9. そして
トラックごとの転移はあっさり成功した。
トミーさん、マリーさん宅に、側面に大きく「カインズホーム」と書かれたトラックで乗り付けると驚かれた。
この世界では、車と言えば馬車のことである。内燃機関はおろか、スチーム機関も存在しない……少なくとも、マリーさんの知っている範囲では。
「あんたら……すごいね」
マリーさんには太郎ちゃんも魔法使いに見えてきたらしい。さらに太郎ちゃんが電動工具を使い始めると、その作業の速さに今度はトミーさんが興奮した。
「太郎ちゃん、ありがとう。すごいね君の道具」
太郎ちゃんは私を睨んだ。“この人たちに『太郎ちゃん』を仕込んだな”という訳である。私はクスッと笑った。
「そういえば、竜はどこに行っちゃったんですか?」
ふと疑問に思い、私はマリーさんに聞いてみた。
「う~ん、判んないねえ」
マリーさんトミーさんの話によれば、竜は一種の鳥類だそうである。卵を産む為に巣を作るが、竜の巣の構造は人間の街に似た所があり、一部の竜が最近巣作りに人間の街をそのまま利用するようになってしまった、とのこと。これに対して人間の武器は竜にまったく歯が立たず、基本的にはあきらめるしかない、とのことであった。
「今回、我々の街は、あの竜が巣にするには何かが足りなくて立ち去ってくれたようだけど、本格的に巣にされちゃった場合、最悪卵から孵った雛達が暴れて、人間の側が街を捨てざるを得なくなったりするんだよ。今回は立ち去ってくれて本当に良かった」
トミーさんはしみじみと語った。
夕方には、トミーさん、マリーさん宅の補修作業はおおよそ終了した。
その間、太郎ちゃんの周りは見学者が絶えなかった。
「ぜひうちも頼む」
という近所の人々のお願いに
「はい」
と言いそうになる太郎ちゃんを私は何べんも止めなければならなかった。
「それではそろそろ私達は帰ります」
作業が一通り終わると、私達は持ってきた荷物トラックに積み、お別れ切り出した。
「今回は本当に助かったよ、ありがとう」
「ね、夕食ぐらい食べていかないかい」
一日中大工仕事をしていたせいか、私達はおなかが空いていた。マリーさん達のつくった夕食はおいしそうなにおいがしていた。なにより、このままこの場を立ち去るのは、名残惜しかった。
太郎ちゃんが私を振り返って見つめたので、私はうなづいた。
「じゃ、ごちそうになっていきます」
太郎ちゃんが言った。
「この子達も食べていくって」
マリーさんが後ろを振り返ってそう言った。
おーという被災者仲間の歓声が上がった。夕食は被災者が集まって合同での食事会である。今日一日で私達はなんとなくみなさんの仲間に入れてもらっていた。
夕食は楽しかった。食事は正直を言うとうまみが足らずイマイチであったが、こちらの世界のこと、私達の世界のこと、話をしたいことが山のようにあった。
「油を霧状に飛ばして火を付けると油が一気に燃えてバンッと空気が膨らむんですよ。この燃焼をピストン内で行うと、膨らんだ空気がピストンが押して、その力であのタイヤを回して」
……話題が理系ですみません。
「街の周りに塀が無いと、魔物や獣が入って来ちゃうんだよ。昔は塀じゃなくて柵を使ってたんで、夜衛が大変でね」
……それで堀が……なるほど。
「狼ってこっちにも居るんですか。我々の住んでいる地域にはあの狼を神様と考える信仰があるんですけど、近年その信仰は消えかけてまして……」
……知る人ぞ知る、三峰神社ネタです。昔は日本中にあった狼信仰が、現在では埼玉の山奥にのみ存続している、という埼玉トリビアです。
……突然、誰かが絶望的な叫び声をあげた。
「竜だ!」
上空を、一度飛び去った筈の竜が舞い戻ってきていた。
竜は二匹いた。そのうち一匹が、今回被害の中心となった辺りに降り立った。大量の樹木のようなものをかかえて……。
さっきまでにぎやかだった晩餐の席が静かになり、皆、黙って竜を見ていた。
「もう…だめだ。この街はおしまいだ」
誰かがつぶやいた。
突然、鐘の音が響いた。カンカンカン、カンカンカン。鐘は街中の複数個所で叩かれいるようだった。
「行ってくる」
トミーさんの隣に座っていた男性が立ち上がった。
「ああ」
「頼んだ」
何人かが彼に声をかけた。
「あの鐘は何ですか? 」
私は隣のマリーさんに聞いてみた。
マリーさんは、初めて見せる悲壮な表情で、こんな説明をしてくれた。
「町会の緊急招集の鐘だよ。これからあたしたちはこの街を捨てて放浪の旅に出なきゃならない。どこを目指すのか、あてはあるのか、準備はどうするのか、地域の代表者が集まって相談するんだよ。家をせっかくあんなに綺麗に補修してもらったのに結局無駄になっちゃった。ごめんね」
太郎ちゃんを見ると、太郎ちゃんは私が視線を合わせるのを待っていた。
「杏奈、もうすこしこの人たちに付き合ってもいいか」
「私達に何ができると?」
「わからない。いや、少なくとも荷物運びぐらいなら」
そんなことをしても、たいして街の人たちは助からない。むしろ足手まといにすらなりかねない。そんなことは太郎ちゃんだって百も承知な筈だ。
ただ、私もこのままここを立ち去る気はしなかった。私達に何かできることは無いのか……。
太郎ちゃんの顔をみていたら、とんでもないアイディアが浮かんだ。
「あの……私、あの竜を倒せるかも」
そうつぶやいたとたん、怒号のような非難の声が飛んできた。
「何言ってんだ!」
「あの竜はお嬢ちゃんが考えてるよりずっと、とんでもなく強いぞ」
「人類が太刀打ちできるような存在じゃない」
「いままで何人の男たちが竜にむざむざ殺されたとおもってんの。ふざけたこと言わないで」
現地の人にとって竜は不可侵の、人知を遥かに凌駕する、畏怖すべき存在であることを改めて認識させられた。
宴席にいた全員の視線が私に集まっていた。悲しみと怒りの混じった目で……ただマリーさんを含めて数人の目には微かな希望が混じっていた。
「頼む」
太郎ちゃんが言った。
「いってくる」
そういうと私は一度元の世界、ショッピングセンターの駐車場にもどり、そこから竜の頭の上に飛んだ。
竜の頭の上に落ちると、頭を両手でつかんだ。竜の頭は、もっとごつごつしているかと思ったが、細かい羽毛に覆われ、意外と柔らかかった。
竜が私の存在に気が付き、ビクッと反応した。
私は竜の首から上"だけ"を“自分”の範囲であると認識し、元の世界に戻った。竜の首から上“だけ”がショッピングセンターの駐車場に転がった。
竜の血は赤かった。駐車場に散らばった血糊を見ながら私は「ごめんなさい。こんど絶対にお買い物に来ます」と心の中でつぶやいた。現実世界は今日は雨であったが、春の雨は弱く、竜の血をすべて洗い流すほどの勢いは無かった。
竜の首は、ものすごい形相で私を睨んでいた。私は竜の頭から手をはなさず、もう一度異世界の、竜本体からは少し離れた場所に飛び、竜の首を投げ捨てた。
それからもう一度駐車場経由で元の宴席に戻った。
遠くで、首を失った竜が倒れていくのが見えた。
宴席のみんなが、この人数でこんな大きな声が出るのかと驚くような怒号? 歓声? 驚愕と畏怖と狂喜の入り混じった訳の分からない叫び声をあげていた。マリーさんは「Cool! Cool! Cool! Cool!」と熱くなって私の背中を叩ていていた。私も一緒に歓喜の中に加わりたかったが、一気に何度も飛んだのでおなかが痛く、それどころではなかった。
「ただいま」
太郎ちゃんにそれだけ言うと、私はその場でうずくまった。
鼓膜が破れそうな叫換の中、
「もう一匹の竜が逃げてくぞ!」
という声と、
「大丈夫か杏奈」
という声だけは聞き取った。