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02-03 乗馬

 祐介はストレイの勧めで、園丁見習として宮城で働くことになった。

「体が本調子にもどるまでしばらくここにいろ。内苑の清掃作業なら肋への負担も軽いだろう」

 うっかり体を動かすたびに息のとまるような痛みが走るのを、ベールヘーナの前ではなんとか隠していたつもりだったが、さすがにストレイの眼はごまかせなかったようだ。ホンとハザードはすでにビスビューを去り、かくまってもらう必要はなくなったが、どのみち肋が治るまでは城を出ても働けない。正直、ストレイの勧めはありがたかった。それに――もうしばらくベールヘーナ姫の近くにいたい気持もある。

 城内の職場だけに、規則の細かさ、やかましさは相当なものだが、祐介はすぐにこつをのみこんだ。

「ここで鍛えられれば、軍隊でも辛抱できるぜ」

 などと古参の園丁たちは胸をはるが、それは隊商の厳しさを知らないからだ。古顔の隊商夫が新米に仕事を教えこむときは、言葉より先に拳が出る。弊害も多いが、機敏な動作を体にたたきこむには効果的ということで、伝統的な訓練法として確立されている。そこで十歳から暮してきた祐介にとっては、園丁見習など文字通りの骨休めだ。


 肋の痛みもようやく消えかかったある日、急病の馬丁に代わって廏舎の掃除を手伝うよう命じられた。隊商にいたのなら馬の扱いにも慣れているだろうというのだ。

 城内の廏舎には、近衛騎兵の軍馬は別にして常時二百頭ほどの馬が飼われており、さすがに良い馬がそろっている。なかでもブーケパラスは、他国にも知られたハンメルダール侯スタルノご自慢の天馬だ。

 天馬とは、万人に認められた名馬といった意味あいの、いわば称号である。天馬ブーケパラスはスタルノの長い治世を象徴しているだけに、老いてもなお逞しく、長老の風格すらただよわせている。きっと若駒の頃は精悍さに輝いていたにちがいない。

「どうだ、すごい馬だろう」

 馬丁の口調は、まるで宝物を自慢する子供のようだ。

 これが天馬か、どこかタケロウと似ている。祐介はかつて飼っていた馬を思い出し、おもわず馬房に近寄った。

「おい、ブーケパラスは気が荒いんだ。近づいて噛みつかれんなよ」

 馬丁が笑って注意したとき、天馬は頭をさげ、大きく賢そうな眼で祐介の顔をのぞきこんだ。祐介が頸をなでると、唇をこすりつける。

「ブーケパラスがなつくなんて珍しいわね」

 入口で声がした。黒い絹の乗馬服に同じ黒の防護帽をかぶった少女で、手に騎手用の鞭を持っている。祐介より二つ三つ年下だろう。

 少女は同じ格好をした四人の仲間をつれて廏舎に入ってきた。

「そなたの名は?」少女は鞭で手のひらを叩きながらたずねた。

 祐介が名乗って、ぎこちなく習いたての挨拶をすると、

「姉上の話していらした隊商夫か。ふうん」

 と、しげしげと眺めた。

「マルヴィーナ、この子も馬場につれて行きましょうよ」仲間の少女がいった。

「そうね、ベールヘーナさまの拾われた男の子がどんな乗り方をするか、見てみたいわ」

 少女たちは声をそろえて笑った。どうやら皆、祐介が雇われたいきさつを知っているらしい。マルヴィーナだけがにこりともせず、祐介の顔を見ている。

 ベールヘーナさまの妹姫か。祐介はそれとなく観察した。そういえばどことなく似ている。これで眼つきがもうすこし優しければな。

 スタルノには一人の息子と八人の娘がいる。公女たちはいずれも美貌で知られたが、次々と結婚して、今では城に残っているのは七女のベールヘーナと末娘マルヴィーナの異母姉妹だけだ。ふたりは三つ違いだから、マルヴィーナは祐介の二つ下ということになる。

「そなた、乗馬のほうは?」

「歩きまわるくらいなら」

 公女はうなずき、馬丁頭に命じた。

「この者を借ります。馬を用意するように」

 六頭の馬に鞍がおかれ、マルヴィーナたちはそれぞれの愛馬に軽々とまたがった。

 馬の乗り方で出自や育ちがほぼわかる。少女たちはさすがに貴族の令嬢らしく、背筋をのばした美しい乗馬姿勢だ。

 祐介は馬を脅かさぬように前から近づき、馬の左側に立った。左手で手綱を持って(たてがみ)をつかみ、右手を鞍に置き、(あぶみ)に左足をかけて一気に鞍にまたがる。

 鐙がちょっと長すぎる。爪先がやっとかかるものの、これでは踏ん張れない。村でもよく父の馬に鐙が長いまま乗ったものだが、あの馬は家族の一員で、乗ったというより乗せてくれたのだ。この馬にそんな親切は期待できない。

 近くにいる馬丁に調節を頼もうとしたが、冷ややかな面つきで横を向かれた。しかし自分で直すと時間をくう。

「どうしたの、アキツ」

「なんでもありません」

 ええい、ままよ。祐介は(はら)を据えた。なに、落ちたらまた乗ればいいまでのことだ。

 マルヴィーナはたくみに馬を祐介の横に寄せ、

「駆けます。わたくしの後についてきなさい」

 と言うなり、馬をあおった。

 祐介はそれを追う。全力疾走ではないが、馬の力強い筋肉の動きが伝わってきて、ひさしぶりに心がはずむ。たちまちふたりは他の四人との間を広げた。

 少女たちは顔を見合わせた。

 祐介の馬は廏舎でも指折りの悍馬で、鈍重な農耕馬しか知らぬ者では振り落とされてしまう。実のところそれを期待していたのに、この庭掃除の少年は難なく御している。

 生垣の前でマルヴィーナがあざやかな手綱さばきで馬の向きを変え、祐介がつづく。と次の瞬間、祐介の体は宙に浮き、地面にたたきつけられた。

 気を失っていたのはほんの二、三秒だったらしい。両手をつこうとしたとたん、左肩に激痛がはしった。一瞬、四年前の雨の日が脳裏によみがえる。地面に黒い水玉の染みが一つずつ増えていく。ぼんやりと見ているうちに、それが自分の鼻血だと気づいた。

 祐介は立ちあがり、手巾(ハンカチ)で鼻の下を拭いた。砂まじりの血がべっとりとついた。

 祐介を落とした馬が、にやにやした眼で見ている。馬も経験を積むと、未熟な乗り手をからかうようになるのだ。

「骨でも折れたの?」

 マルヴィーナ公女が馬の上からたずねた。他の四人はすこし離れた場所でくすくすと笑っている。

「いえ、だいじょうぶです」

「そうか、そなたは筏に体当りしても平気な男だったわね。ならばひとりで廏舎まで戻れるでしょう」

 マルヴィーナは仲間をつれて駆け去った。

 鼻血は止まったが、治りかけた肋と左肩が痛む。顔からまともに落ちたようでも無意識のうちに肩でかばったらしい。だがそんな痛みより、公女たちの眼の前でぶざまな姿をみせてしまったことのほうがこたえた。

祐介は落ちている鞍を拾った。腹帯(はるび)の留金が壊れている。まだ古くもないのに。


「ベールヘーナ、君の拾った例の庭掃きだが、少々やつを買いかぶっているのじゃないか」

 学問所の休憩室でベールヘーナ公女に話しかけた少年がいる。

「あなたに心配してもらうようなことではないわ」

 ベールヘーナは答えて、また眼を窓の外にやった。彼方に雪をかぶったハンメルダール連峰の雄大で荘厳な景観が広がっている。

「そうもいかない。言ってはなんだが、君は世間知らずだ。幼なじみが下賤の男にだまされるのをみすみすほうってはおけないよ」

「まるで世間を知っているような口ぶりね、フェルデ」

「そりゃそうさ。だてに君より二つ年をくっているわけじゃないよ」

 フェルデ・モールベンは、家柄と年頃からベールヘーナ公女の結婚相手の有力候補と目されている。端整な容姿にくわえて学業も武術も群を抜いており、上流貴族の令嬢から小間使にまでたいへんな人気がある。むろん本人もそれは充分に自覚している。

「先日も、やつは馬に乗れるふりをして、マルヴィーナの前で見事に落馬してみせたそうじゃないか」

「あれは馬丁たちが腹帯に細工をしたのです。マルヴィーナが後で知って怒っていたわ」

「だが彼はいざとなると何もできない臆病者さ。ぼくがこの眼で見たんだからたしかだ」

「もしかして体育館でのこと?」

「そうだ。よく知っているね」

「なにかあったということだけ。詳しいことは聞いていないわ。話してくださらない」

「三日前だ。ぼくたちの武術の稽古が終わったあと――」

 宮城には十二から十七歳までの貴族の子女が集められて寄宿生活をしている。かつては人質の意味があったが、今では彼らに集団教育を受けさせるのが目的だ。学ぶのは人文科学や自然科学だけでなく、貴族として必須の宮廷教養、つまり楽器の演奏や詩歌もあり、さらに女子なら舞踏、男子は武術――とくに剣術が必修とされている。上手に踊れなければ社交界で恥をかくし、剣を使えなければ決闘で命を落とす。

 その日はたまたま教官である近衛の下士官たちに急用ができて、稽古が早目に終わった。ざわついた体育館の中で、フェルデが外を見て、取巻きの一人を呼んだ。取巻きはすぐに仲間と一緒に出ていき、作業服の少年をつれてきた。

「おまえの名前は?」フェルデは〈草原語〉で訊いた。

「アキツです」

「ベールヘーナ姫が街で拾ったというのはおまえか。なんのつもりでぼくたちの稽古をのぞいていたんだ」

「掃除をしていただけです。のぞいてなどいません」

「口ごたえする気か」フェルデの眼が冷たく光った。

 実のところ本当に覗いていたかなどはどうでもよかった。それよりベールヘーナに少しばかり優しくされてつけあがっている少年に、自分の立場というものを教えてやらねばならない。ひざまずいて素直にあやまれば鷹揚なところをみせて許してやるつもりだったが、こいつは突っ立ったまま、

――妙な言いがかりをつけられた。

と、迷惑そうな眼をしている。いくら宮城に雇われて間がなく、礼儀を心得ぬとはいえ、庭掃き風情(ふぜい)が貴族にとる態度ではない。フェルデとしても仲間たちの手前、ここまでなめられてそのままにしておくわけにはいかない。

「観ているだけではつまらないだろう。おまえにも仕合をさせてやる。おい、相手になってやれ」と取巻きに命じた。

 稽古後の余熱と解放感に気持をたかぶらせた貴族の少年たちは期待にざわめいた。この園丁見習が身のほど知らずにもベールヘーナ姫に取り入っていることは皆知っている。

――ベールヘーナさまも趣味が悪いな。

 と陰でささやく公子たちも、実はひそかにベールヘーナに憧れていたのだ。嫉妬じみた制裁はさすがに我慢していたが、仕合ならば大っぴらに痛めつけることができる。

 それにこいつは隊商夫あがりだ。隊商夫といえば体を張って野盗から積荷を守るのも仕事のうちだ。演習でしか実弾を撃ったことのないハンメルダール兵より実戦経験はずっと豊富である。きっとこいつも喧嘩――本物の戦いの場数を踏んでいるにちがいない。習った技を試すにはちょうどいい相手だ。

「ところが殴られても蹴られても、まるで亀のように丸まって抵抗もしないのさ。ぼくがとめなければどうなっていたことか」

 ベールヘーナは眉をくもらせた。一昨日祐介と会ったとき、顔が腫れているのでたずねたところ、

 ――ちょっと転んだだけです。

 というだけでいつもと様子が変わらなかったが、そんなことがあったのか。

「だいじょうぶ。たいした怪我はさせていないから」公女の顔を見てフェルデは安心させるようにいった。「それにしても見そこなったよ。あんなにだらしないやつとは思わなかった。見ているぼくの方が情けなくなったくらいさ」

「きっと相手に怪我をさせたくなかったのでしょう」

 フェルデは心外そうに笑った。「相手が貴族の子だから? だったらなおさら卑屈じゃないか。仕合だったんだよ、一対一の」

「無抵抗の相手を叩きのめすのが? それにアキツが勝ったら、あなたは相手をかえて何度でも仕合させたのじゃなくて。それでも一対一といえるかしら」

 フェルデは返事をしなかった。


 祐介自身はベールヘーナ姫に取り入っているつもりなどないが、身分をわきまえていないというのは当たっている。なんといっても岩間村には身分制度そのものがなく、そこで生まれ育った祐介には、身分の上下なるものが頭では理解しても感覚でわからない。公女に対しても、お姫さまというよりはむしろ雇用主のお嬢さんという意識だ。フェルデにいたっては単に〝お嬢さんの知り合い〟でしかない。

この身分差の意識がないことが、フェルデたちには見過ごせぬ無礼そのものであることに、祐介も気づいてはいる。だからといって今さら自分を他国の身分制度の枠組に、それも最下層にはめこむつもりなどない。むろん相応の礼儀は必要だ。だがそれはどんな社会――隊商でも宮城でも必要な潤滑油で、身分とは関係ない。


 体育館での出来事の数日後だった。非番の祐介はベールヘーナつきの侍女から馬場に呼び出された。



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