学びの道(3)
「私、その時は爺や、というか執事さんと町を歩いてて」
「執事さんがいたの?」
「え、はい」
「そうか、振る舞いに品があると思っていたがそれほどとは」
クルシャとレントは目を見張り感嘆の息を漏らす。セオも二人ほどではないが驚いた様子だ。彼女達は若くしてこの地へやってきているものの、裕福な身分という訳ではないらしい。
シルフェとしては何気なく話したつもりだったが、内心でひやりとしていた。今のは軽率な言動だったかもしれない。それでも顔に出すことはせず、話を続けることにした。
「えっと、それで二人で町を歩いていると、露店に混じってその人がいたんです」
その男は兎を一匹連れていた。スペースを僅かに取っていたが、兎の他に商品と呼べそうなものは無く、見世物を始める様子も無い。呼び込みの一声もないのは商人の集まるこの通りにおいて奇妙とさえ言えた。
「うさぎさん、可愛いですね」
それが反って興味を引いたか、シルフェは男の下へ近寄った。執事は何も言わずそれを眺めている。彼女の行動にとやかく言う性格では無いらしい。
「ありがとう、コイツは僕のペットみたいなものでね、アストって名前なんだ。触ってみるかい?」
「いいのですか?」
「ああ」
男は兎に向かって抱えていた兎を近付ける。触ってみれば、柔らかな兎の茶色い毛が指を撫でる感覚が心地良い。その奥から感じる温度もまた安らぎを与えてくれる。抱きしめたい、とも思うのだが、仮にも他人の兎であるのだから失礼だろう。
「気に入ってくれたかな」
「はい、うさぎは初めて触りました」
馬や犬なら比較的見かける頻度も高いが、兎を連れる者はそうそういない。シルフェは蜜のような色の瞳を輝かせて応える。
「そうか、嬉しいなぁ」
対する男も濃い茶色の瞳をきらめかせる。男はまだ若かった。焦茶色の髪は短く、その装いは商人というよりは旅人のようで、シルフェにはやはりこの男がここへ来た理由が分からない。
「でもね、コイツは可愛いばかりじゃないんだ」
男はそこではめていた手袋を外し、兎を膝で抱え込みながら懐にあった別の手袋を取り出すと、それをまた装着した上でシルフェに近付ける。
「もう一度触ってみてごらん」
「……はい?」
何の意味があるのだろうか。男の不可解な行動に首を傾げながら、シルフェは再度兎を撫でる。
「きゃっ!」
次の瞬間、兎が飛んだ。
シルフェの頭上を越え、天高くまで垂直に兎は昇っていく。通行人もその様子に目を丸くした様子だった。シルフェが腕で顔を覆いながらたじろいたのを、執事が手を差し出して背を押さえた。
シルフェは咄嗟に声をあげてしまったが、目では兎の行方を追いかけていた。自分がもう二人上に乗っても届かないほど高くまで浮かんだ兎がゆっくりと降りてくる。
一体どんな力でもって、この兎は飛び、そして降りてくるのだろう。自分に出来るとは到底思えない。
「どうだい、凄いだろう。コイツらは昇天兎とも呼ばれているんだ」
「昇天兎……」
シルフェの頭上ほどにまで降りてきた兎を男が捕まえる。どうやら、男が触れた際には飛び上がらないように躾けられているらしい。
「僕はこういう生き物を研究しているんだ。世の中にはコイツよりもっと凄いヤツが沢山いる」
「どんな、生き物がいるんでしょうか……」
「知りたいなら、ストレンダムに来ると良い」
「ストレンダム?」
その時の彼女にはまだ、聞き慣れない言葉だった。
「ここから北に行った先。そこで僕は研究をしているから」
この日がシルフェと「彼」との、そして魔物との最初の出会いだった。