第4話 ミカの逡巡(前編)
【ミカ視点パートです】
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ミカはおばあちゃんから病室を出るように促され、病院の裏庭へ向かおうとしていたところ、異形の者と遭遇した。その者は黒いローブを纏い、大きな鎌のような刃物を持っていた。
異形の者は死神を名乗りミカの前へと姿を現した。そしてミカにこう語りかける。
「私は君のおばあさんを天に導く為にやってきた。彼女はすぐに死ぬだろう」
ミカは言われている言葉の意味を理解することができなかった。目の前の不気味な生物が死神を名乗っていること。おばあちゃんが死んでしまうこと。
だがしかし、それが嘘や偽りでないことはミカにもすぐに分かった。
死神を名乗る彼女は何もない空間から突然現れ、今も宙に浮いている。そしてどこか重圧感と嫌悪感を漂わせていた。
ミカは少々おどおどしつつも死神に疑問をぶつける。
「なんでおばあちゃんしんじゃうの? わたしいっぱいおねがいしたのに」
ミカはその小さな瞳に涙を溜め震える声でこう続けた。
「わたし、なんだってするから、わたしのいのちあげてもいいから、おばあちゃんをつれていかないで」
そういい終えるとミカは涙をぽろぽろとこぼししゃがみ込んでしまった。死神はその言葉を聞くと何か考え込んだような様子で黙り込んだ。
ミカは泣き続ける、自分の精一杯の祈りが通じなかった無力感。ミカの周囲から次々と身内が消えて行ってしまう理不尽、8歳の少女が抱えるにはあまりにも重くつらい現実であった。
それを見た死神はおもむろに口を開きミカに囁きかける。
「おばあさん、助けたいよなぁ? 私はその方法を知っているんだ」
ミカは驚き死神を見上げる。もし本当にそんな方法があるのなら、命を捧げる覚悟であった。
「しにがみさま、そのほうほうをおしえてください」
「ああ、簡単だ、それは...
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それは、私がこの手で人を殺すこと。ミカはトイレにこもり手に持ったナイフを見つめながら死神に言われたことを思い出していた。
確かにミカには、おばあちゃんを助けるためにどの様なことでもする覚悟があった。自分の命すら投げ出しても良いと。
しかし死神が告げたのはあまりにも残酷な方法、ミカに詳しいことが伝えられることはなかったが、ナイフを手渡し長生きしそうな若い子供を一人殺すように言った。
ミカは葛藤した、あかねにそれを打ち明け助けを求めようかとも思った。しかしそれではあかねを巻き込んでしまう。こんな危険なことに彼女を巻き込めやしない、そう思いミカは口を閉ざしていた。
そして、死神が言うには今夜中に殺さなければおばあちゃんは助からない。ミカには考えている時間の余裕はなかった。
不思議なことにこのナイフを持つと、恐怖心や不安感が薄れていき、本当に人が殺せてしまうような気がしてならなかった。まるで自分が自分ではなくなってしまうかのようであった。
しかし、ナイフを折りたたみ、ポケットの中へしまうと隠れていた不安感や恐怖心が一遍に襲い掛かる。
「ミカ?大丈夫か?」
ミカを心配するあかねの声が聞こえたが、ミカは足がすくんでしまい動くことができなくなっていた。
「だいじょうぶ、ちょっとおなかがいたいの」
あかねに嘘をつき、症状が治まるのを待ってからトイレを後にした。ちなみにしっかりと水は流した。
ミカは心細さからあかねに一緒に寝ようと誘った。布団を一枚しか用意しないなどと少々強引ではあったもののあかねは受け入れてくれた。ミカのこれから行おうとしていることにあかねが気づき引き留めてくれるのではないかという淡い期待も持っていた。
しかし、深夜になりあかねは姿を消した。
ミカが物思いにふけて、うたたねしてしまった隙にどこかへ消えてしまったのである。
黙って帰ってしまったのであろうか、でなければどこへ消えてしまったのか、という疑問も浮かんだが、それよりもミカは選択を迫られていた。
もし、本当に人を殺めるとすれば、今あかねがいないうちに向かわなくてはならない。しかしそのようなことをすれば、おばあちゃんやあかねが悲しんでしまうことくらいは容易に想像がつく。
それに、私が他人を殺めてまで、生かされたと知ったおばあちゃんはどう思うだろうか。そして誰かを殺めるといっても、だれを殺めたらよいか。昼間のいじめっ子の少年か、確かに彼らは苦手だしカバンを投げ捨てられたことは許していないが殺すほどの理由にはならない。
タイムリミットが刻一刻とせまる焦燥感が襲う。ミカは無意識のうちにナイフを掴んでいた。このナイフを掴むと強い恨みや高揚感、おばあちゃんを助けたいという気持ちが高まった。このナイフであの少年をおばあちゃんと殺めれば幸せに暮らせる、そんな思いも相まって自らの利益の為に死神の指示に従い人を殺めることへの躊躇が薄れていた。
気が付くとミカは靴を履き外へ飛び出していた。手にはナイフを持ち寝間着から着替えることもしなかった。田舎の夜は暗く、高く上った満月の明かりと街灯がわずかに道を照らすだけで、畑や周囲の山々は黒く染まっている。
当然人通りなどなく、ナイフを持った少女が寝間着姿で歩いていて誰に不審がられることもなく目的の場所へ向かうことができる。ミカが殺害の標的にするのは昼間の橋でカバンを投げ捨てた大柄の少年。ナイフを持つまでは殺すほどのことはしていない、あんな奴でも殺してしまうのはあまりにも可哀想だ。と言い聞かせていたが今のミカには彼への恨みとおばあちゃんを助けるのだという固い意志があった。
しばらく歩きミカは橋へとたどり着いた。空を見上げると若干雲が掛かっており、美しい満月が見え隠れしていた。
ミカはナイフを握る手を強めた。今までに受けた理不尽な虐め、差別。昼間の件や死神のナイフはきっかけに過ぎなかったのかもしれない。私は私を虐めた奴らに心の底では復讐をしたかったのかもれない。ミカの心の中は憎悪の感情に満ち満ちていた。
更に雲は厚く、満月は完全に雲に隠れてしまった。街灯の明かりのみが照らす、暗い夜道を1歩進む事に負の感情は大きくなり、普段のミカは失われていった。
ミカはあと曲がり角1つで少年の家へ辿り着く、という所まで来ていた。すると遠くにこちらに走って向かってくる人影が見えた。
こんな田舎には深夜に出歩いる人間なんて殆どいないので、不思議に思い隠れて覗いているとその人影があかねである事が分かった。
あかねの顔を見た瞬間、ついさっきまで1人の人間を殺めようとしていた負の感情が消え失せてしまった。ミカはあかねの方へ駆け出すべく身を乗り出そうとした。しかし一向に身体が動かない。誰かに掴まれているような感覚である。
不審に思い振り返ると、そこには死神が立っていた。
「何をしている? ここでお前が逃げたら、お前のばあさんは死んでしまうぞ」
死神は続けて既に少年の部屋の窓の鍵を開けていつでも侵入できるように下準備をしてある事をミカに伝えた。
しかしミカはナイフを持っていても、やはり自分のやろうとしている事は間違っているのではないかと思うようになっていた。
「やっぱりやめるよ。こんなことまちがってる」
そう死神に告げると、持っていたナイフを死神に返そうとした。
死神は不服そうな顔をしてミカの肩を掴んだ。ミカはその行動の意味を理解する事が出来ずにいた。そんなミカに死神は小さな声で囁きかける。
「いいかいミカ、彼は君の大切なカバンを放り捨てた。」
「カバンだけじゃない、普段から君のことを虐めているそうじゃないか」
「だけどここの大人連中に言っても君を守ってくれる者は誰もいない」
「そんな最低な人間達なんか殺して、大切なおばあさんを助けたくはないかい?」
死神は畳み掛ける。言葉そのものと言うよりも、その眼や、オーラに当てられて、ミカは次第に洗脳のような形で正気を失っていってしまう。
そして死神はミカに再びナイフを握らせ、手を離した。
ミカは何が起こっていたのか認識する間もなくその場に倒れ込んでしまう。そして小さな胸に抱いた少年への憎悪の炎は先程よりも確実に大きく燻っている。
ミカは程なくして立ち上がり、ナイフを強く握り直した。