夏の冬支度36
朝の診察にて。
「ギリアーガ、おはよう」
うっすらと牙を見せながら、ギリアーガは唸った。凶暴なご挨拶は悲しいけれど、調子は良さそうだ。
主である竜騎士のドルノさんに命じられて横たわったギリアーガの、黄土色のお腹に近付いて両手を当てる。ギリアーガは隙あらば蹴ってやろうと後脚で床を掻いていたけれど、その脚と私の間にアルが入り込んで鼻筋をお腹に当て始めたのでその企みは実行しにくくなったようだ。ちなみに頭側ではスーが屈んでガン見しているので、私は安心して診察に集中できる。
ちっちゃいラッパみたいな形の聴診器で肝臓の近くにある魔力嚢の音を聞いて、それからどしどし押してみる。昨日と同じで炎症などはないようだった。
「傷口がまだちょっと時間かかりそうですね。昨日お仕事はどうでしたか?」
「特に問題なかった。石を噛みたいらしくて雪を掘ってたんだが、もう随分積もってたから危なくてな。あとでキタアカリチリュウの許可が出たら内側から削り取ってやろうと思う」
ピギュピギュと喋っているアルは、ギリアーガの口を覗き込んで頻りにフガフガと匂いを嗅いでいる。それからガリガリと足でとても硬い床を掘ろうとしているのは、やっぱり石や土を取り出そうとしているからなのだろう。チリュウの魔力が混ざった土はチリュウの傷によく効く。アルもギリアーガがケガをしているのでお手伝いをしたいようだ。
「そうですね。土を噛んでたほうが治りがいいかもしれません。じゃあ今日もお薬出して、様子見ということで」
「いや、今日は薬はいい。見てる限りもう舌の傷だけだろ?」
「でも傷口が大きいですし、一応……」
「だぁーめぇーだぁーよぉ〜!」
「えっ」
ずしっと肩に重みがかかって、私は思わず声を上げた。ラズベリーとお香と薬草を混ぜたような不思議な匂いが強く香って、誰かに肩を組まれているのだと気がつく。左側、すぐ近くにある顔がにやっと笑った。
「ムダな処方はだぁめだよぉ。薬草はいつどういう状況で必要になるかわかんないからねぇ〜」
ゴスロリ。いや、パンク?
一瞬そんな言葉が浮かんだのは、私と同じくらいの背丈のその人が濃いピンク色の髪の毛をツインテールにしていたからだ。陰影の濃いメイクと黒いローブ、あとなんか顔に突起っぽい装飾がたくさん付いている。特に唇の下あたりに。
もしかしてピアスだろうか。王都周辺では、耳にピアスをつける人は珍しくないけれど、口に開けている人は初めて見た気がする。
「グルォウ!」
「こわぁ〜怒ってるよ〜ねぇねぇあのベニヒリュウがキミの竜? それともこっちのチリュウ? それとも両方? 筋肉弱そうだけど魔術系攻撃するぅ?」
「いえ……あの……」
がっしりと私の肩に手を回したその人は、しなだれかかるようににやにやと質問をしている。
距離感が近い。手の華奢さからして女の子だけど、突然この距離感はさすがに戸惑う。
「ムイジャ」
「あ〜」
引き剥がしてくれたのは、例の竜医師の女性だった。謎の人を後ろから羽交い締めにしてずりずりと引き離してくれる。
「客を困らせるな」
「困らせてないよぉ〜ねぇ〜?」
「えーと……」
否定も肯定もしにくい。ぴったりくっついて唸っているスーをなだめつつ、私は改めて謎の人に向き合った。
「あの、魔術師の方……ですか?」
「ちがうよぉ〜」
チェシャ猫みたいなニンマリ笑みを浮かべた人は、あっさり首を振った。
怪しげなローブといえば魔術師という方程式があるので、その答えにちょっと驚く。間違えたことを謝ろうとしたら、銀髪の女性がピンク色の頭をガッと掴んだ。
「痛いよぉ〜」
「魔術師で間違いない」
「えっ? そうなんですか」
「ちがうよぉ」
どっちが正しいのだろう。
私がふたりを見比べていると、ピンク色の人はにやりと笑った。
「魔術師じゃなくて、竜医師だよぉ〜魔術も使える竜医師なんだよォ〜」
「えっ?!」
よろしくねぇと手を差し出されて、驚きながらも握手をする。
スーが不満そうに唸った。




