春の冒険者たち4
私は咄嗟に右の腰に結んでいたハガネヅタで編んだ小さな籠壺を解き、地面に転がした。
「森を出よう!」
竜や水狼などは、火や水などを作り出して攻撃することが出来る。そういった能力を持ち人間を害する可能性のある生物をこの世界では魔物と呼んでいた。
魔除けの香はそれらを遠ざける役割を持つ。けれども今利用していたマヨケグサの香は、小さい魔物を遠ざける役割があるけれど、逆に大型の魔物にとっては好ましいものでもある。この地域では大型の魔物はほとんど出現することがないので、マヨケグサは日常的に使われているものだ。私が携帯し続ければ魔物に居場所を知らせ続けているようなものだが、まだ効力の残っている香を置いておけば少しは竜の気が逸れるかもしれない。
いつでも走り出せるくらいの速さで子供達を歩かせながら、左腰に下げた剣に触れる。柄と鞘を留めている細いベルトを外して有事に備えるが、ぶっちゃけ竜が出たら対処のしようがない。
「ねえ、こわい魔物がくるの?」
リリアナが強張った顔で呟く。その小さな手を握って歩いているレオナルドも顔色が悪い。
「竜だよ……アバレオオウシも怖がらないヒメコリュウが逃げてるなんて、竜がいるんだ」
「そんなぁ、スミレちゃん! わたしたち、死んじゃうの?」
「もうすぐ街に着くからね。近くに見張りの冒険者の人もいるから、私達に気付かないかもしれない」
「なあフィカル、おまえやってきたら倒せるか?!」
器用にもヒメコリュウと手を繋いでいるマルスが縋るように声を上げた。長い足でさほど急がずに着いてきているフィカルはしばらく悩んだ後に首を傾げた。
ですよね。
フィカルは私と同じ、この街についてから冒険者ギルドに登録した。同じ人間は二重登録が出来ないので登録名簿を確認してみたが、名前でも血液でも掌紋でもデータにひっかからなかった。そこから私よりも一足先に星を取っていき、遠出の討伐任務にも参加することが増えた3ヶ月前には星4つになっていた。星5つ以上を目指す冒険者は、訓練と経験を積んで1年に1つずつ上がっていくというのが常道だ。
空を飛ぶ竜はリュウ属以上の大きさのものだが、それらの竜の討伐は星6つの冒険者が3人以上必要だと言われている。
いくらフィカルが力持ちで運動神経が良いとはいえ、荷が勝ちすぎる。
しかも私も含めて4人と1匹のお荷物付きでは。
「スミレ! 子供達も無事か?!」
「ルドさん!!」
森を出ようと急ぐ私達に合流するように大柄の青年が走ってきた。フィカルよりはやや背が低いが筋肉のがっしりとしたルドさんは星5つ。紺色の短髪の生え際には汗が浮かんでいて、手には既に得意武器の弓を握り、佩いた剣も抜きやすい位置に構えていた。
「鳴き声が空から聞こえた。笛は竜を寄せそうで足の速いルルナに応援要請に行かせたが……ここから近いぞ」
「まじですか」
「弱いトビカミリュウでも本気を出せばこの辺の木を薙ぎ倒す。芝地の方が安全で、街より近い」
ルドさんの先導で進路をやや右側に修正する。相変わらず竜の唸り声が聞こえていて、泣きそうなリリアナとレオナルドを励ましながら走った。マルスは歯を食いしばって走っているが、一言も喋らない。
芝地は森の中に時々作られている開けた場所で、そこで獲物の処理をしたり、空を見て位置の確認をすることが出来る。私達が最初に行き倒れかけていたのもこの芝地のひとつだった。
ルドさんは一足先に開けた丸い芝地に出て空を確認したあと、素早く周囲を見回して芝地のすぐそばに生える一際太くて大きい木に目を付ける。芝地と反対の方に大きく根が分かれていて、その隙間に子供達とヒメコリュウを蹲らせた。私もそれを手伝って、繁みの枝を大きく切って子供達にかぶせていく。匂いの強い枝を被って隠れるというのは、魔物から身を隠す基本的な方法だった。
フィカルが渡してくれた枝を受け取ろうと顔を上げたとき、芝地が一瞬暗く陰った。ルドさんが一層張り詰めた顔で声を潜める。
「見付かってるな。チビたちは隠れてろ。声を出すな、動くな。音がしなくなっても出てくるなよ。大人が探しに来るまでじっとしてろ。いいな」
「こわいよ……スミレちゃんもいくの?」
「静かにしててね。ヒメコリュウの真似をして。音を立てちゃダメだよ」
枝葉でしっかりと子供達を隠して、ルドさんは私を指差して、「お前も陰にいろ」と芝地の反対側を指した。しっかり頷く。励ますように肩を叩いて、更にフィカルへ声を掛ける。
「フィカル、囮やれるか。俺が後ろから狙う」
フィカルはこっくりと頷いたあと、わずかに首を傾げる。それはどっちなんだ。
竜は素早いので、正面からかかるとまず人間は負けてしまう。なのでまず注意を引く人間や罠で気を逸らせて後ろから狙うのだ。
フィカルが芝地へ姿を晒すのと同時に、私とルドさんは木の間を縫って円形に反対側を目指す。子供達の位置が時計の12時だったとして、ちょうど4時くらいの位置に来たとき、強い風が吹いて大きな竜が芝地に向かって突っ込んできた。ルドさんは私を大きな木の陰に押しやって素早く矢をつがえる。
半径6メートルくらいの芝地が半分ほど埋まる大きさの竜はフィカルに噛みつき損ねたのを苛立ったように、大きく吠えた。尻尾に近くなるに連れて色濃くなる紅色のウロコがピカピカと眩しい。
「ギャオオオオオォ!!」
すごく怒ってるよ……
リュウ属でもそこそこのサイズだよ……
飛んでフィカルを踏み潰そうとしたり、齧り付こうとしたりと竜は忙しく動いていて、素人目にも矢で狙うのは難しそうだった。それにしても、フィカルは特に表情を変えることなくすいすいと避けている。
ハラハラと木に齧りつきながら覗いていると、ルドさんが動いた。高い音を鳴らしながら飛んだ矢は広げられた翼を狙ったのに、素早く振り向いた竜がバクッと口で折ってしまう。目が合ったルドさんは舌打ちをして剣を抜いたが、竜は「ギャオッ!」と吠えてまたフィカルの方へと向いてしまった。ぶん、と尻尾が空気を裂いて音を出す。
「どういうことだ? ……もしかして」
ルドさんは訝しげに呟いて、もう一度矢を射った。足元を狙ったそれは軽く飛び越えられて、今度は見向きもしない。それを確認して、ルドさんは堂々と立ち上がって芝地に歩いていった。
「ちょ、ルドさん危ないですよ!」
「スミレ、大丈夫だ。あの竜は俺達を攻撃しない」
フィカルに対して非常に攻撃的なんですが。
ツッコミを入れる前に、ルドさんは歩いていってしまう。私はこのまま隠れていようかどうか迷って、着いていくことにした。フィカルが疲れてやられてしまう可能性も考えたからだ。
「フィカル、そいつを大人しくさせてくれ」
「えっフィカルそんなこと出来るの」
フィカルはこっくりと頷くと、噛み付こうと姿勢を低くしていた竜の横っ面を殴った。
殴られた竜も、ルドさんと私も、唖然とする。
「……ギャオオオッ!!」
一瞬の後に気を取り直したように襲い掛かってきた竜の今度は反対側を危うげもなく蹴って、ズベッと竜は体勢を崩し、大人しくなる。というよりも、プルプルと震えていた。心なしか涙目に見える。
「フィカル……お前、竜を捕まえたのか」
半信半疑というように声を掛けたルドさんに、フィカルはこともなげに頷いた。ルドさんの拳が震えて、「あほかっ!!」と怒声を浴びせる。竜の声に引けを取らない声量だった。
「道理でお前ばっかり狙うと思った。……ギルドでも話を聞いてないし、登録してないな? おまけにまだ名前も付けてやってないだろ。だから怒ってるんだ」
頭が痛いとでも言いたげに重い溜息を吐いたルドさんが、私にもわかるように説明してくれた。
空を飛べるリュウ属以上の竜は、実力と運があれば飼い慣らし、馬のように騎乗することが出来る。しかし竜は賢く強くなるに連れてプライドも高くなる。その代わりに強い自分を負かした相手に対しては敬意を持ち、自分から仲間に加わる。そのときに名前を付けて群れの一員として認めたと竜に示す必要がある。それをしなければ、竜は自分が群れの一員と認められていない! と憤慨してしまうのだそうな。賢い。
ほうほう、と相槌を打った私の横で、フィカルも同じように小さく頷いた。
「……知らなかったのか……。星5つ取ったときの座学で教えられるだろう」
フィカルはまた動こうとした竜の頭に片足を乗せて、服の下のギルドカードを取り出す。半透明の素材で出来たそれには名前とギルドの文様が小さく載っており、そして一面に星が星座の形に散る。昇格すればカードの星が増える仕組みだ。
ルドさんと一緒にカードを覗き込むと。星は4つのコガタリュウ座。変わっていない。
「……お前、竜は名前を付けるまで際限なく暴れるだろう。それはどうしてたんだ」
「殴った」
明快な応えが返ってくる。
「……星4つで……俺より……一人で……何も知らんやつが……」
「ルドさん、どうどう」
ルドさんがブルブルと震えながらつぶやき出したので、私はとりあえず宥めてみる。ルドさんはふーっと長い溜息を吐いて気持ちを整理してから、びしっと肩を叩いた。
「昇格試験、受けろ。……あと、とりあえず、この竜の名前だ」
「ギャオォッ」
そうだぞっとでも言うように、踏み付けられたままの竜が鳴いた。フィカルはそれを見下ろして、私を見て、ふむ、と考え込む。しばらくの後にフィカルはぽつっと呟いた。
「スー」
「ギャオッ」
「今、私の名前から適当に連想しなかった?」
満足顔の竜改めスーとフィカルに対して、私は何となく納得行かない。今度はルドさんが私をどうどうと慰めて、暴れ竜襲撃事件は幕を閉じたのであった。
先程とは打って変わってルンルンとフィカルに従っている竜を連れて子供達を迎えに行くと、状況がよくわかってない3人と1匹は木の股から飛び出るなりわんわんと泣き出した。説明をして安全だと言っても涙は急に止まれない。ルドさんは今更ながらヒメコリュウが違和感なく混じっていることに呆れている。
しっかりとしがみつきながら泣いている子供達(とヒメコリュウ)を見ていると、ほっとするのと同時にじわっと怒りが再燃する。
「フィカル」
ちょいちょいと手招きすると、フィカルは心なしか嬉しそうな無表情で近付いてきた。さらに手招きをすると身をかがめてくる。私は朝よりも激しくその両頬を引っ張り回した。
「子供達をこんなにびびらせて〜……! 先に説明とかしとけばよかったでしょ!」
「ふははい」
「死ぬかと思ったんだから!!」
「ほへんははい」
びしびしと叱ってしまったせいか、スーが私をフィカルより上のやつだと判断してしまっていたというのは、後にわかることである。
珍しく殊勝に謝っているフィカルの頬の限界に挑戦していると、マルスがあっと声を上げた。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/08/02、2017/09/19)