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6. さてさて

 翌朝目覚ましの音で目覚めると、体中が筋肉痛で、おまけに頭の奥まで痛かった。私は体力には自信があるつもりでいたが、長い受験生生活ですっかり体が鈍ってしまっていたらしい。昨夜はお風呂の中でも居眠りをし、結局ろくに夕食も食べずに寝てしまった。


 目覚める直前、なにか幸せな夢をみた。


 私はかまどで朝食用のパンを焼きながら、スープの具材を切っていた。子供達と夫はまだ寝ている。窓から外を見ると、昨夜観た異世界が平和を取り戻し、爽やかに晴れ上がった空の元、朝早い商人たちが荷車や馬車で通りを行きかっていた。


「おはよう」


 夫が起きてきたので


「おはよう」


 と言いつつ振り返った…ところで目覚ましに叩き起こされた。


 なんでこのタイミングで鳴るかな。もうちょっとで夫の……夫になる人の顔が見れたのに。……というか、異世界で主婦?いやいや、私にはこちらの世界でやりたいことがいっぱいあって……でも、何か幸せだったな。あんな人生もいいかも。


 そういえば寝る前に1件だけひどいうそをついた。


 昨夜、堀くんは当然ながら家に帰っていない(それどころかこの世界に帰ってきていない)。そのことで堀くんのご両親に騒がれてしまうと、どう考えても探求先が私になってしまう。その場合、上手い言い訳を考える自信がない。


 そこで、新歓で堀くんがべろべろに酔っ払い、先輩の下宿先に泊めてもらった、と堀くんのお母さんに連絡を入れたのだ。


 堀くんの家には一度だけみんなでお邪魔したことがある。一度だけしか会ったことのない私のことをお母さんは何故か覚えていてくれ、疑うことなく私の話を信じてくれた。


 こういう純真な人がああいう子を育てるのか、と思うと、ちょっとうらやましくも感じられ、その分心が痛んだ。


 もう一つ思い出した。電話中に1つ、面白いネタを拾ったのだった。べろべろ、の辺りでお母さんは相当驚いたらしく「えっ、太郎ちゃんが……」とつぶやいたのだ。あいつ、家では「太郎ちゃん」なのか。今度からかってやろう。


 ぼーっとしつつ階段を降りると、母が朝食のパンを食べていた。父はもう出かけた模様だ。窓の外を見ると、今朝は雨降りであった。


「おはよう、杏奈。今日大学は何時から?」


「今日は休みになったから、柚葉と一緒に留守番してるよ」


 うそである。大学の方は今日から早速授業が開始され、必修の授業などもあるのだが、今日はそれどころではなく、なんとしてでも堀くんを探し出さねばならなかった。彼のことだから、なんとか一日ぐらいは生き延びてくれていると思うが、二日も三日も経ってしまったらどうなってしまうか判らない。

 

 ふと、もしも今日、楓ちゃんと高橋くんが会話をする機会があれば、堀くんと私は恋の病で休暇、というストーリーが出来上がることに気が付いた。……ったく、もう。昨日はなんという一日だったのであろうか。


「へえ、そうなの。学生はいいわね」


 母はあと30分もすればパートに出かける。


「じゃあ、後片付けよろしく! あと、洗濯機回しちゃったから、柚葉と一緒に干しといてね」


 なんか、家事を押し付けられた。


 昨夜は何故か頭が回らなかったが、朝、コーヒーを飲みながら考えると、堀くんを探す良い方法に簡単に気が付いた。


 現地の人に尋ねて回ればよかったのだ。


 何でこんなことに気が付かなったのか、自分でも不思議であった。


 ところで ――頭が回るようになると、つまらないことが気になってしまった―― 向こうに跳ぶときなぜ服もついてくるのであろう。“私”が飛ぶのであれば、異世界に出現する私はすっぽんぽんの筈である。

 

 考えても正解が出てくる筈のない問いであったが、なんとなく予想するに、ここまでが“自分”と認識している範囲、いわゆるパーソナルスペース内にあるものが全て一緒に飛ぶのではないだろうか、という気がした。


 しかしそうすると、一回目の転移で堀くんが一緒に転移したのは、堀くんを自分の一部と考えていたからということになってしまうが? うーん、ま、いいや。


 さて、向こうに跳ぶ場合は、こちら側に味方を作っておいた方が良いことも昨夜学んだ。こんな時便利なのが……もとい、頼りになるのが姉妹である。


 妹の柚葉は高校生で、今日はまだ春休みの為思いっきり寝坊を満喫していた。


「柚葉、起きて」


「あ?」


「起きて。すごく大切なお願いがあるの」


「パス」


 何度揺すっても寝込もうとする妹のかけ布団を引っぺがした。


「何すんだよ姉ちゃん。姉妹でもやっていいことと悪いことが……」


「ごめんね柚葉。でもこんなこと、他の誰にも頼めないから」


 私の目をしばらく見ていた柚葉は、私の切迫感をすこし感じとってくれたらしく、しぶしぶ起きてくれた。


 妹をなだめすかして着替えさせつつ自分も着替えると、私の部屋にレジャーシートを広げ、その上に二人でスニーカーで立った。私は異世界人になるべく違和感を抱かせないよう、シルクっぽい無地のシャツにワイドパンツ、妹もそれに近いラフな格好だ。


「姉ちゃん、何なんだよ。いい加減説明してくれよ」


「柚葉、後ろ向いて」


 柚葉に後ろを向かせると、後ろから柚葉をしっかり抱きしめた。さっきの自問、どこまで一緒に飛ぶのかも同時に確かめたかった。


「な、何!?」


「柚葉、動かないでよ」


 そう声をかけると、私は異世界の街外れに飛んだ。飛ぶ際、妹を連れていくことにあっさり成功した。パーソナルスペース内のものが一緒に転移する、という解釈でおおよそ正解のようであった。


「……」


 彼女の性格から、きっと悲鳴を上げるだろうと思っていたが、柚葉は言葉を失っていた。


 異世界は快晴の朝であった。今朝見た夢の通り、主に商人だと思われる人々が、ある人は荷車を引き、ある人は馬車に乗って街を行きかっていた。道の両側には中世ヨーロッパ風の、可愛い家々が並んでいた。


「ね、ねえちゃん」


 柚葉が何かを言いたげであったが、そのまま私は柚葉とともに自分の部屋に戻った。そして説明を始めた。


「姉ちゃん、あそこに人を一人置いてきちゃった」


 それから私は妹に昨日起きた出来事を冒頭から順番に話して聞かせた。妹は一度“異世界”を見ているので、素直に私の話を受け入れてくれた。


「わかった。こっちの世界はあたしが留守番しとくから、その堀さんって人を探しにいってきな」

 

 話を終えると、妹はそう言ってくれた。


「ありがとう。でもその前に、あともう一つ確認したいことがあるんだけど、もう一回協力してもらえる?」


「了解」


 さっきと同様、私はレジャーシートの上で妹を後ろから抱きしめた。抱きしめながら、妹を“嫌いだ、こいつは嫌いなやつだ”と自分に無理やり言い聞かせながら移転をしてみた。


 異世界へは自分ひとりが移転した。


 すぐに戻ると、腕に妹の感触が戻った。


 妹から手を放し、彼女の背中を両手でポンと叩いた。


「ありがと、だいたい解った。じゃ、行ってくるね」


「よし、いけ、姉ちゃん」


 私は妹のガッツポーズに見送られて、異世界へ飛んだ。

〇〇〇 埼玉マメ知識、その3 〇〇〇


 秩父に行くと、その醜い姿に誰もが驚く武甲山。いまでは単なるセメントの摂取場所に落ちぶれてしまっていますが、江戸時代までは武蔵国を代表する名峰でした。あの伊能忠敬も富士山や筑波山と並び、測量時の基準点としたほどです。


 あの日本三大曳山祭の一つ、秩父の夜祭が武甲山を称えるお祭りだって知ってました?

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