Part 1-1
Accuracy International Ltd. Portsmouth ,UK Mar. 25th 2014
2014年3月25日 イギリス ポーツマス アキュラシー・インターナショナル株式会社
「さあ、どうぞ入って」
責任者のポールに促され東 麗香は事務所に足を踏み入れ、直後、深々と頭を下げると挨拶をした。
「東 麗香と申します。皆様、よろしくお願いいたします」
お辞儀して自己紹介したのは、艶やかな黒髪を後ろで編みアップにしたガーネットの様な深い色合いの焦げ茶の虹彩が煌めく若い女性だった。
「貴女が新人の事務員さんね。レイ、そんなに畏まらないで。私はスーザン・ベカーソン──この娘がジェニファー・チャンドラー、よろしくねレイ」
麗香が顔を上げると二人いる女性事務員の一人がそう言いもう一人の女性も片手を上げ挨拶した。
「レイ?──わたし──が?」
問い返す彼女を事務所の奥のソファーで新聞に目を通している年配の男が一瞬、確かめるように盗み見したのを麗香は気がついた。
そう、彼──ウィリアム・ビグローとの初めての出逢いだった。
「へぇ~っ、よく決心したわね。でもどうして地球の反対側に就職しようなんて思ったの? トウキョウの方が大都会だし、貴女みたいな娘だったら幾らでも働き口があるでしょうに」
一緒にランチを食べながら、スーザンが興味深げに尋ねてきた。
「ええ、でもこちらで働いていたら、優秀な狙撃手の方にお会いできそうで」
「貴女、変わってるわね。時々、誇大妄想というか、勘違いしてる人がスナイパーになりたいとかいって雇って欲しいと申し込んでくる事はあるけど、うちは──それは優秀なライフルを作りはするけど狙撃手の養成はやらないのよ。レイはスナイパーになりたいとかいう連中じゃないのはなんとなく分かるけど、そんなに狙撃手の人と会ってどうしようというの?」
「興味本位じゃないんです。学生の時──ハイスクールに通っていた時に、戦場取材した番組を見てたんですけど、リポーターが狙撃手の人にインタビューしてて、彼が言っていた言葉がずっと引っかかって」
その狙撃手は高齢の兵士だった。まだ除隊されてないのなら、見掛けよりはずっと若いはずなのに、何が彼をそんなに年老いて見せてしまうのかと麗香は不思議に感じた。
「なんて言ってたの?」
ジェニーがサンドイッチから口を離し麗香に尋ねた。
「たった一人の狙撃手が数千人の兵士を恐怖で雁字搦めにする──と」
「うーん、分からなくもないけど、大袈裟なんじゃないかしら」
「そうは思いませんでした。そのインタビューされている兵士は口元で軽く微笑んでいるのに、瞳が、何というか──圧倒的な生殺与奪の力を持つ自信みたいなものが溢れていて、その様な職業に就く人と詳しく話してみたい気持ちが年々嵩じてこうしてこちらに就職したんです」
それだけではなかった。その老練の兵士は一弾で数千人もの、時には数万人もの命も救えると言ったのだ。その様な事があり得るのかと抱いた疑念が、年を追うごとに大きな痼りとなっているのだと彼女は思ったが、新しい同僚達にそこまでさらけ出す勇気もなかった。
「ふ~ん、じゃあ、うちのデモンストレーターやってるウィリアムの話しを聞いてみるのもいいかもね」
スーザンにそう言われ麗香は誰だろうかと思った。
「ウィリアム?」
「ええ、ほら、貴女が朝、事務所に来たとき奥のソファーに座って新聞広げてた人」
「ああ、自己紹介してくれなかった方ですね。直ぐに事務所を出て行かれたから──よその会社の方かと」
「いいえ、彼は非常勤の社員で、うちの銃器──ライフルだけど──各地の軍や法執行機関に売り込みに行くセールスマンみたいな仕事をしてるの。あとショットショーなんかにもね」
「ウィリアムって狙撃手なんですか?」
「うーん、そう言われるとなんて答えたらいいのか迷うわね。でもライフルの腕は一流らしわよ。社長が見つけてきた人なの。でもレイ──狙撃手の人達って変わり者が多いって聞いた事があるから、もしかしたら、相手にされないかもね」
そう言ってスーザンとジェニーが軽く笑ったので麗香も目尻を下げ付き合った。
「彼──ウィリアムはどこに?」
「ああ、たぶん工場の方よ。彼って新しい女性より、新しいライフルにしか興味がないのよ。それでも話を聞いてみる?」
そう言いスーザンが瞳をのぞきこむように視線を向けたので、麗香は何かを試された様に感じ苦笑いした。
軽いランチが終わり、休憩時間にまだ余裕があったので麗香は新しく同僚として迎えてくれたスーザンに工場を教えてもらい足を向けてみた。
工場は事務所から少し離れていた。
彼女はその建物に入ろうとしたが、鉄扉がロックされていた。麗香はドアの傍らにあるビデオカメラ付のインターフォンの呼び鈴を押してみた。直ぐに誰か出て、用件を聞かれたので、彼女は新しく入った事務員で、見学に来ましたと告げると、簡単に電子錠を開いてもらえた。工場の中はそれほど広くはなく、かといって狭くもなくバスケットボールが同時に六ゲーム出来そうな体育館ぐらいの広さだった。中は通路で仕切られ、様々な工作機械が整然と広めの間隔で据えられていた。そのどこにも人影が見えず、麗香が見回していると端の方のドアが開き年配の男の人が少し大きな声で彼女を招いた。
麗香がその人の元へ軽い足取りで行くとその男の人が自己紹介をしてくれた。
「工場責任者のカイル・ブレイザーだ」
「初めまして。東 麗香といいます」
「チャイニーズだね。さあ、さあ、入って、皆、休憩中だけど君を紹介するよ」
麗香は中国人だと言われ苦笑いを浮かべた。彼らからしたら日本人も中国人も同じに見えるのかもしれない。
その部屋の中にはテーブルが六つあり、八人の男達が思いおもいの場所でくつろいでいた。
「彼女が、新しい事務の子。名前を──えーっと、オズマ、レイク?」
まったく違う名を言われ、麗香は眼を游がせた。
「レイカ・アズマです。日本から来ました。レイと呼んで下さって構いません。皆様、よろしくお願いします」
そう言って彼女が腰を折り頭を下げると、一人を除いて皆が自己紹介してくれ何人かは握手さえしてくれた。挨拶をしなかったのは朝、事務所奥で新聞を広げていたウィリアム・ビグローだった。彼は麗香の方へ視線さえ向けず、何かの雑誌に眼を落としたままだった。その後、ウィリアムを除いて日本についてニンジャやゲイシャ、フジヤマと色んな事を尋ねられた。麗香は愛想良くそれらを簡素に説明して、ウィリアムのくつろぐテーブルまで行くと椅子を引き右手の斜め横の席に腰掛けた。
「ビグローさん、私の何が気に入らないんですか?」
そう麗香が単刀直入に尋ねると彼が初めてじっと彼女の方へ視線を向けた。数秒だったが、そこに敵意でない、何かの拒絶を麗香は敏感に感じ取った。
「俺がいつ、君のことを気に入らないと言ったか?」
その物言いに麗香はまるで硬質の歯車の様な感じがした。
「今朝、事務所での態度と、今、この場での態度がそう語っていました」
そう彼女がはっきりと言うと、ウィリアムは一瞬、眉根を寄せて眼を細めた。その睨みつける様な視線にもかかわらず、麗香はじっと彼の瞳を見つめた。すると彼がいきなり言った事に麗香は興味を抱いた。
「見たものがすべてだと思わん事だ」
「私、見ることには自信があります」
麗香は即座に反応する事で嘘偽りのない事実を突きつけた。
「ふん、得手して物事を見極められない奴の言葉だ」
そう言いウィリアムが雑誌に視線を下ろそうとし、呟く様に彼女へ告げた。
「どうでしょう?──ウィリアム、貴男は私がこの部屋に来てから、一ページも雑誌をめくられていません」
麗香の言葉にウィリアムは下ろしかかった視線をゆっくりと上げ彼女の瞳を覗き込んだ。
「お前、皆と話しながら、俺を盗み見ていたのか?」
「盗み見る?──誰がどの指に煙草を挟み、誰がどちらの手のどの指でマグカップを握り、誰が──何もかもを盗み見ると言うのならば、見た瞬間にはそうなのかもしれません。でも──ウィリアム、貴男は視界の一部にしか過ぎませんでした。鷹という猛禽の鳥は時速80マイル(:約130㎞)以上の急降下で、視野が急激に流れる中に、必要な情報を見落としません」
その例えを理解し難いといった様に彼が片眉を上げながら、視線をまったく逸らさないのが良い兆候だと麗香は思った。それとも警戒心を──敵意すら抱かせたかもと僅かに不安がよぎった。
"Have you ever been called a weirdo ?"
(:お前、変人だって言われた事あるだろ?)
彼がボソリと言うといきなり部屋の男達が笑い出した。その時になって初めて彼女は皆が事の成り行きを見守っていた事に気がつき僅かに顔を赤らめた。
"It's not like you."
(:貴男ほどでは──)
麗香がボソリと言い返すと皆が大笑いとなった。その事にウィリアムはあからさまに不機嫌そうな顔をした。
「お前に、変人と言われるほど、俺の何を知ってるっていうんだ」
「ウィリアム──貴男が射撃の名手だと」
彼が一瞬、絶句してその間合いに次の言葉を選んでいるのが麗香にはわかった。
「お前に射撃の何がわかるというんだ」
「少なくとも、私は200ヤード(:約61m)先の5インチ(:約12.7㎝)の的を射ぬけます。どれも一インチと外さずに」
彼女がそう言った瞬間、ウィリアムの面持ちが変貌した。
「ハンドガンの話か? やはりな。お前はそういう奴なんだな。ただのガン・フリークだ。俺は5300フィート(:約1615m)先の同じ──標的を外さない。それも人の頭部をだ」
「おい、ウィリアムそれくらいにしとけ。事務所の新人さんが一日で辞めたら、また社長、不機嫌になるぞ」
工場責任者のカイルが合いの手を打った事に麗香は気がついた。元々、喧嘩をしに来た分けではなかった。ただ、彼に話を聞きに来ただけだったのだ。だが退かなかったのは彼の方だった。
「レイとか言ったな。ちょっと顔を貸せや」
そう言ってウィリアムが立ち上がるのと同じくして麗香も立ち上がった。
#2211 6th St. Ocen Park Santa Monica Los Angeles CA., U.S. AM 07:05 Aug. 13th 2015
2015年8月13日 午前7:05 カリフォルニア州 ロサンゼルス サンタモニカ オーシャン・パーク 6番街2211番地
出掛ける用意を一通り終えジェシカ・デスプラは娘のクロエを起こしにかかった。ロースクールに通うようになっても手の掛かる娘だったが、彼女は朝一番にそんな娘を抱きしめられることを毎日、神に感謝していた。
彼女はドレッサーの姿見の前を離れる前に、自分の身を包むフライト・アテンダントの制服をチェックすると娘の部屋へ足を向けた。
クロエは毎朝、寝起きが悪く、再三起こしてもベッドから出るまでに十五分も掛かる。それでいて大きくなったら、ママのような客室乗務員になるんだと時間にルーズな事を棚に上げていた。
さあ、今朝はどうやって起こそうかしらと彼女は廊下を抜け奥の娘の部屋の扉を開いた。
「クロエ、起きなさい。今朝はシリアルを食べてもいいわよ!」
彼女が娘の言い訳がましい返事を期待し、ベッドを見ると呻き声が聞こえ、不安になった。
「クロエ、具合が悪いの?」
娘のベッドに歩き寄り彼女は不自然に盛り上がったシーツに手を掛け顔を見ようとした。シーツをめくるとそこには娘の代わりにソファ・クッションが二つ並んで置かれていた。
娘にやられた、とジェシカはわざと驚いた声を上げ、後ろから飛びついてくるクロエを抱きしめてやろうと勢いよく振り向いた。
開いたクローゼットの扉の間に、見知らぬ男が娘の口を塞ぎじっと立ってジェシカを睨みつけていた。