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天馬ゆくところ  作者: 天ノ川清
第三章 ビスビューの交易商
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03-03 マルヴィーナ公女

 数日後、マルヴィーナ姫がいきなり店にやってきた。

「わたくしのことは気にせず、仕事をつづけなさい」

 本人はお忍びのつもりらしいが、一目で警護官と察しのつく屈強な私服たちが店の内外で油断のない眼を光らせている。これで何を気にするなというのだ。そもそも公女さまが下っ端社員に何の用事だろう。

「あいつ、ベールヘーナさまとナニだという噂、本当だったんだな」

「なら、なんでマルヴィーナさまがおいでになるのよ」

「きまってるじゃないか。やつめ、二股かけてんだよ」

「この前ちらっと小耳にはさんだんだけど、あの子、ブハラの博労(ばくろう)の息子なのよ」

 社員たちは仕事もそっちのけで憶測をたくましくする。


 当の本人たちは、応接室で向かい合っていた。

「姉上からきいたわ。手掛りがつかめたそうね。よかった」

「ありがとうございます」

 園丁をしていた頃、このお姫さまには挨拶をしても無視されたりして、あまりいい印象はなかった。だが今の言葉には口先だけでない真情が感じられる。案外気立てのよい娘なのかもしれない。

「いきなり職場におしかけたりして迷惑だったかしら。そなたの家をたずねてもよかったのだけれど」

「それはちょっと……。マルヴィーナさまにおみせできるような部屋ではありません」

「ちらかっているの?」

「いえ、そういうことではなく――」

「わかった、みすぼらしいからね。恥じることなどないのに」

「べつに恥じてはいませんが」

 祐介は苦笑した。悪気がないのはわかっているが……。

「剣を習っているそうね。腕のほうはあがったかしら。だいぶ体はできてきたようだけれど」

 身を乗り出すようにたずねた。なるほど武術好きという噂は本当らしい。

「稽古は毎日していますが、まだまだです」

 祐介は宮城を出てから、場末の道場に入門した。師匠は引退した隊商の護衛で、元近衛師範といった金箔つきの肩書こそないが、実戦経験は豊富だ。

「どんな稽古なの」

「前後左右に走りながら、まっすぐに刀を振りおろすんです」

 口で言うのは簡単だが、実際やってみると腰がきまらず、なかなか思うように刀を振れない。

 マルヴィーナはがっかりしたようにいった。

「それだけ? 初歩の稽古ではないの」

「ええ。初歩を究めれば奥義に通じる、というのがおれの師匠の持論です」

「その稽古はわたくしたちもやらされるけれど、きつくて単調なのでみんな熱心にやろうとしないわ」

 ふうむ、と公女は首をかしげた。

「こういうところで差がつくのね。やはりわたくしたちは甘やかされているのかしら」

 祐介は内心、首をひねった。おれの知っている――はずの高慢なマルヴィーナ姫とちょっとちがう。そういえばこのお姫さまと話らしい話をしたのも今日が初めてだ。

「両親の仇がみつかったらどうするつもりなの」

「わかりません。とにかく今は姉を捜しだすことだけを考えています」

「今日わたくしが来たのもそのことよ。姉上がたいそう気にかけておいでだわ。旅立ちの時期について、そなたの心積りをきかせて」

「まだ決まっていません」

 マルヴィーナはかすかに(とが)めるような眼をした。

「ずいぶんと落着いているのね」

「べつにのんびりしているわけではありません」

 実際、一分ごとに葉月が遠くに去っていくような焦りに胸の中では黒煙があがっている。できるなら今すぐ駆けだしたいほどだ。

 しかし回廊からブハラまでは、人煙も稀な草原を越えなくてはならない。一日行程ごとに村や宿場町のある回廊の旅ならともかく、海のように広がる草原と沙漠を単独で渡るには馬か騾馬(らば)は絶対に必要だ。できれば駱駝がいいが、駱駝の値段は馬の倍以上する。

 だが今の祐介には有り金を集めてもタケロウを買いとることすらできなかった。あれはつらかった。しかし手掛りがつかめたからには、資金がたまるまで待ってはいられない。

 となると方法は一つ。かつてのように隊商に雇われ、ブハラまで旅をするのだ。短期契約なので契約金は安いが、この際そんなことはいっていられない。

「問題は季節です。じきに夏ですが、夏は馬が草を食べて体力をつける時期なので、隊商があまり組まれないのです。でもまったくないわけでもないので、組合を通して隊商夫を募集している交易商をさがしているところです」

 むろん公女に資金の話などするつもりはない。弱みをみせたくないし、まして暗に援助をせがんでいるようにとられたくはない。

「わかったわ。そなたの気持も察せず、つまらぬことをいってしまったわね。姉上にはその通り伝えるわ」マルヴィーナは素直にうなずいた。

 どうやらおれはこのお姫さまを誤解していたらしい。祐介は反省した。高慢で相手の気持に鈍感かもしれぬが、根は誠実で優しい娘なのではないか。


「話はかわるけれど、そなたがひとまわり体格の大きなアールドベンたちをやっつけたのは、どんな技だったの」

 膝をのりだして眼を輝かしている。絵と文学が趣味の姉姫とはだいぶ違う。

「技というほどのものでは……。ごくふつうの当て身と蹴りです。要はどうして相手の攻撃をかわして自分の間合に入るかですが、こればかりは気の抜けた稽古をいくら積んでも身につきません」

 わかるわ、というようにマルヴィーナはうなずいた。

「なぜ体育館の時には使わなかったの」

「喧嘩ならともかく、仕合には使えません。なにしろ隊商夫たちから習ったもので」

「手加減できないということね」

 思わず祐介はマルヴィーナの顔を見なおした。頭の回転の速さは姉姫に劣らない。おれは本当にこの人のことをなにもわかっていなかったようだ。

「アールドベンもあれで武術の腕はなかなかのものなのだけれど、やはり実戦は別ということね。それにしても四人がかりで、しかも顔を隠して襲うなど、貴族の風上におけぬ者たちだわ」

「平民だって同じです」

 公女は微笑をうかべた。「そうね。わたくしはそなたを知って平民への認識をあらためたわ」

「しかし、マルヴィーナさまとこんなに話をしたのは初めてですが」

「そなたはそうでも、わたくしは姉上からよくそなたの話をきかされているわ」

 祐介は顔が熱くなったのを感じた。

「あまり買いかぶっておいででなければいいのですが」

「アールドベンだけれど、彼がそなたの鞭打ちを見物して腰をぬかし、また肋をいためたのは知っているかしら」

「そのようなことを聞きました」

「彼、去年の秋の舞踏会で姉上を強引に同伴者にしたの。フェルデたちの鼻をあかそうという魂胆だったみたいだけれど、公子たちの間では評判がよくなかったわ」

 祐介ははっとした。マルヴィーナさまは――いやフェルデたちも、ベールヘーナさまがおれのために頭を下げられたのを知っているらしい。アールドベンが自慢したのか。やつならやりそうだ。

 いずれにせよ自分のためにベールヘーナが噂の種にされていることに、祐介はいたたまれぬ思いがした。

 だがマルヴィーナはさして気にしていないようで、

「ま、姉上もそれで借りを精算できたわけだわ。ところがアールドベンときたら、どうやら味をしめたらしく、わたくしにも舞踏会の誘いをかけてきたの。度胸はシャボン玉だけれど、顔の皮は靴底なみね」

「で、どうなさいました」

「わたくしは、こそこそと弱みにつけこんでくる男は大っ嫌いよ」

「気が合いますね」


 マルヴィーナが帰ったあと、祐介は支店長に事情を説明し、夏には会社を辞めることをつげた。これで葉月を救いだす一歩を踏み出した。もう後はない。祐介は心がたかぶる一方で、ベールヘーナとの別れが迫ったのも実感した。



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