春の冒険者たち3
「……フィカル? なにしてるの?」
目の前30センチのところにいるフィカルに問いかけると、フィカルは不揃いに伸びた前髪を片手で持ち上げた。
いや、そうじゃない。
「えっと、フィカル……付いて来るの?」
こっくり。それから首から下げている革のカードケースを服の下から取り出して、その手で受付の方と私の依頼書を指差す。
「……登録してきたって?」
こっくり。
思わず受付の方を見ると、シシルさんがニッコリ笑って頷いた。フィカルはおでこを丸出しにしたまま待機している。先程とは違う洗濯済みの服を着て、腰には剣が下げてある。
この依頼は何度でも受けられるタイプのものなので、既にギルドに入っている人間が意味なく受領しても特に問題はない。ただ、得られるものも特にない。ギルドに記録されている依頼達成数の星なし依頼の欄の数字がひとつ増えるけれど、難しい依頼と違って特に昇格依頼にも影響はない。
そして、バセロ・インクは子供が不注意の怪我などをしないためのおまじないなので、大人は塗っても意味がない。厳密に依頼書に従うなら全員が付けなければいけないけれど、大人の冒険者は付けなくても罰則はない。
フィカルはじっと見つめている。
「……」
「……」
とりあえず、「肉」と書いてみた。何を書かれているか知らずフィカルは満足そうな顔になった。
「みんなー、このお兄ちゃんも一緒にいくことになったよー。仲良くしてあげてねー」
「フィカル! ひさしぶりね!」
「フィカルだ! おまえ、いつかえってきたんだ!?」
「……よろしく、フィカル」
私が若干棒読みになりながらも声を掛けると、三人は笑顔で戻ってきた。頷いてしかいないフィカル相手に子供は色々と喋りかけている。フィカルは無口で特に愛想が良いわけでもないのに、よく子供に懐かれている。
「スミレ! そろそろ出発の時間だよ!」
「はーい」
表から帰ってきたメシルさんが体を揺らして声を上げた。それに返事をして、ポシェットに入っていた革袋からアメを取り出して子供たちの口に入れていく。
「にがっ」
「スミレちゃん、これおいしくないよー」
「……甘苦い……」
「魔除けのアメだよー」
例によって大人しく順番を待っているフィカルの口にも放り込んで、自分の口にも入れた。それから魔除けの香に火を付けて、腰の右側に結んだハガネヅタの籠壺に入れる。
魔除けの香は、いくつか種類があって、今日使うのはマヨケグサとニガヨモギを練って乾燥させた四角い固い香。1メートル大くらいまでの生き物、魔法攻撃をしてこない魔獣を遠ざける効果がある。ちなみにこれは大型の魔獣には好ましい匂いなので、強い生物が多い地域では絶対に使ってはいけない。逆にマヨケノキの樹木を剥いで5年乾燥させて作った香は大型の魔獣に見付かりづらくなるけれど、小型の生き物が寄って来やすくなるらしい。
「よし準備オッケー! 出発!」
「やったー!!」
「おとうさん、いってきまぁす」
「行ってきます」
見物客が付いてこれるのはここまで。森の中では奥のエリアに行かないように見張りの冒険者が何人かいるけれど、その他の人間は基本的には今日はいない。今日、森の浅いところで依頼をこなしていると、お前もタマゴなのか〜とかからかわれて冒険者として恥ずかしいことになるらしい。だから見張りやリーダーの仕事以外の冒険者は、今日はほとんど仕事をしないのだ。
まあ、他人にどう思われるとか気にしない冒険者が一名ついてきてるんですけどね。
「ねえねえ、スミレちゃんとフィカルってつきあってるの?」
マルスの元気な歌声をバックグラウンドミュージックに、リリアナは口元に手を寄せてこっそりと聞いてきた。いくら手を繋いでいるという至近距離とはいえ、リリアナの私を挟んだ向こう側にはフィカルが付いてきている。聞こえていたら気まずいなぁ、と思いながら、私は返事をした。
「う〜ん、そんなんじゃないんじゃないかなぁー」
「じゃあスミレちゃんって〜ほかに好きなひといるの? ママがねぇ、あんなイケメンに言い寄られて落ちないおんなはいないって言ってた」
6歳児に何を教えているのだ、リリアナのママよ。
「えっと、私は前住んでたところで犬を飼ってたんだよね。フィカルはその犬にどことなく似てるところがあるというか……それで、ここで暮らし始めて前のところが恋しいな〜って思うときとかに、一緒にいてくれて心強いなぁって思ったかな」
そして若干犬のように思っているとは言えまい。
白っぽく見える毛色や無言でスリスリしてくるところなど、非常にポチ郎(雑種・中型犬)に似ている。フィカルはどっちかというと血統書付きっぽいし、体格も良いから大型犬のほうがぴったりくるけど。
見上げている私に気付いたフィカルは、リリアナと私を見比べ、ぷらぷらと揺らしていた私の右手と自分の左手を繋ぎ、満足そうにこっくりと頷いた。いやいや。
そのフィカルの向こうを歩いていたレオナルドが、ちょっと引きつったような表情で声を上げた。
「す、スミレちゃん、犬、飼ってたの? あんなに大きくて、獰猛なのを?」
「レオナルド、いぬってなぁに?」
「狼を10倍くらいおおきくして気性を荒くしたような魔物だよ。1日にウシ1頭くらい食べるんだ」
ちょっと待って。私の知ってる犬の定義と違う。
「……私の犬はもっと小さくて大人しかったかな……」
「おいスミレ!! ウロコってこれか?」
1人先陣を切って歩いていたマルスが、何かを拾って掲げてみせた。彼が持っている大人の親指の爪くらいの大きさの、半透明の桜貝のようなものが、マルスの立っているそばに沢山落ちている。光沢がある表面が木漏れ日にきらきらと光っていて美しい。
「それそれ! 日の当たるところと影ではちょっと色が違うのが竜のウロコの特徴。小さくてピンクだから、ヒメコリュウのウロコだね」
「マルス、すご〜い!」
「すごいだろ!」
「暗いところで見ると、ちょっと紫に近くなるんだね」
リリアナに手放しで褒められてマルスは胸を張り、レオナルドは木の陰で両手の間を覗き込んでいる。私もしゃがみこんで何枚か拾い、掌に載せて説明する。
「でもほらよく見て。これは根本が欠けてるし、こっちは割れてる。マルスのはヒビが入っちゃってるね」
「ほんとだ!!」
「何匹かがここで脱皮したっぽいね。ヒメコリュウは転がって脱皮するから、落ちてるウロコは壊れてることが多くなるみたい」
自分が持っているウロコがクエストの条件を満たさないことに気が付いて、3人は頭を突き合わせるようにしゃがみこんで欠けていないウロコを探し始めた。私は立ち上がって、周辺を見回す。実はヒメコリュウの脱皮で転がった場所より、立ち上がって歩き始めたあたりの方が綺麗なものが見付かりやすいのだ。
すると、フィカルがポンポンと肩を叩く。彼が指さす方向を振り向いた。
「う〜ん、なかなかキレイなのないねぇ〜」
「これっ! あ、また割れてるっ。こっちはっ! 欠片かよっ!」
「きれいなの1つみつけたけど……難しい……」
「クエッ」
「おいレオナルド、お前の見せてみろよっ」
「クエックエッ」
「うるせえな、肩たたくな……ってなんだこいつっ!!」
3人の円陣に加わって、マルスの手元を覗き込んでいたのは1匹のヒメコリュウだった。トカゲに似た瞳にほんの少し額から反って生えている角、恐竜に似たクチバシっぽい口先、小さな手に飛ぶには少し大きさの足りない翼、その代わりに発達した両足。ちょうど子供たちと同じくらいの身長の小さな竜は、ぴこぴこと尻尾の先を左右に動かしながら3人の真似をするように落ちているウロコに鼻先を突っ込んでいる。
「うわわわわわっ!! スミレ!!」
「ヒメコリュウは大人しいから大丈夫だよー」
驚いて尻餅をついたマルスを見て首を傾げているヒメコリュウは、竜の中でも一番小さいヒメリュウ属の、さらに一番小さい種類でもある。ペットとして飼っている人もいるくらいに大人しい竜だった。竜の特徴としての好奇心旺盛さは強く、森で作業をしていると人間に近寄ってくることも珍しくない。火竜の一種だけど、火を出すのは威嚇するときくらいで、しかもライターの火くらいしか出せないので、攻撃する場合も発達した後ろ脚を使うことが多かった。
ヒメコリュウの出現くらいは予想の範疇なので、私は微笑ましく見守った。フィカルは無表情で隣に立っている。
ピンクの艶やかなウロコが動くと順番に光る。3人はしばらくヒメコリュウと見つめ合い、マルスが口を開いた。
「……こいつのウロコ、取れねえかな?」
その言葉とともに素早く出された捕獲の手はあっさりと空を切る。一歩遠くでヒメコリュウがマルスにクエッと鳴いた。縦の瞳孔がキュッと締り、キラキラとマルスを見ている。
2者の間でゴングが鳴ったらしい。
「こらっ! 待てっ! このっ!」
「クエッ! クエッ! クエッ!」
遊び相手が出来たとばかりにヒメコリュウはあっちこっちに飛び跳ね、マルスは翻弄されている。リリアナはマルスを応援しているが、レオナルドは冷静にウロコ集めを再開していた。ひとつひとつ確認しては、ダメなものを別の場所に集めていく。
「竜はすばしっこいんだ。つかまるわけないよ」
そう。図鑑とお友達のレオナルドが言うとおり、竜は生き物の中で最も素早い生き物だといわれている。翼は高く跳ぶくらいの機能しかないヒメコリュウでも、本気で走ると弓のように早いと例えられるし、大型の飛行する竜も重さを感じさせないで自在に動き回る。ヒメコリュウを捕まえるならば、餌やおもちゃで釣るしかない。
「まあ、時間もまだあるしゆっくり探して……」
グオオオオオオオ!!!
不吉な唸り声があたりに響いた。
全員がピタリと動きを止めて、顔を見合わせる。3人は楽しそうな雰囲気から一転、不安そうな顔をして素早く私にピッタリとくっついた。それほど不安を掻き立てるような低い唸り声だった。
「クエッ」
訂正。
ピッタリと私にくっついた3人と1匹は、何が起こってるの? と聞きたげに私を見上げてくる。ヒメコリュウは子供の真似をしている、というだけではない。その脅えた様子から、声の主を教えてくれた。
竜は賢く素早く勇猛な動物である。竜が本能的に恐れるのは、自分より強い竜だけなのだ。