第3話 少女への謀り
ミカはもう寝てしまった。おそらくあれから1時間いや1時間半は経ったか。私はミカを起こさないように気をつけながらそっと布団から出た。
秋の夜は冷える。先程窓から見えていた満月は少し高くなったように思えた。
私は未だに考えを纏めかねていた。ミカの事だけを思えば彼女の祖母に命を渡し生き長らえてもらうのが良いだろう。しかしミカの祖母の発言が頭をよぎる。私達より上の神様が運命を決めて、死神はそれに従い生き過ぎた人間の命を刈り取り、イキガミはその命を分配する。
私が操っているその命は、刈り取られた誰かの命である。それを本来の目的外に使っても良いものか。それに私が今やろうとしている事はそんな事より更に倫理に反している。
私が死神と協力して行おうとしていることは、ミカの命の一部を死神に刈り取って貰い、私がその命を受け取り祖母に分配する。もちろんミカには事前に説明する。未だにこの事を伝えていないのは、本当にそれが可能なのかが定かではないからだ。
それに本来の私達の職務とは真逆の行いなのだ、死神だって協力してくれるかはわからない。だが少し希望を持てるのは、死神は既にミカに接触して私の存在を伝えているのだ。もしかしたら私の考えを理解して協力してくれる心づもりなのかもしれない。
我ながら非常に楽観的な考えを持ちつつ、先程の橋に差し掛かる。
夜の橋は暗く濁流の轟音が恐怖を掻き立てている。私はふと橋の欄干に寄り掛かり、下を眺める。闇夜である事も相まって真っ黒になった川の流れは未だに速く、この川の流れに人間が飲み込まれたらまず間違いなく命を刈り取られるだろう。まるで死神のようだなと思った。
あれから更に2,30分ほど歩き、昼間訪れた病院を見上げる。同じ建築物でも昼と夜では様相がまるで違うもので、夜の病院はどこか不気味な雰囲気を醸し出している。
私は意を決して病院の中に忍び込んだ。消灯時間はとっくに過ぎており中は薄暗く、外見以上に重い空気をまとった様子であった。もっとも、今のこの空気感は夜の病院独特のものと言うより死神の影響が大きいのであろう。
誰もいない受付の前を通り過ぎ、約束の場所である女子トイレの1番奥の個室のドアの前に立つ。トイレの花子さんが出てきやしないだろうなと考えていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「随分と早いな。真面目なこった」
私は驚き仰け反って、ドアに頭をぶつけてしまった。
「驚かすなよ」
「お前がビビリなだけだと思うが」
「私はビビりじゃない……」
この死神には私がビビりではない事を力説してやりたいが生憎そのような事に使っている時間はないので、本題に入ることにした。まず私は、私が考えていたミカから寿命を刈り取り、ミカの祖母に分配する案は実行可能かを質問した。すると死神は
「実行は可能だが、上手くはいかないだろう」
と、言い放ちその理由として、死神が刈り取った命は一度天界預かりとなりイキガミに分配してもらうことになるので、私が正当な手段で命を与えるのと同じ結果になるであろう事をあげた。当然私が原則命を与えるべき対象ではない老人に命を与えた事が明らかになれば、与えられた命は死神によって刈り取られることになるだろう。
実際私の考えていたようなことが可能なら死神とイキガミが結託し人間の命を弄ぶこともできてしまう。私は自分の浅慮を恥じた。
「まあ、まったく手段がないわけではないが」
と死神は言い、私にどの程度命を与えたいのかを聞いた。私は少し考えたがやはりミカが成人するまでの12年間が良いと思いその旨を伝えた。
「ちょっと待て、それじゃあ初めにお前が言った案だとミカは死ぬじゃないか」
私は死神の突拍子もない発言に驚いた。だってまだミカは8歳であり平均寿命の80歳まで生きるとしても72年はある。
そんな顔をしていたのか、私の心を読めるのかは定かではないが、死神は呆れた顔で
「早めに死ぬ運命の人間だっているだろう」
なるほどそれはその通りだ。正直私には生と死と運命についてよくわかっていない部分が多い、それは私がまだ新参のイキガミだからであり、イキガミにも死神にも新人講習などは存在しない。まったくブラックである。
するとやはりそんな私の心の中を見透かしたのか、死神が
「私の知っている範囲でよければ色々教えようか」
と言ってくるではないか。
「あの、心読むのやめてくれない」
「いや、顔に書いている」
なに、やはり顔だったか、どうやら私は顔に出やすいタイプのようだ。恥ずかしい。
だがしかし、ここで色々知れるのはありがたい。言いたいことは沢山あったがこらえることにした。
まず死神が語ったのは運命について、人は生まれながらに死ぬ時期というものが決まっている。そして時期がこれば死に至る病や地震、台風、火事、事故など、人災天災問わず死に至らしめる何らかが起こる。
しかし、それは人間が他の動物と同程度であることを前提であり、近年では運命によって決められた寿命で死ぬことのない人間が増えてきていた。とは言え不老不死になるわけではないので、何らかの要因で概ね100歳前後には死んでしまうと、ここまでは私でも知っていた。
さらに続けて、命について語ってくれた。私たちが刈り取り再分配をしている命は、生物なら全てのものが運命によって決められた量のみ保有している。しかし命が尽きれば死ぬかと言われればそういう訳でもない。命が尽きた生物の魂は周囲から命を奪い取ってしまうのだ。
つまり運命に従わない事が問題と言うよりは、命を奪い取ることが問題視され死神が命を奪い取り周囲の命を奪い取る前に天に還してしまう。という訳だ。
そして私達イキガミは寿命が訪れて命が尽きかけている人間に命を与える。だけではなく、寿命の延長を同時に行っているようだ。運命によって決められた寿命の延長を行うことによって死に至らしめる事態を回避するという事だ。
そして私達が天界に帰った後提出している書類が寿命延長の正式申請書となっていたらしい。だからそれで却下となると死神によって強制的な死を与えられるのである。
今目の前にいる死神は私よりずっと長く神様をやっているのでその辺の事情にはかなり詳しい。私は初めてこの死神を尊敬の眼差しで見つめた。
「本当に何も知らなかったんだなぁ...」
どうやら死神は私の無知にかなり呆れられているようだ。そんな事より気になることがある。
「どうしてミカの寿命がわかったんだよ」
「は?これを見ただけだよ」
そういうと死神はポケットから金色の懐中時計を取り出した。中を覗くと真っ黒で何も書かれていなかった。
「なにこれ何も見えない」
「え、これ使ったことないの」
死神は目を丸くして驚いていた。しかし私はこんなもの使ったこともないし、見たことだってない。
「お前のズボンにくっついてるそれはなんだよ」
そう言われて自分の腰のあたりを見てみると銀色の懐中時計がくっついていた。
「あれなんだこれ」
「ウッソだろお前」
そんなこと言われても全く説明されてないし知らなかったものは仕方ない。寿命が見れるなんて便利なものがあるならもっと早く言ってほしい。
私がむすっとした顔をすると、懐中時計の使い方を教えてくれた。
「全く今までどうやって仕事をこなしてきたんだ」
「死神に出会ったらここらへんで死ぬ人教えてもらってた」
「えらく迷惑なイキガミだな」
私は死神から迷惑がられていたのかもしれない、そう思うと少し悲しい気分になった。
「それで、いつ頃ミカは死んじゃうの?」
「だいたい、7年先くらいかな」
7年か、今すぐ私が命を渡すことはできないが15歳であれば仕事の対象になるだろう。本当は今すぐにでも渡したいが。
しかし、今はミカの祖母に命を渡す方法を再考しなくてはならない。タイムリミットは刻一刻と迫っている。私が無言になり新たな案を考えていると死神が口を開く。
「ミカの祖母を助ける方法はある。そして私はそれに向けて既に動いている」
「本当か!? どんな方法なんだ?」
私は目を輝かせた、まさか死神がこんなに協力的だとは思わなかった。それに有効な方法をすでに考えてくれていたなんて。彼女は不気味な笑顔でこう語る。
「実は死神が命を天界を経由せずに保有する方法が一つだけある」
「えっバレちゃうんじゃないの」
「普通にやったら、な」
意味深な言葉を吐き死神はその仕組みについて話してくれた。
彼女が言うには、人間が殺し殺されをするのは運命に基づいた寿命として扱われるが、それには例外があり、死神やイキガミなどの『神』が何らかの形でかかわると、人間はその命や運命に関わらず死に至ることがある。
そしてそうなった場合、使用されなかった命は勝手に天界に還ることはなく、周囲に浮遊している状態になるらしい。死神のあまり知られていない業務の一つにそのような命の回収があるが、そのような事態は積極的に神が人間に干渉しない限りほとんど起こり得ない事なので、ほとんど注目されることはないし、そこで回収した命は自己申告で天界に返却することになっているのでそれを利用するということである。
なるほどそれなら確かに天界の感知はなく命の移行ができるかもしれない。しかし疑問がある。
「命だけあげても寿命が延びなければ死神に殺されちゃうんじゃない?」
「いいところに気が付いたな、だが大丈夫だ」
「お前は天界がどのようにして寿命を無視して命を周囲から奪っている人間を見つけると思う?」
そんな難しいこと私に聞かれてもわからないしそんなもの死神の仕事じゃないか、と思い不満な顔を見せた。
そんな私をバカにして笑いながら死神は言葉をつづける。
「じゃあ人間が命を周囲から奪い取った時奪い取られた側はどうなると思う?」
「死んじゃうの?」
「いいや違う、さらに周囲から奪い取る」
「それで巡り巡り天界にも少なからず影響が表れて発見される」
発見された中でより悪質なものを死神が刈り取っているらしい。そしてこの発見システムには欠陥があり、天界を通さず、かつ周囲から奪わずに命を与えられたときは発見できないのだということを教えてくれた。
「でも私たちが影響を及ぼして誰かを殺すってどうやるの?死神の力を使えばバレるでしょ?」
「うむ、力を使わなくても私たちが直接手を下せばバレてしまう」
「じゃあどうするのさ」
「だから私はもうすでに手を打ってるって」
死神はまさに死神と呼ぶにふさわしい気持ちの悪い笑顔を見せた、何故だか私は生理的な嫌悪感を抱く。イキガミの私ですらこの不気味なオーラに圧倒されているのだから人間が死神を見てしまったら耐え難い恐怖に慄くのも無理はないだろう。
私は少し引き気味にその打った手はどのようなものなのかと聞いた。
「ミカに若い人間を一人殺させる」
...
...
...
私は目の前の死神が何を言っているのかを理解するのに数秒の時間を要した。いや私の中では1時間にも2時間にも感じられた。
「おい、それってどういう?」
「言葉通りの意味だが?」
「なぜミカに殺させるんだ!」
私は思わず声を荒げてしまう。夜の病院だ、気を付けなくては。しかしミカはまだ8歳だ、それにあんなに小さな可愛くて素直な子だ。そんな子に殺しなんかさせてたまるか。
「ミカの祖母を助けるんだ、ミカに働いてもらって何が悪い?」
「まさかイキガミのくせに、人を殺すのはよくないと思うとでも言うか? さんざん人間の運命を操っている私たちが、それを言う資格があるのか?」
死神の言っていることは正しい、正しいんだ。私たちイキガミや死神は基本人間の生死には無関心であるべきである。それを私情で生き長らえさせたいというのだから私のほうが間違っている。
その間違っていることに協力してくれている死神に怒りをぶつけるのはお門違いなこともわかっている、しかし
「なんでミカにそんなこと...それであの子はなんて言っていた」
「さあ、事実を伝えた後。この提案を持ち掛けて私は消えたからそのあとのことは知らん」
「ミカはまだ8歳だ殺しなんかできないだろう」
「私が殺し方と、特製のナイフを一本くれてやった。ナイフは地上製だから大丈夫だ」
「そうそうもし本当に殺すことができたなら、本当はミカが死ぬまでの7年のつもりだったがお前が寿命を延ばすんだろうし12年分はくれてやろう」
あまりの手際の良さに私は呆気に取られてしまった。まるで前々から計画、いやこれまでも同じような手段で...
ああ私は、死神が何故私のわがままに付き合っているのかが少しわかった気がする。それは、きっと...
「なあイキガミさんよぉ、私がお前の為に協力しているとでも思ってたのか?」
死神は私の思考を遮るように聞いてきた。彼女たち死神は性格は曲がり意地が悪く何を考えているかわからないやつが多い。だがそんな中にも情のある奴がいるものだと思ってしまっていた。そんなはずないのに。
私は自分の愚かさを悔いた、いろいろ教えてくれたから親切にされたと思っていた。いい奴だとも思ってしまっていた。
「お前の目的はなんだ、死神」
すると死神は私を嘲るような目つきで
「それはお前には関係ない」
と言い放った。
「じゃあ質問を変えようか、残った命をどうする」
「天界に還すのさ、そういうルールだからな」
死神は薄ら笑いを浮かべながらそう言った。そんなものが嘘なのはあまり頭のよくない私にだってわかる。しかし私に反論の余地なんかない。
「おい、イキガミ。平和に生きたいよなぁ? 賢い選択をしろよ」
私は神様で生きてなどいない。が、死神の言ってることはそういうことだろう。私のわがままに協力する代わりに彼女の計画にも協力させられる。それはいい、しかしミカを巻き込むのは絶対に許容できない。
「私はミカを止める」
「好きにしな、自身の唯一の身内の死を目の前にした欲深き人間が、どのような行動をとるか楽しみだな」
「ミカはそんな子じゃない!」
私は強く言い放ち、トイレの扉に手をかけた。
「そうそう、カバン可哀想にな。そんなことされたら殺したくならねえか? なあ」
「まさか、あれもお前が...ミカに恨みの念を持たせるために...」
「さあ、そうとは言ってないだろ?」
「ふざけるなよお前!!」
私は夜の病院であることを忘れ再び大声で叫んでしまった。そして死神の胸ぐらをつかみ、私の存在と引き換えにしてでも消してやろうかとも思った。
「ふはは、怒るな怒るな、それに今私に手をかけてみろ? ミカの祖母は確実に死ぬ」
「それに、そんなことしている間にミカはもう人を殺してしまうだろうさ」
いくら祖母を助けるためとは言え、いくら恨みができたからとは言えミカは人を殺すような子ではない。そう信じたかったが怖かった。もしかしたら、と思ってしまう。
私は死神から手を離すとすぐにトイレを飛び出し、病院の外へ出た。途中大声を聞いた看護婦が見回りに来ており、発見されたかもしれないがそんなことを気にしている時間は私にはなかった。
外へ出るときれいな満月は雲に隠れ見えなくなっていた。夜空には月や星の明かりが消え、より一層闇が深まっていた。
私は先ほどよりさらに暗く寒い道をミカを探しながら引き返す。ミカが家に居てくれる事を強く願いながら。
ミカ、信じてるよ。