夏の冬支度65
私が渋々、本当に渋々、ほんのちょっとだけ頷くと、ムイジャさんはパッと嬉しそうに笑った。ピンクの髪をふわっと揺らして廊下を歩き始める。
「じゃあ準備するから来て来てぇ〜」
「やばい実験道具とか使わないでくださいね。あとムイジャさんの部屋は狭すぎてダメだと思います」
「私の魔術資料室があるからぁ〜」
「散らかってませんか?」
「魔術でどうにかなるぅ〜」
魔術で片付けられるなら、部屋も自分で片付けたらよかったのではないだろうか。何か理由があるのだろうか。変な夢はリアルでちょっと楽しかったけど。
長い廊下をムイジャさんが先導し、アルがムイジャさんに話しかけながら並び、私とフィカルが手を繋いで続き、スーが後ろをついてくる。
「ムイジャさん、本当にフィカルの言った通り私のことを……好き? なんですか?」
「そうだよぉ〜スミレはねぇ〜好きぃ〜」
「それは嬉しいんですけど、あの、なんでですか?」
アルほどのコミュニケーションおばけではないにしろ、私も一応そこそこは人間関係は築ける方だと思う。けれど、ただの「街に手伝いに来たお客さん」以上の好意を持たれるほどにムイジャさんと交流しただろうか、というとそうではないような気もする。そもそも竜医師や竜学者としての実力はアズマオオリュウとランプノタネくらいに差が開きまくっているし、日々教えてもらっていることもムイジャさんにとっては基礎レベルのことだろうし、竜の診察だって毎日たくさん診ているここの人たちと比べるとおぼつかないだろう。保存食作りは頑張っているけれどまだ要領を掴みきれてないし、何より討伐や狩猟では完全に役立たずである。私が胸を張って言えるここでの貢献といえばあちこちに挟まるネイガルホウキを救い出していることくらいだけれど、それも私がやらなければキタアカリチリュウさんやコリュウたちが適宜やっているし。
私を困らせないようにフィカルの魔力は少ししか取らない、と言われるほど、好いてもらっているのはなぜなのか。
「知りたいぃ〜?」
「で、できれば」
振り向いたムイジャさんがにや〜と笑う。
「スミレはねぇ魔力がないねぇ〜」
「えっ、それだけの理由で?!」
「魔力がない人間は貴重なんだよぉ〜。魔力が増えると邪悪度が増えるからねぇ〜多ければ多いほど信用できなくなるんだよぉ〜」
「ムイジャさん……それって……」
ムイジャさんの言葉がブーメランみたいにムイジャさんに刺さっている気がした。キルリスさんといい、魔術師の魔術師に対する信頼度の低さがマリアナ海溝レベルなのはデフォルトなんだろうか。
「スミレはねぇ、魔力もないしぃ、殺気もないしぃ、小賢しい謀りもないしぃ、親切に下心もないしぃ、くっついても文句言わないしぃ、言動を操作しようともしないしぃ〜」
「喜んでいいのかちょっと微妙な評価に感じます……」
「ここまで生きてて邪悪に染まらないのは喜んでいいことだよぉ〜」
私が何も考えてない人間みたいに思える。ちょっと微妙な気持ちになっていると、ひゃひゃひゃと笑ったムイジャさんが、私の方に一歩近付いた。細い両手を上げると、わしゃわしゃと私の頭をかき混ぜる。
「警戒心が強い存在でもとっても落ち着く雰囲気でいられるのはもはや特技だからねぇ〜仔竜に近付いて親に食われなかったのもスミレだからだろうねぇ〜」
「全然自覚ないので褒められた気がしないんですが……あとアルはアルが特殊だからじゃ」
「そんなことないよぉ〜」
引き続き私の頭をわしゃわしゃしながらムイジャさんは笑った。
「ここまで警戒しない人間って珍しいからねぇ〜」
「警戒、してますよ一応」
「一緒にいて楽しいしぃ〜無防備すぎていつか変なのに気に入られて攫われて閉じ込められるんじゃないかって心配だからぁ〜」
「いやさすがにそんなことには」
「そうなる前にぃ私が閉じ込めておこっかなぁ〜って思うくらいの気持ちぃ〜」
「えっ」
ぺチーンと音が響き、ムイジャさんの手が叩き落とされていた。フィカルの手によって。
「……」
「……」
ヌーン、とオーラを漂わせたフィカルがムイジャさんを見下ろしている。ムイジャさんは相変わらずうひゃひゃと笑った。
「ふたりまとめてでもいいよねぇ〜」
「駄目だ」
「ダメですよムイジャさん。ほら早く行きましょう。通りすがりのキタアカリさんが怪訝な目で見てますし」
私が促すと、ムイジャさんがくるりとこちらに背を向けてまた歩き始める。
フィカル、いま一瞬「魔力あげるのやめよっかな」と思ってそう。やめてくれてもいいんだけどな、と思ったけれど、フィカルは私と繋いでいる手にぎゅっと力を入れるとムイジャさんに続いて歩き始めた。
私に対する評価についてはちょっと思うところもあるけれど、まあ、誰かに好かれるのはいいことだと思う。うん。
私も歩き始めると、フィカルの目がこっちを向いた。
心配しなくても私にはフィカルがいるから大丈夫だよ、と気持ちを込めて手をぎゅっと握っておいた。




