始まりの夕陽
小型の馬車が一台、平らかな草原の道を走っていた。時刻は既に夕方と言えるだろうか、秋が近いために太陽はやや駆け足で天を下っていた。
走る馬車に設けられた席には、二人の少女が着いていた。年齢はどちらもまだ青年期を脱していないように思える。
左側に座す少女の名はルエッタといった。暗めの金髪を横に結んでおり、濃青色の瞳は涼やかでわずかにつり目がかっていて、その顔立ちには気の強そうな印象を受ける。右の少女が寄りかかり眠ってしまっているのを咎めもせず、外景に目をやっていた。
当の右側に座す少女はシルフェ、明るい茶髪は肩を越えて伸ばされている。穏やかに眠るその顔立ちと姿勢、左の少女の振る舞い、そして両者が身に付けた衣服の質といった表面的な事柄だけで判断しても、彼女らがそれなりに恵まれた環境にあることが伺えた。
そのシルフェの身体はやがて、ゴトリ、ゴトリと揺れる馬車の振動を感じ取る。止まっていた思考の歯車が動き出した。
ゆっくりと、五感の働きが再開する。瞼を開くと同時に、左肩が一際暖かく感じられて、そちらに視線を向ける……までもない。ルエッタに寄り掛かってしまっているのだと、そこでようやく気が付いた。
「あっ、ごめん」
「いいの、わたしもさっき起きたところだから。肩を預け合ってたようなものよ」
そう言って彼女はにこりと口角を上げてくれる。いくらか気が楽になって、こちらも笑った。
「それより、見て」
指差された先は側から見える外景。屈んで覗くと、眠っている間に景色は最後に見た林から移り変わって、平地の上で短草草原が広がっていた。
特筆に値するのは空の様子だ。澄んだ青空に浮かぶ雲が遠く山間に沈んでいく太陽の光を照り返して、橙色に輝いている。昼夜の狭間なので、黒白二色の環が空高くで交差しているのも美しい。
少女の琥珀色の瞳にさらなる艶が生まれる。
「わぁ……」
「ストレンダムにももうすぐ着くよ」
続く御者の声にひかれて進行方向へ面を向ければ、建造物の影が遠くに並んでいるのが見えた。長きに渡って行かんとしていた知恵の大地、学術都市ストレンダム。そこに自分の目指した人がいるのだ。思わず胸が躍る。
姿勢を戻すとシルフェはルエッタと目が合って、そのまま互いに小さく頷いた。
馬の蹄鉄が石畳を打ち始める。ストレンダムの近縁を流れる大河、ヴィーリン川。そこに架かる石橋を越えれば、街門はすぐそこだ。
シルフェはもう一度、沈む夕陽と金色の雲を眺める。前方に穏やかな水面が広がってさらに増した太陽の輝きは視界全体に広がり、大気そのものまでが光を放っているかのよう。
良い夕方、とても良い夕方だ。世界全体が進む先を照らしてくれているように思えて、彼女の顔は自然と綻んでしまう。
「よぉし、到着だ」
さほど時を経ずして、馬車は巨大な門の前に停止した。ストレンダムの出入口、大石門である。
進入許可を得るため待っている人々の列に同じようにして並ぶ。早朝に出発し、一夜挟んで夕方に着くほどの長距離移動だったからだろう、御者も一仕事を終えたという具合で、疲れと達成感を半々顔に滲ませている。
「有難うございました、遠くここまで運んで頂いて」
「有難うございました」
「なんの、この辺りは大した魔物も出ないからね」
魔物。シルフェがこの道程で最も恐れ、それでいて最も目にしてみたいと願ってもいたものだ。
「昇天兎ならいくらかいましたね」
「そうだね、まあこの辺りは極からも遠いから、もっと色んな魔物が見たいなら北に行くのが良いだろうけど……」
そこで御者が言い淀む。シルフェは小首を傾げた。
「なんでしょうか」
「君にとって僕は他人同然かもしれないけど、心配なんだ。本当に魔物と出会うための旅なんてことをするなら、並大抵でない危険が付きまとうからね」
その言葉に、すぐさま気が引き締まる。少女が夢見ている未来は決して煌びやかな出来事に満ち溢れてはいないということを、彼は伝えようとしているのだ。
「……大丈夫です。今のままで旅に出るのはまだまだ早いとは思っていたので。ここで学んで、本当にやりたいことへの結論を出したいです」
「そうか……何にせよ、実りあらんことを」
「はい、頑張りますね」
選択肢は無限にある。これから見つかるものもあるだろう、改めて得なければならないと気付くものもあるだろう。全てはこの街で学んでから決めることだ。
御者の言葉を反芻しつつ、シルフェは胸の内でそう唱えながら、紋章を刻まれた灰色の石門を見上げた。
この先に、私の求めるものがある。
年月を経てなお威厳を保ち屹立する一面の外壁は、橙の陽に照らされ一種の神々しさが宿っているようだと、彼女には思われた。