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今日の記憶――日が沈むまで・2

 結局、姉にはなにも話さず――というか、話せずに、家を出てきてしまった。



『話すってゆったー嘘つきー!』という声が背後から聞こえていたけど、それどころではなかったから。


 ビルとビルの間に、夕日が沈み始めている。


 腕時計で時間を確認して、ずいぶん日が暮れるのが早くなったな……なんて暢気に考えている場合じゃない。


 こんなところ、絶対戻ってこないって思ってたのに。


「……なんで来れちゃったんだろう」


 一度しか来たことがない街。


 地理にも詳しくなくて、しかも前に来たときは夕暮れだったから、どこに何があるかなんて、ほとんど覚えてないのに。


 私は歩いた。


 迷うことはなかった。


 なぜ、駅をおりてからすぐ、あの花屋の角をまがったのか。 


 なぜ、大通りから、あのちいさな路地をえらんだのか。



 薄暗い路地を、幾度も幾度も角をまがって進んでいくのか。


 ……なぜ、疑問に思おうとしないのか。


 足を、止めないのか。


 生まれたさきから、消えていってしまう思考。


 そこにたどり着いたとき、そんな疑問などははたいしたことのない事柄だというように薄れていく。


 まるで、毎日歩いている通学路……考え事をしていたら、いつのまにか家についてしまっていた時のような感じで。


(むかし、こんなところを歩いたことがあったような……なんだろう、この感じは)


 かすかな違和感だけを残して。


(ここだ。間違いない)


 間違いない、けど。


 夜と昼とで、ひどく印象の違う店だった。


――あの男の人と話した喫茶店。


 あの人に手をひかれてここに来たときは、ショックのせいかボーッとしていて、お店を観察する余裕もなかった。


 夜帰る時に見た店は、お酒を出すバーみたいな……大人でなければ到底入れないようなお店に見えたけど。


 いま、夕暮れのなかでみるお店は……カントリー調の、手作りスイーツが売りです、みたいな喫茶店にみえる。


 ……ネオンとか、照明のせいかな。


 同じ道路の並びにある他の店の照明がつき始めるなか、なぜか、その店の看板や灯りは暗いままだ。


 それでも、営業はしているらしい。


 古びたドアと“営業中”の札を睨みながら、私は緊張をほぐすように息を吐き出した。


 それでも、ちっとも楽にはならない。


 肩と首がガチガチに固まって痛んでいる。


 緊張すると、いつもこうなる。

 

 いたたまれないような、胸のざわめきが止まらない。


 逃げ出したい。


 でも、また、“あんなふう”になってしまったら?


 姉や母は、あの時の私をどう思っただろう。


 彼女たちは、家族だからまだいい。



 でも、ほかの誰かの前で“あんなふう”になってしまったら?


 なんて思われるだろう。


 どんな目で見られるだろう。


 なんて言われるだろう。


 想像しただけで苦しくなる。


 首を振って、架空の痛みを振り払う。


「……あの人にあってから、おかしくなった」


 ぼんやりして、とりとめない記憶。


 でも、あのとき、何かが自分のなかで切り替わってしまった……気がする。



『君は、自分がキライなんですね。』


 うるさい。


『――“ひとり”だから。』


 なにがわかるの。


 わかってほしくもない。


(土足で他人の心に入ってくるヒトたち)


(なにもわかってないくせに)


(なんでそんなこというの)



 ――どうしてこんなにも、他人の視線を恐れているのか。


 そんなこと、考えたくもない。




 頭が痛くなりそうだった。


 私はあわてて、目の前の扉に視線をもどす。


 とにかく、今はあの人に会うしかない。


 ここにいるかどうかはわからない……いない可能性の方が高い、というか……いるわけない、かも。


 いたとしても、なにを話せばいいのだろう。


(……私、あなたと会ってからおかしくなってしまったんです……?)


 別のイミの告白のようだ。


「でも、他に手がかりなんか無いんだから」


 いいわけするみたいにつぶやいて、ドアのノブに手をかけようとした……それよりも一瞬はやく、扉があいた。


「――痛ッ」


 突然、勢いよく開いた扉に、肩をぶつけてしまった。


(……額でなくて、よかった)


 さすがにそれは恥ずかしすぎる。


 店の中から扉を開けたのは、私と同じくらいか、もしくは少し下の年齢くらいの少年だった。


 私を見上げる目が鋭い。


 白目が澄んで、青みがかってみえる。


「あ、すみません……」


 ぶつけられたのは私なのに、ついクセで謝罪の言葉が出てしまう。


 このクセは、姉に注意されたことがある。


(……悪くない人間が謝るのって、絶対おかしいよ、って)


 卑屈だってことをいいたいのだろう。


 でも、なんの問題も無く事が済むなら、いいんじゃないかな、と思う。


 なんの問題も無く……。




「どけ。


 ブス。


 ジャマ。」



「……!」


 た、確かにしばらくぼけっとしていたかもしれない。


 でも、突然扉がひらいて、注意不足はお互い様なはずで、痛い思いをしたのは私なわけで。


 頭の中をいろんな思いが一瞬にして駆け巡った。


 けれど、けっきょく何もいえないで、私は“ジャマ”にならないように扉から数歩離れた。


 少年は一瞥すらなく歩き去った。


 ――神様、私はなにか悪いことでもしたんでしょうか?

 

 最近ロクな目にあっていないような気がするのですが。


 ふうっと、地面を見つめてため息を零す。

 

「あ、」

 

 足元に、なにか落ちている。


 鍵……大きさからすると、家の鍵かなにかだろうか。


 私はそれを拾い上げた。


 これは、たぶんぶつかった拍子に“彼”が落としたものだろう。


 渡してあげないといけない。


 けど、あの睨み据えるような視線を思い出すと、躊躇してしまう。


 もしも、万が一、この鍵が彼のものでなかったら。



 また、


(ブスとかブスとかブスとか……言われそうだ。


 いや、確実に言われる。ものすごくそんな予感がする)


 その単語は、自分で自分に言うのはどうってことなくても、他人に言われると破壊力抜群なのだ。


(ど、どうしよう……)


 鍵を握り締めたまま、オロオロしてしまう。


 家の鍵を失くしたりしたら、困るだろうな。


 防犯上でも、すごく不安になるだろうし。


 でも、怖い。


 見つけなきゃよかった。


 ……でも、見つけてしまったし。


 そんなふうに、ひとり悩んでいる間に、彼は路地の角を曲がろうとしていて……このままでは、見失ってしまう。



「あ、あの、ちょっと待って」


 あわてて声をかけると、彼が立ち止まったのがみえた。


 夕日の赤い光はもうすっかり消えてしまっていて、街灯のぼんやりとした光が路地を照らしている。


「こ、この鍵……」


 彼は立ち止まったまま、こちらに来る気配は無い。


 仕方なく、私は彼のほうへと歩き出した。


 鍵を届けるために。


 まだ、あの目が怖くてしょうがなかったけど。



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