うって表れたのは死神、おそらく己のするべきことが終わったのであろう。
「よぉ、例の物を渡しに来たぜ」
「じゃあさっそく貰おうか」
「......いや、出ろよ」
「やだ」
そう、私は布団にくるまったまま死神と対面していた。朝起きれない人間の気持ちが今ならわかってしまう。睡眠が必要ないイキガミにも等しく訪れる温もり、これを感じてしまえば抗うことはできまい。
確固たる意志で布団から出ないことを伝える。しかし死神は不埒にも私の布団をはぎ取ってしまう。
「うぅー...さむい」
そんな騒ぎを聞いて、ミカが目を覚ましてしまった。私はすぐに立ち上がり、死神の前へと立ち憚る。すると死神はけたけたと笑い、ミカに声をかけた。
「おぉーさっきぶりだなぁ、どうだった? 殺しの感覚は」
「おい! お前いい加減に...」
私の静止に死神は、どうせいつか分かってしまうのだから、そんなもの隠してどうする?と一見正論にも聞こえることを言ってきたので
「だったら私が説明する」
「あかねちゃん? ころしって」
ミカが不安そうな顔を見せる、私にはこの子がどの程度まで記憶を残しているかわからないが、少なくとも洗脳前後の記憶を失っているであろうことが推測できた。
私はミカに後ろから抱き着き、頭を撫でて落ち着かせる。そしてゆっくりすべての真実を語ることにした。
ミカが洗脳されてしまっていたこと、そして意識を失っているうちに殺しを行っていたこと、その動機が祖母のためであり恨みでもあったことが死神が横から話していた。
8歳の少女が受け止めるのは余りにもつらい現実、ミカはこれを聞いて黙り込んでしまった。発狂しないのは記憶がなく実感がないからであろうか、それならば隠し通しておきたかった気もしたが、これを隠し通せるとも思えなかった、私が言わなければ死神は必ず少女にこの事実を伝えるだろう、何故なら。
「ああ、そうそう、このナイフは私が預かるから、この意味は分かるよね? イキガミにお嬢ちゃん?」
死神はくるくると器用に、そして楽しそうにナイフを操り、本日何度目であろう気持ちの悪い笑みを見せる。もう少しましな笑い方はできないのか、しかしこの提案は私の不安をぬぐう良いものであった。
てっきり死神は、私と死神の不正の証拠隠滅を行うのかと思っていたが、ミカの分の証拠まで隠滅してくれていたとは。都合がいいから予定通りのようにふるまうことにした。
「わかってる、今回のことはすべて我々の秘密だ、証拠隠滅は済んだんだろう?」
「ああ、ばっちりすべて燃やした、雨による雷が火災の原因になるだろうさ」
「おいおい、それってほかの家族は...」
先程上空で見た騒ぎは死神が起こした火災だったことが判明した。ほかの家族をも皆殺しにしてしまったのだろうか。
「まさか、面倒が増える、とっとと起こして逃がしたさ、燃えたのは家だけだ」
流石の死神でもそこまで非情ではないようだ。いや存外彼女は私よりは理性的なのかもしれないとも思った。
「そしてこれが回収してきた物だ」
死神はおもむろに金色の懐中時計を取り出し、私のほうへ向けて開いた。すると私の銀色の懐中時計も光輝き、手に取ると自動的に開いた。
金色の懐中時計から銀色の懐中時計へ光の道が作られる。何故か有線通信をしているみたいで少し面白いな、と思った。
「お前たちは天界から直接人間に命を渡してるからわからないかもしれないが、この懐中時計は命の保管ができるんだ」
と死神は教えてくれた。私が不思議そうに懐中時計を見ていると、言葉を続け
「使うときは、いつもと同じことを懐中時計から命を取り出してやればいい」
「きもちわるいな、妙に親切で」
「利害の一致だ、誰にも言うなよ当然お前もだ」
急に声をかけられたミカは、少し驚いていたが、はい...と消え入りそうな声で返事をした。
「うむいい返事だ、これで契約終了だな。では私はこの辺で」
死神は最後に皮肉を吐いてどこかへ消えてしまった。彼女が居た後の空間には再び穏やかな空気が流れ始め、静寂が訪れる。私は安堵と不安でどうにかなってしまいそうだった。
確かに死神はミカとの契約?約束を完璧に守った。実際12年間分の命は手に入れたので、ミカの祖母を助けることもできるし、彼女の証拠隠滅により、ミカが逮捕される可能性は限りなく低いだろう、倫理的観点でもミカを悪とする要素はほとんどない。
それはいい、いいとしても。彼女は実際に人を殺してしまったのだ、仮に記憶が全くなかったとしてもそれが確実に起こってしまったことであると、ミカの服が物語っていた。ミカは服についた僅かな血を撫でて俯きながら泣いている。
そして、殺さなくても良かったのに、ごめんなさい、ごめんなさいと床に向かって謝り続けた。亡霊でもいてくれれば、どれ程良いだろう、彼女には弁明する機会も、償う機会も与えられることはない。仮に警察に私が殺したと言っても信じるはずはなく、いたずらとして処理されるだろう。
私は先ほどのようにミカに寄り添い、彼女を抱きしめるしかできなかった。そして私もまた謝り続ける、腕の中で泣き小刻みに震える、か弱い少女に。
ごめんな、ミカ。きみは悪くない。
そんな長い夜も永遠には続かない、満月は山に沈み、段々と空が白みがかってきた。
夜が明けるのは近い。