降り積もる死の美しき60
この世界の文字は、ほぼ読める。
それは私の言語能力が異世界で活性されたとかそういうわけではなく、ただ私をこの世界に召喚した際の魔術陣にそういう機能を付加していたからである。正直、そこだけはルタルカに感謝したいくらいにありがたい。
この世界では見慣れない形の文字を使っているけれど、読むと不思議と意味がわかるし、書こうと思えば書ける。文法や単語の構造とかを深く考えると混乱してわかりにくくなるので、特に気を張らずにさらっと読むのがコツかもしれない。
ロランツさんに見せてもらった古書も問題なく読めたので、翻訳機能はこの世界のどの言語でも通用すると思っていたのだけれど。
「うわ、すごい。全然読めないよ。フィカル、これ読める?」
フィカルの袖を引いて背表紙の文字を指すと、フィカルもふるふると頭を横に振った。私とフィカルをこの世界に連れてきたのは同じルタルカなので、ルタルカが付けてくれた翻訳機能に対応していない言語ということだろうか。
「独自の言語なのかな? 形状としては、トルテアで使ってるのとすごく似てる気がするけど……」
「文字がぼやけている」
「ぼやけてる? ほんとだ、なんかじっと見れば見るほど……なにこの現象!」
ピントを合わせれば合わせるほど、なんだか文字が滲んでいくように見える。不思議で面白い上に、目がめちゃくちゃ疲れる。あんまり凝視しない方が良さそうだ。
「面白いねー。魔術の本だからかな? なんかかっこいいね」
これで本が勝手に羽ばたいたり喋り出したりしたら、イメージ通りの魔法の世界だ。
触ろうとしたら、フィカルに止められた。怪しい本に触れるのは、フィカルのセキュリティ的にアウトだったようだ。確かに、本に噛みつかれたりしたらとても困る。
高いところまである本棚を見上げても、どれも読めない。梯子付きの本棚のかっこよさを味わいつつ奥へと進むと、私たちに合わせてテーブルのランプが勝手に点火した。ランプも観察したけれどどうみてもアナログ仕様だし、手を近付けると火の熱が伝わってくる。着火装置もなさそうなので、本当に不思議だ。
図書室の真ん中あたりまでくると、急に空間が明るくなった。
見上げると、高い天井から吊るされたシャンデリアが眩く光っている。暗くて見えなかったけれど、天井にはミケランジェロっぽい感じの空をモチーフにした絵が一面に描かれていた。大きいしとても高いところにあるので、あれを描いた画家は視力低下だけでなく高所恐怖症にも悩まされてそうだ。
「天井がすごく高いね……ん?」
かたん、と小さい音がして、私は視線を前へ戻した。正面の突き当たり、壁一面の本棚の前においてあるテーブル。そのそばに誰かが立っていた。
本棚に手を伸ばして、分厚い本を取っている。肩につかない長さで切り揃えた髪は水色がかった銀色で、小柄な体型。王都にいる貴族みたいな、ゆったりした上等なブラウスを着て、ベストとスラックスは同じ生地だ。
いきなり現れたその姿に、私は黙ったまま見つめるしかなかった。
魔術で急に現れるのは心臓に悪すぎる。
声を掛けるべきか、と迷っていると、入り口の方でアルがグルッと喉を鳴らした。
それに気が付いたのか、小柄な人影が本を開いたままこちらを振り向く。
少し幼い顔立ちのその人は、目が金色にも見えるような美しい黄色だった。
「あ、あの……」
さらっと髪が揺れたと思ったら、その人はふんわりと微笑み、そして体が透け始めた。段々と透明度が上がっていって背後の本棚が透けて見え、そして溶けるように見えなくなった。
挨拶しようと開いた私の口は、あんぐりと開いたまま。
私の腕は、考えるより前にフィカルにガシッとしがみついていた。




