Part 1-5
Accuracy International Ltd. Portsmouth ,UK Mar. 26th 2014
2014年3月26日 イギリス ポーツマス アキュラシー・インターナショナル有限会社
作業台の上に置かれた朽葉色のライフルを前に麗香は彼からまず尋ねられた。
「レイ、お前は銃の各部の名前はどれくらい分かるのか?」
知ってる事なんてほとんどない。そう麗香は思い唯一憶えている言葉を思い出した。どこで憶えたのかと聞かれたら自信はなかったが映画からだと答えるつもりだった。
「マズル(:銃口)とトリガー(:引き金)、それとサイト(:照準器)ぐらいです」
「“ぐらい”とは何だ? 自分の記憶、思考に明確な態度を示せ」
この人は──理屈屋で、頑固なんだと彼女は思いながらも口にせず、代わりに彼の指摘を肯定する返事をした。
「わかりました、ウィリアム。三つしか知りません」
「俺が説明する内容に分からないことは、すぐに尋ねろ。そのままにすれば、無理解が連鎖する。まず──」
そう言って彼は銃の金属で出来ていると思われる前半分のパイプを指差したのを麗香はじっと見ていた。
「これがバレル(:銃身)だ。合金で作られ、弾丸の通過に伴い膨張と収縮の変化を連続して見せる」
「鋼が膨張?」
強固な金属が膨張するなんてと彼女は俄かに信じられなかった。
「ああ、バレット(:弾丸)を加速させるために燃焼する火薬のガスが生み出す力は凄まじい。その加速の最中、強度とタフネスを持つバレルは耐えながらマズルに向かい連続して脈打つ」
タフネス──麗香は靱性という単語を思い出し、その本質的な意味を考えた。破壊的な力に対する抵抗力──粘り強さなのだ。それなら『弓』も同じ。弦に撓む竹や木材を張り合わせた弓は靱性を持ってしてその破断に抗い姿を止めるからこそ矢を放つ反発力を生み出す。バレルも脈動する事で破綻から逃れ、弾丸を押し出すのだわ。
「でもウィリアム、それならバレルに外力が加わると予測できない様な範囲で命中率が悪化するのでは?」
麗香がウィリアムの方へ顔を向け尋ねた直後、彼の瞳が歓喜を溢れさせた。
「そうだ、レイ。バレルに濡れタオル一枚掛けた状態でポイントブランクの様な近距離射撃の場合、その乱れはさほど問題ないが、1000ヤード(:約914m)以上になるとバラつきが数十インチ単位になる。そこでバラつきに関連する事を先に教えよう」
そう言って彼は作業台傍のトレーから数枚のコピーされた書類を取り出すと内容を確認してから作業台の上にひっくり返し印刷されてない面を表にして置くと、自分の胸ポケットに入れていたボールペンを抜いた。そうして一枚の紙に左右に並べて手のひらサイズの円を並べて書き、それぞれの中心に1インチ(:約2.54㎝)の小さな円を書き加えた。
そうして彼は左の大きな円の中の小さな円と大きな円の中間──時計でいう4時の向きに1/2インチほどの広がりで集まる3つの小さな黒丸を書き加えた。
続いてウィリアムは右の小さな円のすぐ際外にランダムに3つの黒丸を書き加えた。
「レイ、この二つの標的の二種類のグルーピングは弾痕だと思え。どちらが優秀な結果だと思うか」
麗香は彼に問われ、明らかだと一瞬にして思った。小さな円の周囲に集まる3つの弾痕がより中心に近く、センターに命中しそうな予感がした。弓道の遠的でもより中心に近く的中してる右の結果が高得点なのだ。
だが彼女はこれが彼が課した試験なのだと気がついた。それなら左の大きな円内に書かれる右のものより中心から遠い弾痕の集まりの方が重要なのではないだろうか。そちらを選んだ場合、ウィリアムから必ず理由を問われる。当てずっぽうなら彼はまた鼻を鳴らすだろう。
中心から遠いけれど小さな集まり。
この意味するもの──『精度』だわ!
唐突に彼女は一つの単語を思い浮かべた。確かに右の弾痕はどれもが中心に近いが『精度』が悪かった。それに比べ左の弾痕はどれもが右の集まりのどれもよりもより中心から離れ小さな集合体を生み出している。得点的には左の射手は劣るが、腕は右の射手よりも高い『精度』を持っている。これが彼の教えている銃に関する事なら、腕──技術だけでなく銃自体に高い『精度』があることになる。
「左のグルーピングが優秀です、ウィリアム」
「どうしてそう思うか」
「右の射手は腕か銃が起因する理由で、小さく狙いをまとめられない。それに比べ左の射手は何かの原因から狙いから離れた場所に結果を残してしまっているけれど腕と銃の『アキュラシー(:精度)』はより高いからです」
「ほう、それはお前が弓の射手としての経験から判断したのか? それとも理由を今考えたのか?」
二つ目の関門だわ。そう麗香は考えて即答した。
「今、考えました」
「そうだ──スナイパーに必要なのは絶えず考えることだ。優秀なスナイパーの技術──それは多くの思考の積み重ねが生み出した経験に裏打ちされている」
そう言って彼は右のグルーピングの中央──小さな円に右手の人差し指を乗せた。
「こちらはどれもがバイタルゾーン(/Vital Zone:生命に関わる部位)に近いが技術的に次の一弾も小さな円を外す可能性が高い。銃器に問題があり散らしてしまうんだ」
次に彼は左のグルーピング──弾痕の集まりの中ほどに指を動かした。
「それに比べこのシューター(:射手)はバイタルゾーンから三弾を大きく外しているが小さくまとまっている。これはこのシューターが距離や風、気温など外因を読み誤ったか、照準器を調整し誤った可能性があり、それらは改善の可能性の範疇で修正が可能だ。銃器の性能は高いレベルに達している」
「どれほど距離の正確さが必要なんですか?」
「ヤード(:約91㎝)単位の精度が望ましい」
冗談なの? ヤード単位!? スナイパーは何十、何百どころか千ヤード──それ以上先の標的をヤード単位で理解してるなんて信じられない。どうやって距離を判断できるの? そこまで歩いても正確な距離なんて分かるわけがないわ。麗香はその思いが率直に言葉となった。
「そんな正確な判断を必要とするんですか?──無理だわ。私にそんな正確な距離感なんてないですから」
振り向き訴える彼女の顔を凝視する様にウィリアムが見つめていた。麗香はその瞳に捉えようのない何かを感じた一瞬、彼の言葉にそれが消え失せた。
「心配いらん。お前にそれを教え込むのが俺だ」
どうしてそこまで私に拘るのだと彼女がウィリアムに尋ねようとしたその間際に彼が講義の続きを始め、麗香は聞きそびれてしまった。
「さて、続きだ。バレルの付け根──スコープの前部までバレルを被っている多角形のカバーがフォアエンド。お前のライフルの場合、各種機材を取り付けるピィカティニー・レイルを固定できるのでレイル・チューブともいう」
「チューブに開いているこれらの穴は何なんですか? 軽くするため?」
彼女は上と手前側にそれぞれ一列となって開いている幾つもの穴の一つを指差した。
「その一列の穴をキーウェイといい、レイルの結合部レイル・フィキィシングが入り込みレール表側のネジをヘキサゴン・キーで締め込むとしっかりと固定される」
ヘキサゴン・キー? 六角の鍵? また知らない言葉だわ。そのままにしておくと後から彼に知られたら殴られそうな気がして麗香は直ぐに尋ねた。
「度々《たびたび》話の腰を折ってすみません。ウィリアム、『ヘキサゴン・キー』って何ですか?」
彼女の問いにウィルは一瞬、愕いた様な表情になり真顔に戻り説明してくれた。
「工具のドライバーは知ってるか? スクリュウを絞めたり弛めたりする道具だ」
ああ、それならば知っていると彼女はすぐに返事をした。
「わかります。先がプラスやマイナスになっているやつですね」
「そうだ。同じスクリュウを絞め弛める道具で、先端が六角形をしている。もちろん相手のスクリュウも差し込まれる部分が六角形にカットされている。握り手はTになっていて力を掛けやすい。レイ、数日中に君にも使わせるから細事に時間を割くな」
分からない事はそのままにせずに聞けと言ったのはあなたではないかと、麗香は内心、憮然とした面もちになった。
「続ける。レール・チューブを支える様に繋がっている部分がレシーバーだ。機構部が収まる」
そう言って彼はスコープが取り付けられたトリガーのある部分一体を指差した。
「この部分はフォワード・グリップ」
彼が言いながらフォアエンドの付け根下側を支える様に後ろにしたがい斜め下に広がる部分を指し示した。
「続くこれがマガジン。50BMGが五発入る」
本当に少女月刊マンガ“雑誌”の様に分厚い部品だと彼女は思い余計なトラブルは避けようと口にはしなかった。
「これがイジェクション・ポート(/Ejection Port:排莢口)。中に見えているのはボルトの一部だ」
彼が次に指差したのはマガジンの一インチほど上にある細長い開口部だった。イジェクション──はじき出すという単語。ここからミリタリー・ボールが排出されるのだと麗香は想像した。だから開いた部分がボールの入るマガジンと同じ様な長さをしてるのだと容易に理解できた。ボルト──また知らない意味のある言葉。門の閂か、扉の掛け金ぐらいの意味しか知らない。でもそれを聞いたら今度こそ本当に怒られるだろうかと思い彼女は試してみる事にした。
「ボルトって何ですか? 扉のロックする部分の意味ぐらいしか知りません」
「ああ、あれはデッドボルト。壁に入り込むようにドアから突き出る部分だ。同じ意味合いで閉鎖機構を意味する。レイ、銃弾を射出するバレルの先の様に後ろが開いたままだとバレルは使い物にならないだろう」
「ええ、そう思います」
「バレル後部にはアムニッションを燃焼させる仮に収める部屋が必要だ。それをチェンバー(/Chamber。日本語ではチャンバーです。チェンバーは英語発音に近いカタカナ表記です)というが、その後部を閉じなければならないし、燃焼が終われば、新しいアムニッションと入れ替えるリロードの操作も必要になってくる。その役割や動作を受けるのがボルトだ」
「撃つ都度に自動でボールを出し入れするんですか?」
「それはオートマチックやセミオートマチックという部類のアームスだ。総じてセルフ・ローディングというが、お前の手にしたライフルはボルトアクション。ロード(:装填)、イジェクション(:排莢)に手動での操作が必要な部類だ」
彼の説明に麗香は閃いた。イジェクション・ポートのすぐ後ろにある握り手の付いた短いレバーがそれなのだと。昨日、彼がスコープの下で操作していたのがこれなのだ。
「それじゃあ、これがボルト・ハンドル?」
麗香の問いに彼が片側の口角を持ち上げたのを彼女は見損ねた。
「正解だ。この様に操作するのが望ましい」
そう言ってウィリアムがAXー50を自分の方に引き寄せバイポッドの先を机に乗せたまま構えると右手でボルト・ハンドルを素早く操作した。親指でボルト・ハンドルを跳ね上げ人差し指でそれを後ろに引き、直後親指で押し戻し下側へ押し下げた。その流れるような動きが美しいと麗香は感じた。
「どうして親指と人差し指だけで操るんですか? ハンドルを握らずに」
「他の三本の指はどうしていた? 見てたか?」
「エジェクション・ポートに掛かる様に伸ばされてました」
「そうだ。エジェクト(/Eject:排出)されるカートリッジを受けるためだ。カートリッジを素早く確実に交換しようとすれば勢いを持ってボルトを操作する事になる。そうすればはじき出したカートリッジは勢いよく飛ばされ、撤退する時にどこに飛んだか探すのに苦労する事になる。スナイパーは痕跡を残してはいけない。その人物のスタイルを類推する痕跡を残していたら敵に情報の蓄積を与え、いつかそれが自分の命を奪う事になる」
麗香は唖然となった。ウィリアム、この人は──私の知らない──想像すらした事のない世界で生きてきたんだ。そんな事にまで気を配らなければならなかった彼の経歴が気になると同時に麗香は一つの疑問を抱いた。
これほど詳しい人がドロップアウトして、どうして銃器のセールスマンみたいな仕事をしているのだろう?
麗香はウィリアムの前の経歴とリタイアした理由が気になり始めた。
#2031 Boing 777-300ER West-Liner LAX Los Angeles CA., U.S. AM 09:55 Aug. 13th 2015
2015年8月13日 午前8:58 合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港 ウエスト航空 ボーイング777ー300ER 2031便
「D.C.(:ワシントン)に着いたら起こしてくれるか、メアリー」
乗客らが皆席につき乗務員らの救命胴衣や酸素マスクの使用方法、脱出口についてのアナウンスと実演が終わると合衆国上院議員のデビッド・クリステンセンは早々とシートベルトを掛けそう言って二十八席あるWLーFirstクラスの座席の一つ──最前列の右側窓際01L席を僅かに倒し眼を閉じた。
「はい、デイヴ。お休みなさい。良い夢を」
横の01Kに座るデビッドの第一秘書のルーシー・レインは七十に近い上院議員が、三日間のロサンゼルス遊説で疲れているのだと、D.C.まで余計な声を掛けないようにして、シートベルトのサインが消えたらFA(/フライト・アテンダント)にブランケットを頼み彼に掛けてあげようと思った。
ルーシーは機がゆっくりとプッシュ・バックされ駐機スポットを離れだしたのを感じていると、コールサインランプに呼び出されたのかモニターで座席を確認した一人のFAが、ルーシーの横を通り抜けファーストクラスの後ろの方の席へ足早に要件を伺いに歩いて行った。
そのFA──エレナ・サウスダコタはFC最後尾右側通路側席──04Kの傍まで行くとにこやかに乗客に声を掛けた。
「お客様、どうなさいました?」
その中年客は目つきのきついファーストクラスには珍しい安っぽい黒のウインドブレーカーを着た男性だった。エレナはお客が飛行機旅行慣れしてなく神経質になっていると判断し、エプロンから飛行誘導路に入る前に要件を処理し乗員席に戻ろうと思った。
「乗員のジェシカ・デスプラを呼べ」
客の命令口調にエレナは僅かに顔を強ばらせた。
「お客様、どの様なご用件で──」
言い掛けている最中に男がとんでもない事を口にしてエレナはこの客がスクワーク(:航空用語の不具合)になりかねない客なのだと一気に神経を尖らせた。
「呼ばないと騒ぎを起こすぞ」
押し殺した声だった。それなのに言いようのない威圧感が男から溢れていた。
「少々、お待ち下さいませ」
エレナは一瞬、チーフ・パーサーのエイドリアン・ニクビスに報せ指示を仰ごうかと考えたが、いつもの仕事の様に自信の裁量で判断し二種のEC席を担当するジェシーを呼びにEC席最後尾のギャレーに設けられた乗員席にいる彼女を呼びにその客を離れた。
彼女はラバトリー(:手洗い室)と中間ギャレーの間を歩き抜けEC席を見渡し愕いた。飛行誘導路に入る前には乗客だけでなくCAも皆着席しているのが通例だった。だが、EC席を担当する三人のCAが揃って三カ所の客席の横に立ち対応していた。中ほどの左通路側左席のC28の男性客に応対しているのが、ジェシーだとわかり、エレナは自分がそのお客に応対し、ジェシーをFCー04Kの客の元へ行かせようと近付くと、その28Cの男性客もスクワークなのだと一瞬で判断した。その中年男性客もジェシーへきつい眼を向け押し殺した声で何かを命じていた。
おかしい!?
何かしらの良からぬ事態が発生していると、エレナはFC最前列前のギャレーにいるチーフ・パーサーに報せようと踵を返したその瞬間だった。彼女の背後で他のCA達が制止する声を荒げたのを耳にしてエレナは振り向いた。EC席の三カ所で男らが立ち上がっていた。そのいずれの男も黒いウインドブレーカーを着ている事に気がつきエレナ・サウスダコタは鳥肌立った。
☆付録解説☆
☆1【オートマチック/セミオートマチック】(/Automatic/Semi-Automatic)。読者の皆様でしたらご存知のどちらもSelf-Loadingという方式の自動銃です。原理は発射ガス圧やRecoil(:射撃反動)の力で機構を動作させバレル(チェンバー)の閉鎖解放・排莢・再装填の切っ掛けを行うものです。日本ですとフルオート自動小銃やマシンガンなどの銃器でオートマチックという言葉を耳目にされた事のある読者様は多いと思います。英語ではSelf-LoadingやFull-Automaticとなります。Semi-Automaticという言い方のArmsを意味するのものは一部の国では違うものを差します。軍隊の編成単位の末端の一つ“Squad(:分隊)”を援護し同時に押し寄せる敵の制圧に使われるSOW(:分隊支援火器)がこれに当たります。
☆次話へのプロローグ☆
押しの強い教師ウィリアムの過去が気になりだし際限なくそれが広がってゆくレイカ。それにジェシカの乗務するロサンゼルス国際空港の旅客機で発生した事態。気になる展開の次話をご期待くださいませ。




