Part 4-5
Snowdonia National Park Northwestern Wales ,UK Mar. 28th 2014
2014年3月28日 イギリス ウェールズ地方北西部 スノウドニア国立公園
ライフルの咆哮より裸の実弾が炸裂する音にウィリアムが惹かれる予感はあった。ただここまで期待され次々に負わされる難関に打ち負けたくはない思いが強くて思いついた案に踏み切った。
麗香は彼とビーグル犬の真後ろから付けていなかった事を幸運だと思い、二人が歩いて決定的な察知距離になる前に伏せている場所から移動する事を選んだ。だが彼女は彼らの注意をまたもや逸らしてやろうと、素早く6インチ(:約15㎝)ほどの丈のある雑草を寄せて一本の草の茎を巻きつけ絡げ、予備の弾倉から一発の実弾を抜き取ると自らが移動しようという方へ雷管を向けその草の上に寝かせ置いた。そうしてライフルをスリングで背中に固定し蜥蜴のように這い始めた。十数秒も繰り返していると思ったよりも速く移動できる事がわかり勢いを増して伏せていた場所から遠ざかった。
犬に気づかれぬ様に風下を選んだ。
彼がもっと近づけば麗香は蛇の様に這うつもりだった。
二人はそんなに速くは歩いていない。恐らくは付けられている事を単純に確認しようとしているだけなのかもしれない。注視して歩く先を観察しているのではないのだろうと彼女は結論づけた。なら500ヤードと戻らないかもしれない。それはそれで好都合だと思ったが、麗香はウィリアムの話を記憶から引き出し、彼が敵地奥へとパラシュートで降下し任務を果たし徒歩で戦線や国境を抜け無事に生還すると聞いた。
なら──彼は獣の様な用心深さと観察力を持つ事になる。
祖父から習った事を思い出していた。
隣山にいる数頭の鹿に気づかれずに沢を渡り山を登り如何に近づくかを少女の時に教わった。矢の射程まで忍び寄るのは並大抵の精神力ではダメだとも教えられた。鹿は目と耳が良いだけではない。年を重ねた雄鹿は鋭い勘を持っている。
近寄る間、岩になり草木になっている事を強く意識する。そうやって環境に溶け込み木々や雑草に隠れるだけでなく、気配を消し去る事を学んだ。
鍛錬を積み重ね幾度と刃を交えた武者も忍者に及ばずとも鋭い勘を持っていたと教えられた。抜刀で刀を振るう際にも心を静め相手に太刀筋を読まれない様に心がけよとも。呼吸すら、芯の臓の鼓動すらも知られてはならないと警告された。
それらの知識からウィリアムに負けはしないと沸々とした自信がこの身を、心を支えてくれる。
祖父が亡くなり、それでも麗香は父親の指示に従い受ける数々の武術の真髄を知るため、自己を見つめ山を歩きを続けた。ある日、恐ろしく沢を渡るのが速い老齢の”またぎ”を山を一人歩きしていた時に見かけた。山の峰から見下ろしていたのにその”またぎ”はいきなり沢を渡るのを止めこちらを見上げた。距離は七百メートル以上離れていた。麗香はあの時、人は視力以上の勘を持てるのだと知った。隣山の鹿もいきなり草木をはむのを止め頭を上げこちらを見る事もあった。
勘が知るのは意識の低層に沈む認識できない気配だ。六感を含め人は得ている情報の一部しか認識していないのに、人間本来が持つ獣の勘が警告する。
麗香は今、ウィリアムとビーグル犬から遠ざかりながら背中に彼らを感じていた。彼は気配を消していない。それは彼が追う立場にあるとまだ自負しているからだ。それに飼われた犬も気配を消すことは殆どない。
半時間近くジグザグに這い続け麗香はゆっくりと向きを変え、背中からライフルを引きずり下ろすとバイポッドも立てずフォアエンドの下を左手のひらに載せ極端に低い伏射の姿勢をとり、自分が草を結わえその上に載せてきた銃弾をスコープで探した。見つからないかと数分、辛抱強く見てゆくと、そよ風に揺れる草先の間に真鍮の僅かな輝きを見つけた。まるで標的紙に開いた弾痕を見ている様だった。
見えたその大きさから距離を推し量ると800ヤード(:約731.5m)も離れていた。
彼女は意外と這ったのが速いのだと驚いた。
銃弾を載せた草はたわみ、風の間でしかその小さな標的は見えなかった。唯一の救いは、載った銃弾の重みで支える草が殆ど揺れていない事だった。
場所の特徴を覚えスコープをゆっくりと横に振ると彼の歩く姿が見えた。油断ならない。また歩く向きを変えていた。ビーグル犬は草に隠れ背の一部と尻尾しか見えていない。
彼らは置いてきた実包まで500ヤードほどはあった。
ゆっくりと息を整え、彼女は自分が平原の石っころだと強く意識し続けた。その間にスコープの筒胴の二つのダイヤルを回し修正してゆく。今日は可変アングルの後端を持ち上げてはいなかった。弾道落差は約169.5インチ(:約4.3m)──80クリックで僅かに及ばない。弾道がそれだけ草から離れていれば狙撃位置がそよいだ草の流れで露見する事もないと麗香は踏んだ。風の止んだ瞬間を狙うのでスピンドリフトとコリオリエフェクトの修正は0.6MOA──12.7センチだった。ただマズルブレーキのないコイツを撃った事はない。弾道がどう変化してくるかは撃たなければわからなかった。
もたもたしている余裕はなかった。一度の機会を先延ばしにすれば状況は悪化すると彼の教えが警告していた。
そう──ウィリアムの戒律に従うのよ。
呼吸を絞り込みながら彼女は細く開いた唇でゆっくりと空気を吐き出す。揺れ戻る草を意識しながら、いつでも撃てる様にクロスラインに針先の様な雷管が見えていると信じ銃の揺れを手中におさめた。そうして草のそよぎが止まった瞬間、第二ステージまで絞り込んで止めていた引き金を静かに引いた。
爆轟と共に跳ね上がろうとした銃身を麗香はフォアエンドをつかみ強引に止めたが力負けして僅かに引っ張り上げられた。左右に逃げた草の中央で広がったオレンジの火炎が視界を妨げ、激しく後退してきたストックのバットプレートに、経験したどんな竹刀の打ち込みよりも強く嫌がらせの様に蹴り込まれ、その暴力に肩が悲鳴をあげたが歯を食いしばり堪えた。
落ちてきたスコープのFOVを瞬時に我がものとし数えて一秒。
800ヤード先の草の上で小さな火炎と僅かな硝煙が広がったのを眼にした。その薄い煙も吹き始めた風に見る間に流され掻き消えた。火炎を見て2秒過ぎ小さな爆発音が聞こえてきた。
彼はどうしてるのか気になった。
そっとスコープを振り向ける。
彼があらぬ方を見つめ固まっていた。それでもいきなり実包を爆発させた方へかなり速い足取りで歩き始めた。それを見つめながら、一度きりの短い音だけで正確な方向がどうしてわかったのだろうと彼女は驚いた。かなり歩きウィリアムがいきなり立ち止まり辺りを見回し始め少し進み出ると腰を折り何かを拾い上げそれを顔に近づけ見つめると、左右の平原に顔を巡らし始めた。
凄い! 短時間に破裂した実包の空のカートリッジを見つけ出し、わたしが左右のどちらかにいると判断したのだ。その判断がつかないのは裸の実包が破裂した音によほど動揺したのだろう。
笑いが込み上げてきて麗香はスコープマウントの後端へ視線を下ろし含み笑いをこぼした。
やはりあの人は優秀な狙撃手なのだわ。
まだまだ多くを教わりたい。
でも互いに相手を視認できる距離に今は動かず持久戦を始めるしかなかった。やがて陽が傾き黒衣を纏うレトが訪れ帷が下りるまで移動はできないだろうと彼女は即断した。そうしてまたスコープで彼の様子を探った。
ウィリアムは地面に座り込みフィールドスコープで辺りを観察し始めていたが、麗香はむざむざと見つかるつもりはなかった。そっとライフルを倒し顎が地面につくほどさらに伏せた。そうして己が僅かに隆起した土塊だと信じた。
25R Runway Ahead LAX Los Angeles CA., U.S. AM 10:47 Aug. 13th 2015
2015年8月13日 午前10:47 合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港 25R滑走路先
乗ってきたミニバンの片側が爆裂した直後、キーロン捜査官は他の三人に怒鳴りつけ警戒を促した後、メンテナンス道路の外に広がった群生の低木の途切れた先に滑走路が見えた。その遥か先に旅客機が小さく見えた。刹那、遠くから乾いた銃声が聞こえてきた。
まさか、あそこから狙撃してるのか!?
「くそゥ──くそゥ──」
呟きながら見つめる航空機を中心に輪のように空気が歪みだし風の唸る音が急激に高まった。
ヤバい! また来る!
「木の陰に逃げ込め! 姿を滑走路に晒すな!」
怒鳴って他の三人が駆け出した一瞬、爆轟と共にミニバンの片側が浮き上がりエンジンルームを除き残りのボディが砕け千切れた。
「キーロン! どこから撃たれているんだ!?」
塊の様に群生した木の陰に逃げ込みプラット捜査官がキーロンに大声で尋ねた直後、また銃声が聞こえてきた。。
「恐らくは──ハイジャックされてる旅客機からだ!」
「ハイジャッカーがライフルを!?」
木の幹に身体を押しつけ陰に身を潜めながらサブマシンガンの銃握を握りシェミーが二人に確認する様に聞いたのでキーロン捜査官はしどろもどろに答えた。
「ライフルだと──思う──だが──」
言いながら彼は茂った枝葉の先に唸り高まる風の音をまた耳にしてまた怒鳴った。
「逃げろ! この茂みから逃げるんだ!」
四人がそれぞれバラバラに駆けだそうとした瞬間、彼らの背後で一本の大人の頭ほどの直径をした木の幹が爆轟と共に多量の木屑を撒き散らし木の上半分が道路へ倒れた。
「本部! ベレンジャー主任! キーロンだ! 狙撃されてる! 管制官は重体! デクスターの姿はない!」
駆けながら彼はハンディ無線機で報告をするとスピーカーから明瞭な主任の声が戻り同時に彼はまた銃声を耳にしながら指示を聞いた。
『管制官を連れて引き上げろ!』
「主任! 車がバラバラにされたんだ! この場から逃げ出せない!」
『代わりの車輌を廻す! それまでどこかに避難しろ!』
無線機を握りしめ言い返そうとした矢先にまた唸りが高まり彼は怒鳴った。
「逃げろ! 今、いる場所から移動しろ!」
彼らが駆けだした瞬間、今度は空港警備員が身を潜めていた木の幹が爆裂しまた道路に倒れ込んだ。次の木に逃げながら彼は自分らが管制官が倒れているバラバラになった空港作業車から遠ざけられている事に気づいた。
旅客機から狙撃している奴は駆けつけた者を別れさせ狙撃するつもりなのだろうか? まさか疑いが現実になろうとは彼は眼にするまで信じられなかった。
少し多く茂った低木の後ろに姿勢を下げ逃げ込んだ彼が振り向いた須臾、破裂する轟音と共に30ヤードほど離れた場所で木の幹に隠れているシェミーが赤い飛沫を多量に膨れ上がらせそれを覆い隠す様に木屑が広がった。
愕然と見つめる彼の先でその木屑が道路に落ち始めた直後、支えを失った木が傾き始めたのを先んじ上半身をなくした彼女の腰から下がアスファルトに倒れた。
☆付録解説☆
☆1【黒衣を纏うレト】ギリシャ神話の狩猟・貞潔の女神である活発なアルテミスや遠矢神アポローンらとは正反対の彼らの穏和とされる母の名前です。ギリシャ語の発音ではレートー(/Lētō)と聞こえるのですが、日本語に直すとおそらくは音を伸ばさないと思います。ゼウスとの間に二人の子をもうけた彼女は最高女神ヘラの怒りを受け陽の当たる地で出産させじとされたため主産地を探し放浪します。




