ストレンダム学寮 マロイ舎(4)
ちょうどその時、階段を下りてきた一人の寮生がシルフェ達の脇を通った。シルフェの二つ左隣にいた、妖しげな彼女である。階段側を向いていたこちらは何者かが明かりを持って降りてきているのを知っていたが、対面して背を向けていたクルシャはその限りでない。
「わっ」
「どうも」
「あら、うふふ」
その長い黒髪を揺らし、音も立てることなく下りてきた彼女に、クルシャは驚き、シルフェの方へ一歩退いた。彼女は明かりで感付かれないようあえて後ろ手に持っていたのだろうランプを前に移しながら、思いがけない出会いをしたかの如く声をあげ、微笑みながら通り過ぎていく。こうした悪戯が好みらしい。
そういえば、彼女の名前をまだ聞いていなかった。座席の遠かったものは如何せん話しかけにくく、中にはマロイやレントのようにやや目を引く形をした者もいたのだが……
「えと、それじゃ部屋に戻ろうか」
「はい、お願いします」
その時、改めて声がかかる。心残りについて思案するのはそこで一度やめにして、再び少女に付き従った。
自室に戻ったシルフェは着替えを携え、普段より遅い清めに入った。向かう前にルエッタを呼んで誘うべきか迷っていたが、彼女は偶然にも自ら部屋から出てきてくれた。
「お帰りなさぁい」
「あ、ただ今戻りました」
「ふふ、律儀ねぇ。センパイの身って素敵だわ」
そうして清め場から戻ってきたシルフェは自らの床に腰を下ろして今一度、軽口を好むかの女性の姿を捉える。今まで偶然が重なって知らずにいたが、彼女もまた自分と同じ部屋割りだったのだ。
そしてやはりというべきか、この場においてシルフェの態度はやや堅いものに映るらしい。
部屋は狭くも広くもない。ここにいるのは四人で、残る四人は隣の部屋に割り振られている。室内は四人分の寝床と個人的な空間を確保して、あとは少し工夫すれば寄り集まれる空白が生まれるか、といったところ。ドアの延長線にある向かいの壁には窓が一つ取り付けられている。
室内を見渡せば、照明は清め場に行った時から持ち出していた自分のものと、名前を知らないもう一人の寮生が本を読むため傍らに置いているものに限られている。クルシャは既に眠ってしまっていた。もしかすると眠気を覚える体を押して案内を務めてくれたのかもしれない。
先の妖艶な女性は薄暗がりの中で透明なグラスを揺らしている。酒のように見えるので、自由に飲んで良いものなのだろうか、と疑問が浮かぶが、尋ねるのはまたの機会とすることにした。
「あの、名前を教えていただけますか?」
「フライユ。そっちの無口な子はマキメリ」
「フライユさん、マキメリさん。分かりました」
小さな懸案が片付き、ほっと息をつく。マキメリと呼ばれた方は自身が話題に上っても本から目を離すことはなく、無言を貫いていた。本当に無口なのだ、とシルフェは納得する。
それにしても、今日だけで覚えるべき事柄がかなり増えた。なるだけ聞き直すことのないよう、頭を落ち着かせてゆっくり記憶を整理せねばならない。今日のところは取り立てて急ぐ用件も無く、明日からの学院暮らしに備える必要もあるため、早々に就寝の準備に入ることにする。
「あら、もうお休みになるのね」
「はい、失礼します」
「そんなに硬くならなくてもいいのよ、何も失してないんだし」
そうは言われても、半ば性分だ。切り替えるのは中々難しいだろう。シルフェは申し訳無さそうに笑みを浮かべる。確かに到着は夜だったとはいえ大事な初日、もっと色々と話をすれば良かったかもしれない。
「獣人を見るのは初めてだった?」
「はい、育ちが南の辺境だったもので」
シルフェの故郷はティフィニルというが、そこには基本、単人しか存在していない。その他の人々は北方に主な生活圏を持つからだ。変わった特徴を持つ人々については、どうしても書の中でのみその姿を見ることになる。
「それなら慣れておかないとね、獣人がこんな場所にいるのは確かに珍しいけど」
「そう、ですね」
口を結んで、受けた忠告をしかと受け止める。資料と実物の違いにいつまでも怯えている場合ではない。学院ではいかに風変わりな人物と出会うか分からないのだ。
「さて、あたしも余計にちょっかい出して嫌われたら困ることだし、マキメリちゃんとお話しようかしら」
隣にいたフライユが離れ、斜め向かいにいたマキメリの下へとにじり寄っていった。シルフェはベッドに横たわりながら、あの無口な女性がどう応えるのか想像する。容易には浮かばないその姿に密かなおかしみを覚えながら、その日は眠りに就くことにした。