Part 2-1
Accuracy International Ltd. Portsmouth ,UK Mar. 26th 2014
2014年3月26日 イギリス ポーツマス アキュラシー・インターナショナル株式会社
ウィリアムが教え始めて、まだ一時間も経っていないだろうと麗香は思った。それなのにまる一日、教えを乞うていた様な疲労感があった。
何がそうさせるのかしら? それは彼の知識がダイレクトに命に関わってくる事に他ならないと彼女は気がついた。一つでも疎かにしたら自分の命が微塵もなく破壊される予感があった──私が軍に入らない事がハッキリとしているのに、この危機感はどこから来るのだろう、と彼が続けるレクチャーに耳を傾けながら、麗香は思った。
「これがトリガーとトリガー・ガード。L115ボルトアクションライフルと同じタイプの2ステージだ」
言いながら彼はマガジン後方の引き金を指差した。
「教えて下さい。どうして銃のトリガーってスムーズに同じ感触ですべてが引き切れないんですか?」
そう彼女が問い掛けるとウィリアムは瞳に暴力的な影を宿らせたのを麗香は銃を見つめていて気がつかなかった。
「トリガーのアクションに1ステージのものもあるし、そちらを好むシューターもいるにはいる。だがレイ、お前は誰かと嫌悪な状態が長く続いた後、いきなり相手がブチ切れるのと、相手がもうキレると分かっている時ではどちらがより驚く?」
そんな事は分かり切っていた。長い間、ストレスに晒された後で相手がいきなり怒り出すと過剰に反応してしまう。相手がもう怒り出すと分かっているなら──それほどでもなかった。銃も同じだわと彼女は思った。爆発的な力がいつ襲って来るか分からない状況でいきなり弾が射出されれば、何かしらの動揺から狙いが狂うかもしれない。それがもう来ると分かっていたら、乱れずに銃を構えていられる。濡れタオル一枚バレルに乗せて命中率が悪くなるなら、射出される瞬間が分かりやすいに越したことはない。彼が言わんとしている事が手に取るように理解できた。
「乱れずにトリガーを絞り切るためですね」
「そうだ、レイ。同じ事がトリガー・プルにもいえる」
トリガー・プル──引き金を引く重さだわと彼女はすぐに意味を理解した。
「人間の動きは同じ動作を均一に続けると、制御しなければならないという過度のストレスからややもすると乱れる。トリガーが極度に軽いとそれを操るストレスに指や手が負け、意図せずに引き絞る。実際、オリンピックの射撃競技ではライフルのトリガー・プルは極度に軽い。それをフェザー・タッチというが、それを操れるのは彼らが競技だけに集中できるからだ──」
彼の説明に麗香は思った。現代の弓道も競技なのだ。矢を逸するタイミングを逃せば、弓を下ろす場合もある。
「──だがスナイパーには状況がそれを許さない。敵を見つけたなら、短い観測を持ってして狙撃しなければ条件が悪化するかもしれない。時間を掛ければ発見され襲撃される危険性が増すし、待っていて次のチャンスは訪れない可能性が際限なく増大する。先に相手を殺らなければ、自分が殺られる。そのストレスの中でトリガーを操るには、不要な指の動きで引き絞りきらない重さが必要となる」
彼の伝えようとする『状況の緊迫性』なら確かに次に弓を上げる事すら許されないかもしれない。戦国時代の合戦中に乱れたからと弓を下ろす事は許されない。打てるときに打ち、次の矢を放つしかない。そうしなければ自分が射抜かれると麗香は思った。。
「ウィリアム、あなたが理解させたい事がわかりました。だからトリガーは最初から中間過ぎ──末端近くまでは重く、軽くなればそれが短く弾丸が射出されるんですね。でも前後に僅かな『遊び』がありましたけど」
その『遊び』という言葉にウィリアムは明らかに驚いた表情を微かに見せ何か言いかけたが、思い直した様に話題を変えてしまった。
「ああ、そうだ。まあ、お前の使うライフルのトリガー・アクションは簡単に細かい調整ができる。お前でも自分に合ったトリガー・プルを設定できる。それも実射の際に教える。さて、スコープはわかるな」
「はい、オプチカル・サイト(:光学照準器)です。フィールド・スコープとは別物です」
「スコープには幾つかの役割がある。一つは、状況──周囲を観測するためだ。ズーム機能があれば倍率を下げると広いFOV──(/Field of View:照準器の視界)が得られる。一つは、対象までの距離を推し量る事ができる。一つは、バレット(:弾丸)を送り込む目安となる」
「どうやって距離がわかるんですか? 昨日見たスコープには距離を表示するカウンターなんてなかったです」
そう、L115ボルトアクションライフルに付けてあったスコープには数字を表示する機能なんてなかった。それともスコープのどこかスイッチを入れれば覗いた先に数字が表示されたのだろうかしら?
「レイ、単純に考えてみろ。どんなスコープも何かしらの規格や設計思想で作ってある。なら見えている視野の広さが、100ヤード先で何フィートあるのかが決まってくるだろう。それなら、その幅の長さのものがFOVにピッタリ収まればその対象までの距離が100ヤードだと推測できる。もしも同じものが遠ざかりFOVの丁度半分に見えるなら、距離は倍になる」
なるほどそうなのだ。見えているものの長さとそこまでの距離の関係。見るものが同じなら距離が増えれば反比例してそのものの見かけの長さが短くなる。麗香はあることを思い出した。昨日覗いたスコープの中の十字線上には等間隔でドットがあった。確かに100ヤードの視界の幅を知っていればあの均等割りされたマーキングを目安に見えている幅に対し何分の1かを計れば、100ヤードに対して何倍の距離かがわかるわ。100ヤードで目一杯見えているものが半分の小ささにしか見えなければ距離は200ヤードになるだろう。なら──。
「対象物の幅を知ってるなら、十字線のドットに対して幾つの幅があるかで対象までの距離がわかるんですね」
その麗香の答えに彼は僅かに頷いた。
「そうだ。いいぞ、レイ。直感的にそこまでわかれば。後は楽だ。FOVの端から端までを基準とするそんなに幅の広いものが都合よくあればいいが、まずありえない。精確に対象の幅を計るならよりもっと短い基準を用いる方が都合がいい。方法には二種類ある。それがミル(/mil)とエムオーエー──モア(/M.O.A.)だ」
そう言って彼はまた一枚の書類を裏返しその紙を横に向け左上にまずmilと書き入れた。そして紙面の左半分を使いまた円を一つ描いた。
「円の半径と同じ長さの外周の端と端が生み出す中心への角度──これを1ラディアンと決め、この中心から見た外周の端と端を結ぶ直線をスコープから見た対象の幅と考えるといい。1ラディアンでは明らかにFOVの視界いっぱいのものの様に広すぎる。そこでこれを1/1000と細かく分けそれを基準のミリラディアンとする。このミリラディアンがmilといい一つの広がりの基準──角度をスコープでものを推し量る際の単位としている。わかるか、レイ?」
彼の説明は明快だった。高校の高等数学よりわかりやすいと麗香は思った。
「大丈夫です。その1ミルというとても狭い扇形の弧の二つの頂点を結ぶ直線を基準に他の幅──長さの違うものを表そうというんですね」
ウィリアムは彼女の言いまわしを反芻する様に思い浮かべ続けた。
「そうだ。1ミルは100ヤード(:約91.4m)先でおおよそ3.6インチ(:約91.4mm)の幅がある」
ヤードやインチで言われ麗香はなんとなくピンとこなかったが、メートルとセンチに暗算し考えて驚いた。単なる偶然なのか91.4メートルの距離で9.14センチの幅なのだ。ならと彼女は100メートルで10センチの幅を意味する事に気がついた。同じ1ミルなら200メートルで20センチ、1000メートルなら1メートルの幅を意味していた。この方が断然わかりやすい。
「ウィリアム、もしかしてスコープのクロスライン(:十字線)の一つひとつのドットの間隔が1ミルなんですか? それなら36インチのものがドットに収まれば距離は1000ヤードなんですよね。遠くにいる相手が私ぐらいの人なら──身長が170センチ──なら、ドット2個に収まれば距離は850メートル──おおよそ929ヤード」
麗香が顔を上げ確認するように言うと彼がにこやかになっていた。
「そうだ。非常に優秀だ。軍のスナイピング教育課程でこれすら理解出来ない兵士が結構いるが、君は彼ら以上の頭脳を持っている。そのドットの間隔をバリュー(/Value)というが、スコープによっては間隔が1/2ミルもあれば、細かいものだと1/4ミルなんてのもある。それが余計に混乱の拍車をかける。お前のライフルのスコープを覗いてみろ。見る先は工場内の一番遠い壁だ」
そう言って彼は作業台の上で銃の向きを変え、麗香の方へスコープの片側を向けてくれた。彼女はそのレンズを覗いて視野がもっとも明るくなる、周囲に影のでない自然に感じる位置に右の虹彩を持ってきた。やはり昨日と同じでレンズから九センチほど眼を離した方がもっとも視野がハッキリと広がり遠い壁に貼られているカレンダーが最も鮮明に見えた。
その中央に見えるクロスラインが昨日見たものとはまったく異なっていた。昨日見たものは上下左右から中心に向かい太いクロスラインが伸びていて、それが中間から細いものに繋がり中央で交差していた。その細いラインに串団子の団子の様に同じサイズのドットが均等に刺さっていた。
だが今、見ているそれはまず太いクロスラインが左右と上にしかなかった。その太いクロスラインも昨日のものより長く左右の太いクロスラインを合わせると視界の2/3ほどの長さがあり、そこから恐ろしく細い蜘蛛の糸の様なクロスラインが上と左右から伸びて下はその細いクロスラインがFOVの際まで下がっていた。そうして細いクロスライン上には等間隔にダッシュの線──大小の長さのものが交互に細いライン上に交差して中央へ向けて並んでいる。この狭い方か、広い方の間隔が1ミルの様な気がした。
よく見ると左右の太いクロスラインと細いのが繋がる際の細い線上に長いダッシュの十分の一ほどの非常に短いダッシュが、細いクロスラインの太さと同じ幅で上にだけ4つずつ並んでいる。
そしてわけのわからないものが一組あった。視界の下1/8ぐらいの高さで横へ向けて、細い線よりも判別しきれない太さで、中途半端に左右へ伸びていて、その上に距離をおいて左から右へまるで階段の踏み台が四段登る様に長ダッシュ二つ分ほどの間隔でやや長い線が左に二つ、右に二つあった。
「ウィリアム、昨日見たスコープとクロスラインがまったく違います。ドットがなく、大小のダッシュだらけで階段の踏み台みたいな線が四本下に並んでますし、上と左右から伸びる太いクロスラインが長すぎて邪魔な気がします」
「ああ、このシュミット・ベンダーのスコープ──5ー45x56 PM Ⅱ ハイパワーはまだマシな方だ。レティクルが、ツリータイプだともっと煩わしい。太いレティクルは気にしなくていい。これはFFPというズームさせるとそれに合わせてレティクルが太くなりFOVの端から順に上下左右に逃げ出して行く。つまり視界に合わせレティクルも拡大する。まあ、それはそれで色々問題はあるが」
彼が手を伸ばしスコープの中央に突き出した小さなドラム状の部品に触れた瞬間、麗香は驚いた。クロスラインの中央の狭い十字の線だけ眩しくない赤い輝きを放ちだした。
「お前がダッシュと言っているのは、スナイパーの間ではラインと呼ばれる等間隔のマークだよ。大きいラインと次の大きいラインの間隔は1ミル。その中間にある短いラインまでは1/2ミル。赤くイルミネーションで光っている中央の小さなレティクルはクロス(:十字)の幅・高さとも1.713ミル。お前が下側の階段の踏み台と言っているのは、対人狙撃用の簡易レンジングファインダーで平均的な男の胸骨の最も下から頭の先までがそのステップライン下の長い線との間に適合したら、右の高いラインならおおよそ2.5ミルで219ヤード、二番目のラインなら1.67ミル──328ヤード、三番目が1.25ミル──437ヤード、左端の一番狭いラインなら1ミルで547ヤード。半端な数値になるのはレティクルがミル仕様だからだ。1ミルが100メートルで10センチなので、右の段からそれぞれ200、300、400、500メートルになる。その方がお前にはわかりやすいだろう。レイ、お前がそのライン間に全身が入れば高いラインから680、1030、1360、1700メートルがそれぞれ立っている位置になる」
麗香は幾つかの数字を即算して驚いた。まるで一覧表を見ながらすらすらと数字を並べ立てるウィリアムがよくそんなに数字の組合せを素早く計算してゆけるものだと呆れかえった。父親から文武両立という建前で小学生の頃から珠算をさせられていたので暗算は得意だったが、彼が珠算をしていたなど彼女には考えられなかった。
それとも即算も狙撃手の技能の一つなのだろうか?
何から何まで人を殺すためのアーキテクチャなのだと麗香は眉根を寄せた。ウィリアムはこんな知識や技能に埋没していて偏屈になったのだろうか? そんな人には思えないのだが。
「数字、数字、数字、うんざりしてくるだろうが──これらがレンジングという距離を測るスナイピングの基本技術の一つだ。対象の高さや長さを知っている事でヤード単位の距離を推し量る事ができる。この距離を正確に導き出せなければ、バレットを相手に送り込めない。ミルは軍で使われているが、野戦砲などのNATOミルは少し違う。これにM.O.A.──モアが加わるとさらに混乱する兵士が大勢いるが、今日は止めておこうか?」
麗香がスコープから顔を離し振り向くと、ウィリアムがからかうように微笑んでいた。あんなに気難しく見えていた彼が、だ。なぜか機嫌が良くなったらしいと麗香はまだ教えてもらう事にした。
「いえ、ウィリアム、お願いします」
「良かろう。貪欲な生徒には教えがいがある。さて、モアを端的に言うと100ヤードで1インチの幅を表す『簡易的』な角度だ。こちらはミルと違いインチやヤードで考えやすい」
そう言って彼はコピー用紙の右手上にブロック体のような堅い文字でM.O.A.と書き記した。
「レイ、お前はすぐにミルを理解できた。ならM.O.A.も造作ないだろう。こちらも理解しておかないと狙撃に使う機材でミルとモアの仕様混成という組合せもありうる。その時──修正値を変換できなければ狙撃を断念しなければならなくなる。さて、1モアだが100ヤードで何インチだ?」
いきなり聞かれたが麗香はすぐに答えられた。
「1インチです。0.29ミル」
彼が眉を上げ何か言いかけたが、麗香の方が尋ねてしまった。
「でもウィリアム、『簡易的』というからには実際は違うんですか?」
「ああ、100ヤード──1インチはアメリカさんのモアだ。USAーMOAやMOAーUSAともいう。実際は1モアは1インチで95.49ヤードと半端な数字になる。これはモアが360度をさらに細分化して60で割った『分』の角度を1モアの元としているからだ。だが困った事に一般に銃器関係者も端数を嫌いUSAーMOAをMOAとして扱っている。この差は5パーセントほどだが、長距離射撃でけっこう大きな誤差になってくる」
「なら1モア──100ヤードで1.05インチとして他の距離や対象の大きさを理解すればいいんですね」
「あ? お前、抵抗はないのか? わざわざ難しく考えなければならないんだぞ」
「ええ、ノンプロブレム(:問題なし)です。1インチのものが1モアのライン間に収まれば95.49ヤードです」
彼が困った表情を浮かべたので、麗香は念押しした。
「間違ってましたか? 100インチのものが1モアなら、距離は9549ヤード(:約8.7㎞)です」
「そんな距離は狙撃の遥かに想定外だ」
「そうなんですか? どれくらいの距離まで撃てるか知りません」
彼は苦笑いを浮かべると話題を変えた。
「それなら、話を戻してライフルの説明を続ける。アクションが収まるレシーバーから後の肩に当たるまでの部分をストックという。後端にはバットプレートというリコイル──射撃時のキックを肩に伝える役割と、正しい──毎回同じ射撃姿勢でエイミング(:照準)をし、射撃時の不確定要素を減らす大切な部分だ。レイ、お前に昨日言ったLOPを知らなかったみたいだな。レングス・オブ・プル──バットプレート後端からトリガー前面までの事だ。これがいい加減だと正しく素早い操作に支障がでる。トリガーをスムーズに引けないとか、ボルト操作をスムーズに行えないとか、だ」
「なら、ウィリアム、私はまずこのライフルを自分のLOPに合わせる調整をしなければならないんですね。それからスコープの位置合わせを──」
麗香がそこまで言うと彼がいきなり立ち上がり彼女を見下ろした。
「レイ、お前に数日、座学をさせるつもりだったが、気が変わった。午後に軍の射撃場へ連れて行き──1700ヤード(:約1554m)の射撃をさせる」
唖然として彼を見上げる麗香は、いったい自分の何が彼を燃え上がらせているのかまったく理解していなかった。
#2031 Boing 777-300ER West-Liner LAX Los Angeles CA., U.S. AM 09:58 Aug. 13th 2015
2015年8月13日 午前9:58 合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港 ウエスト航空 ボーイング777ー300ER 2031便
睨みつける形相で眼の前の男が席を立ったのでジェシカ・デスプラは両手を前に出し押し止めようとした。
「ジェシカ・デスプラを呼べ!」
男に自分の名前を言われ、直後あの二つの荷物を受け取る者らだ──娘を、クロエを人質に捕ってる者らだと彼女は気づいた。
「私です」
彼女は他の客に気取られずに相手に伝えたつもりだったが、既に周囲の客が不安げな眼差しを向けているのはわかっていた。
「荷物の場所に案内しろ!」
構わず男は彼女に大きな声で命じた。
「こちらです」
ジェシーが先に立ちファーストクラスのギャレーへ歩き始めると他の二人の男もアテンダント達を振り切り前の方へ早足で歩き始めた。乗客達はそんな彼らを顔を振り向き眼で追ったが囁き合う者達はいなかった。
ジェシーがファーストクラスへと足を踏み入れるともう一人席を立っている男がいた。その男も黒いウインドブレーカーを着ており、彼女らに気がつき、後ろに付いている男がそのファーストクラスの男と目配せしたのを気がついていなかった。通路違いに男らは彼女を追いかける様にFCを抜け最前列のギャレー・エリアへと入り込んだ。その壁際備え付けの折り畳み椅子に座っていたチーフ・パーサーのエイドリアン・ニクビスは青ざめた表情でジェシーが入ってきた事に顔を振り向け、どうしたのだと不安になった直後、客の一人の男が続いて入ってきて、急いでシートベルトを外すと立ち上がり二人に尋ねた。
「どうしたんですか!?」
「どこだ!?」
エイドリアンの問に二人は答えず男がジェシーにそう尋ねると彼女は返事もせずギャレー・エリア左側にあるクローゼットへ急ぎ足で移動すると扉を開いた。エイドリアンは何事なのだとジェシーに近寄ろうとすると男に弾き飛ばされ後ろに尻餅をついた。
チーフ・パーサーが声を荒げ立ち上がろうとした刹那、さらに三人の男らがギャレー・エリアに入ってきてそのうちの一人に睨み下ろされ彼女は良からぬ事態が発生しているのだと判断し、操縦室に聞こえるように大声を上げた。
「やめなさい! あなた達!!」
その瞬間、彼女に近い男が大股で歩きよるといきなりエイドリアンの顔面を殴りつけた。彼女は鼻血を曳きながら操縦室とを隔てる壁に振り回される様にぶつかり気を失い床に崩れ落ちた。それを見ながらクローゼットからゴルフバッグと大きなスーツケースを引きずり出していたジェシーは眼を丸くし顔を強ばらせた。
ゴルフバッグのベルトをつかんだ男はまずゴルフバッグの口から覗くクラブヘッドのカバーを剥がし次々に床に投げ捨てると、姿を見せたデザートカラーのスコーピオンEvo3A1サブマシンガンのバレルをつかみバッグから引き抜き他の男へ手渡した。二人の男がサブマシンガンを手にし予備弾倉をいくつか受け取り様々なポケットにねじ込むとコッキングハンドルを引き放し初弾をロードし3バーストにセレクターを切り替えている間にもう一人の男に長いスーツケースと装填したスコーピオンを手渡し念押しした。
「わかってるな、マーカス! 狙撃手を排除しろ! 制圧隊は必ず狙撃から切欠をつかむ!」
そう言った男がゴルフバッグから今度は右手でモスグリーンのベネリM4ショットガンを引き抜くと、バレルを上に放り投げる様にして上に上がったグリップを瞬時に握りしめ替えフォアグリップを左手でつかみ手前に素早く引き初弾をチェンバーに送り込んだ。そうして操縦室へのドアへ振り向くとそのノブの壁際へサボ・スラグ弾を撃ち込み、さらにスライドをポンプさせ次弾を装填し、穴の開いた傍にまた一発撃ち込み、デッドボルトの壊れたドアを引き開けた。
開かれた操縦室の中で振り向く二人の操縦士達へ片手でスコーピオンの銃口を向けながらそのマーカスと呼ばれた男が入って行くと、指示を出した男がジェシーへ振り向いた。
「機内放送をしたい! マイクは!」
口に両手を当て震えているジェシカ・デスプラは自分がハイジャックの手引きをしてしまったのだと愕然としていた。
☆付録解説☆
☆1【5ー45x56 PM Ⅱ ハイパワー】Germany Schmidt & BenderのRifle Scopeの一種です。Reticleは数種類の中からオーダーでき、小説内で麗香が使う事となったScopeのReticle(/Cross Line)がType-P4FLです。
☆2【FFP】(/Fast Focal Plane)。第一焦点面。Rifle-Scopeは機能的に大別すると二種類あります。一つがこのFFP。もう一つがSFP(/Second Focal Plane)です。Scope内では二度、観測する対象の像が焦点を結びます。FFPとはEuropeで発達したSystemでObject Lens(:対物レンズ)により最初に結像する位置にReticleがあり、ズーム機能のあるScopeで拡大縮小するのに合わせReticleも拡大縮小するので倍率に関係なくMilやMOA等の目盛りをそのまま使えます。またズームに従いReticleの位置がずれる事がありません。もう一つのSFPはAmericaで発達したScope-Systemで、第2の結像位置にReticleがあり、どの倍率変更でもReticleの倍率は変わりません。つまり指定された一つの倍率だけでMilやM.O.A.などの値がそのまま利用可能となるのですが、他の倍率で使えないわけではありません。ズーム倍率による計算をすれば良いのです。ズームを倍にした時(距離が倍になった時)、その距離でMilなどの目盛りの意味が1/2倍になり、より精密な測定ができます。それぞれにウイークポイントもあります。FFPはズームに従いReticleも拡大縮小するので拡大した場合は当然ReticleのLineやDotも大きくなり狙撃対象を隠してしまう事があります。また大きく拡大した場合、Reticleの上下左右の目盛りもそれだけ隠れるのでHold-Over(:上下左右の調整に各Dialを使わずReticle目盛りの値を利用してAimingすることです)で射撃する時に端の目盛りが利用できずズームダウンしなければならない事もあります。SFPですと倍率を変えた場合、Reticleが中心から前後にずれやすいのでその都度調整が必要となります。また前述した様にズームする都度に目盛りの値を計算し直さなければならず煩わしく感じたり修正を急ぐ場合に困る場合があります。ですがどちらかというとLong-Range-ShooterはSFP-Modelを好む傾向があります。
☆次話へのプロローグ☆
ウィリアムから軍の射撃場へ連れ出される事となった麗香は初めて眼にする英国陸軍の訓練施設に驚きます。場所と時を隔て事件が表立ったロサンゼルスで多くの人々が混迷してゆく次話をご期待くださいませ。




