10年ぶりに光を取り戻したら妻を直視出来なくなってしまったんだがどうしたらいいのだろう
俺は10年前、光を失った。
俺の名はウィル。割と大きな町の片隅で生まれ、どこにでもあるような家庭で育った平凡な男だ。
そんな俺には小さい頃から共に過ごして来た幼馴染がいる。名をミリアと言う。
ミリアはスカートよりもズボンを、お飯事よりも鬼ごっこを好むような男勝りな性格で、俺たちは男兄弟のように仲良く過ごしていた。
俺たちは2人でしょっちゅう町の外に出ては野山を駆け回っていた。そんなある日、事件は起きた。
それは俺たちが10歳の時だった。俺はミリアと共に町外れの山に向かった。
たしか、ミリアが魚釣りをしようと言い出したからだったと思う。
そして山に入ってしばらくして、俺たちは熊に襲われた。
突然のことに身動き出来ないでいたミリアに向かって熊がその腕を振り上げた瞬間、俺は咄嗟にミリアを背に庇った。
結果、俺は熊が振り下ろした鋭い爪で、額から頬に掛けてをざっくり抉られた。
その瞬間のことは今でもよく覚えている。
額に衝撃を感じた次の瞬間、目の前が真っ暗になったのだ。
衝撃で後ろに吹き飛ばされ、背に庇っていたミリアと共にもつれるように倒れ込んだ。
そして次の瞬間、顔全体に焼けるような凄まじい激痛が走り、俺は絶叫を上げながら気を失った。
後から聞いた話だが、そのすぐ後に俺の絶叫を聞きつけて、たまたま近くにいた猟師が駆け付け、俺たちは助かったらしい。
熊を倒した猟師のおじさんに俺は町まで運ばれ、治療を受けた。
幸い一命は取り留めたが、熊に深々と切り裂かれた両目が光を取り戻すことはなかった。
その日から、ミリアは変わってしまった。
俺の怪我に責任を感じているようで、毎日俺の家に通って来ては謝られた。
俺はそんなミリアの態度が気に入らなくて、必要以上に元気な振りをした。
本当は目が見えなくなった恐怖と不安に押し潰されそうだったが、ミリアの声が暗く沈んでいるのがどうしても嫌だった。
ミリアにはいつも通りに明るく笑っていて欲しかったのだ。
不思議なもので、ただの空元気でも繰り返していれば勝手に気分は明るくなるらしく、俺はそれほど深く落ち込むこともなく、失明という1つの絶望から立ち直ることが出来た。
ミリアも、俺が本当に明るくなるに連れて、以前と同じように明るく笑ってくれるようになった。
それから俺は、目が見えないなりに何か出来ることを探そうと思って、楽器をやることにした。これなら耳が聞こえれば何とかなると思ったのだ。
だが、当然そんな甘いものじゃなかった。
最初はまともに音も出せなかった。まともに曲が弾けるようになるまで半年以上掛かった。
その間、ミリアは常に俺を支えてくれた。
普段は両親が俺の面倒を見てくれていたが、両親が働きに出ている間は常にミリアが傍にいてくれた。
5年間以上に及ぶ努力の甲斐あって、16になる頃には何とか音楽で収入を得られるようになった。
そして2年前、俺たちが18歳になった時、俺とミリアは結婚した。
それから2年間、音楽で得られる収入は安定しないため、決して裕福な生活とは言えなかったが、俺たち夫婦は二人三脚で幸せな家庭を築いた。
…たった1つの問題を除いて。
まあそれについてはまた後で触れるとして、本題はそれからだ。
俺たちが20歳になったある日、俺たちが住む町に、奇跡の体現者たる聖女様がやって来た。
そして、今まで誰にも治すことが出来なかった俺の目を、あっさりと治してしまったのだ。
10年ぶりに見る世界に呆然とする俺に、あの方は満足そうな笑みを浮かべると、何も言わずに立ち去った。
その後ろ姿をやはり呆然と見送っていると、背中にミリアの身体がぶつかって来た。
俺の後ろから抱きつき、肩に顎を乗せながら、震える声で尋ねて来る。
「ウィル…見えるの?」
「ああ…見える、見えるぞ!」
ようやくその現実に意識が追い付き、胸の奥から歓喜が湧き上がって来る。
そして、ミリアと共にその感情を爆発させようと、ミリアの方を向いたところで……
時が止まった。
目の前にはすんごい美女がいた。
栗色の大きな瞳、それを縁取る長い睫毛。
すっと綺麗に筋の通った鼻に、小さく魅惑的な桃色の唇。
それらが完璧な配置で小さな顔の中に収まっており、それを流れるように艶やかな亜麻色の髪が縁取っていた。
その顔が、極至近距離。
当然だ。相手は俺の肩に顔を乗せているのだから。
えっ?ということはまさか?いやいや、そんな訳ないだろう。
そんな風に頭の中で意味のない自問自答を繰り返す俺に、その美女は少し心配そうに眉を下げながら言った。
「どうしたの?やっぱりまだよく見えない?」
その声を聞き、俺はついに現実を受け入れるしかなかった。
絞り出すような声で、確認をする。
「ミリア……か?」
「ええ、そうよ?」
キョトンとした顔をするミリアを前に、俺は目が見えるようになった時以上の衝撃を味わっていた。
その思いが自然と口から零れ落ちた。
「そんな……バカな………っ!!」
ありえない…こんな、こんな……っ!!
俺の妻が、こんなに美人なわけがないっ!!
* * * * * * *
それがほんの3日前のことだ。
全く、時間というものは恐ろしい。
小さい頃は髪も短くやんちゃで、まるで少年のようだったミリアが、こんなに女性らしく成長するとは。
隣で眠るミリアを眺めながら思う。
窓から差し込む朝日に照らされるその姿は、まるで一流の絵師が描いた絵画のように美しい。いや、絵なんて碌に見たことないけど。
まあ、実はミリアが美人だというのは、前から周りの人に言われていたことだった。
だが、それはお世辞のようなものだと思っていた。仮に成長して多少美人になっていたとしても、まさかここまでとは夢にも思っていなかったのだ。
だがまあ3日も経てば、その美貌もいい加減見慣れ……
「う、ん……ふわぁ……あっ、おはよう。早いのね、ウィル」
「お、おぉはよ、う」
…るわけないだろ!!
なんぞこれ!見慣れるどころか起きているミリアを直視できませんけど!?早起きしたのは一緒のベッドで寝てるのが落ち着かなくて、眠りが浅かったからですけど!?
目が見えるようになってからずっとこんな調子だ。
前までなら毎日おはようのキスをしていたのだが、まともに目を合わせることも出来ない今となっては、そんなこと絶対に不可能だ。
今も頬に、ミリアの何かを期待するような視線を感じるが、俺はそちらを向くことも出来ず、顔を背けたままそそくさとベッドから降りた。
「今日は昼から公演だから、昼ご飯は外で食うよ」
「…そう、分かったわ」
少しだけ残念そうな声でそう言うと、ミリアは先に部屋を出て行った。
「……はあぁぁーーーー…」
1人になった部屋で、俺は溜息を吐きながらしゃがみ込んだ。
こんな状態じゃダメだということくらい分かっている。
綺麗な女性を相手にしただけで挙動不審になるなど、我ながらどこの思春期のガキだとツッコミを入れたくなる。
だが、どうにも慣れないのだ。
ずっと一緒にいて、もう2年も夫婦をやっていて、今更何をぎこちなくなることがあるんだと言われるかもしれない。
確かにそれはそうなのだが、俺の中にずっとあった子供の頃のミリアのイメージと、今の現実のミリアとの間に差があり過ぎて、なぜだか急にミリアが遠い存在になってしまったように感じるのだ。それに…
顔を上げ、窓に映る自分の顔を見る。
どこにでもいるように平凡な俺の顔は、10年経っても変わらず平凡だった。
…どう見ても、釣り合っていない。
おまけに少し前まではこの顔に醜い爪痕が残っていたのだ。
これでは周囲の人間に不釣り合いだと言われてもしょうがないだろう。
実は結婚してからというもの、俺たち夫婦には1つの噂を付き纏っていた。
それは、ミリアは俺に怪我を負わせた罪悪感から、仕方なく俺に嫁入りをしたという噂だ。
今なら分かるが、あれは俺をやっかんだ男たちが流した噂だったのだろう。
今までは気にしたことがなかったその噂を、今は軽く受け流すことが出来なかった。
ミリアは素晴らしい女性だ。それは疑う余地もない。
性格は明るく思い遣りに満ちていて、障害を抱えた俺をずっと支えてくれた。家事も完璧で料理も上手い。
おまけにあの美貌だ。
ミリアなら、俺みたいな平凡な男じゃなくて、もっと自分に相応しい上等な男をいくらでも捕まえられただろう。
…冷静に考えると、ミリアは俺のどこが良かったのだろう?
容姿なんて結婚当初は悲惨の一言だっただろうし、稼ぎだって不安定だ。
何より、目が見えないせいで不便な思いもたくさんさせた。夫としての務めもきちんと果たせていない有様だ。
そう、俺たち夫婦のたった1つの問題。それは……
結婚して2年も経つというのに、今まで一度も夫婦の営みをしたことがないということだ。
いや、もちろん何度か試みたことはある。
だが、目が見えないと色々と具合が悪く……いや、まあつまり俺が全面的に悪いのだが、なかなか上手くいかず、何度やっても最後まで行けなかった。その内お互いに気まずくなってしまい、そのことには触れないようになってしまったのだ。
だが、目が見えるようになった今なら、失敗することはないはずだ。
そうだ。遠くに感じるようになったというなら、こちらから歩み寄ればいいのだ。
俺は立ち上がると、両手で頬を叩いて気合を入れた。
「よし!」
そして、俺は朝食の席で何とかミリアを夜の営みに誘うことが出来た。
横目でチラ見すると、ミリアは恥ずかしそうに、それと同時にとても嬉しそうに頷いてくれて、俺は思わず叫び出したい気分に駆られた。
* * * * * * *
― その日の夜
俺は、寝室の前でかつてない緊張に襲われていた。
心臓が凄まじい勢いで鳴っていて、緊張で手が震える。
お風呂で身を清めたばかりだというのに、全身が冷や汗でじっとりしていた。
緊張を和らげるために深呼吸しようとするが、その吐く息すら震えていた。
それでも何度か繰り返して呼吸を整えると、俺は意を決してドアを開けた。
ベッドでは既にミリアが待っていた。
薄絹を身に纏い、月光に照らされるミリアは、息を呑むほどに美しかった。
思わずドアを開けた体勢のまま見惚れてしまった俺の方に振り向くと、ミリアは恥ずかしそうに俯きながら、そっと囁いた。
「来て…ウィル…」
その言葉を聞いた瞬間、これ以上は上がるまいと思っていた心臓の拍動が更に跳ね上がった。
よ、よし!
行く、行くぞ!!
う、うおおおおぉぉぉぉーーーーーー!!!!
………………………
………………
………
* * * * * * *
チュン、チュン
……おはようございます。清々しい朝ですね。
澄み切った空には雲1つありません。今日は1日快晴でしょう。
窓から差し込む朝日がとっても気持ちいいです。
でも、今朝はなぜだかそんな朝日がやけに目に沁みます。
え?昨日?
ハハッ、上手くいきませんでしたよ。
自分でも記憶が曖昧ですが、どうやら興奮し過ぎて頭に血が上ったらしく、ベッドに辿り着く前にぶっ倒れたようです。
今も隣に眠る妻がそんな自分をベッドまで運んでくれたのかと思うと、情けないやら申し訳ないやらでこのまま消えてしまいたくなります。
そんな風に窓の外に遠い目を向けていると、隣でミリアが起きる気配がした。
俺は思わずビクッとしてしまいながら、転げるようにベッドから降りると、そこで土下座の体勢になった。
「…ウィル?おはよ、う?」
目を覚ましたミリアが、そんな俺の姿を目撃してベッドの上で固まっている。
「スマン!ミリア!ホンットーにスマン!!この通りだ!!」
俺はミリアに向かって全力で土下座する。自分から誘っておいてベッドに辿り着く前に気絶するなど、夫として以前に男として最低だ。
ただひたずらに額を床に擦り付けて謝罪する俺に、しばらくの沈黙の後、ミリアがおずおずと声を掛けて来た。
「いや、そんなに気にしなくてもいいわよ?…その、とりあえず頭を上げて?ね?」
その言葉に従って頭を上げるが、今はいつもとは違う理由でミリアの顔を見れない。
「まあ、久しぶりだったものね?その…実際ウィルにとっては初めてみたいなものでしょう?うん、だから…まあ上手くいかないこともあるわよ」
ミリアのフォローが心に痛い。
益々深く俯く俺に、ミリアが慌てたように話を変えて来た。
「そ、そういえばどうしていきなり誘ってきたの?今までは何となく避けてた感じだったのに」
そう言うミリアに、俺は下を向いたままぽつぽつと語り出した。
目が見えるようになってから、何だかミリアが遠い存在に思えるようになってしまったこと。
自分がミリアと釣り合ってないんじゃないかと思って、焦りと不安に襲われたこと。
その焦りと不安を何とかしたくて、ミリアを誘ったこと。
こんな情けないことを告白するのは、自分の男としての株を益々下げるだけなのではないかと思ったが、今の俺はもうどうにでもなれという気分で、全てを洗いざらいぶちまけた。
全てを黙って聞いた後、ミリアはゆっくりと口を開いた。
「私は…ウィルのことをそんな風に思ったことないよ?だってウィルはずっと昔から私のヒーローだったんだもん」
その予想外の言葉に、俺は少しだけ視線を上げてミリアの顔を見た。
ミリアは少し照れくさそうに、それでもしっかりと俺の顔を見ながら続けた。
「私が熊に襲われた時、ウィルは私を守ってくれたでしょ?それだけじゃない。ウィルは目が見えなくなった後、一度も私を責めなかった。むしろずっと落ち込んでた私に、いつまで落ち込んでんだって言ってくれた」
「それは…お前がずっと謝りっぱなしだったからだろ?それに、俺はお前に支えられてようやく人並みの生活出来てるんだ。そんな俺のどこがヒーローなんだよ?」
「ううん、違うよ。私が支えてたんじゃない。私が支えられてたんだよ。あの時ウィルに責められてたら、私はきっと罪悪感に押し潰されてた。そして、もう二度と昔みたいに笑えなくなったと思う。私がまた笑えるようになったのは、ウィルがずっと折れずにいてくれたから。そして、いつだって笑顔で私の手を引いてくれたからだよ」
そう語るミリアの言葉遣いは、子供の頃、まだミリアが少年のようだったあの頃のものに戻っていた。
急に懐かしい感じがして、俺はミリアの顔を真っ直ぐに見詰めた。
「そんなウィルが好きで、傍でずっと支えたくて、私も頑張ったの。それまで女の子らしいこと何もしてなかったから大変だったけど、家事も料理も頑張って覚えたし、女性らしい振舞いも出来るように努力したよ。だから、さ」
そして、ミリアはニカッと明るく笑った。
「焦らなくていいから、2人でゆっくりやっていこう?今までだってそうやって支え合って来たんだから」
その笑顔が、俺の中にある昔のミリアの笑顔と重なった。
今のミリアには、何の距離も感じない。
俺は立ち上がると、ミリアの両肩をがっと掴んだ。
「ミリア!」
「ふぇ!?え、なに?」
「キスしよう!おはようのキスだ!」
そう言うと、俺はミリアの顔に自分の顔を近付けて行った。
ミリアは突然のことに最初は目を白黒させていたが、やがて目を閉じると、そっと顔を上向かせた。
そのミリアの唇に、俺の唇が……そっと重なった。
その瞬間、俺の中にあった焦りとか不安が一気に霧散していくのを感じた。
そうだ。何を焦っていたんだ俺は。
ミリアの心は何も変わっていない。そして、俺の心も。
なら、いつか自然と俺たちはちゃんとした夫婦になれる。
夫婦は1人でなるものじゃない。2人でなるものなのだから。
2人がお互いのことを想い続けていれば、いつか必ず。
「…ウィル」
「ん?」
「…鼻血出てる」
「……」
…どうやらまだまだ道のりは長そうだ。
※ウィルの目を治したのは、同作者の前世持ちの少女シリーズの主人公ではありません。一応世界観は共有していますが、完全に独立した物語です。
2018/4/12 妻ミリア視点投稿しました。
https://ncode.syosetu.com/n7236er/