魔術師の里特別見学会へようこそ!9
「フィカルー! 言いたいことは言葉で伝えてよー!」
お茶会のあと、あてがわれた部屋に入ってから私はフィカルに抗議した。両手の拳で胸を叩いてみるも、全て軌道を読まれキャッチされる。
「誰かが見てたらどうするの?!」
「誰も見ていない」
「そもそも人がいるところではああいうことはしないって言ってるでしょ!」
拳をパーにして叩いてみるも、フィカルが同じタイミングで手を出してくるので手遊びみたいになっている。運動神経も動体視力もいい夫、喧嘩の時にはとても不利である。
息切れしてきたので攻撃を諦めて大きなソファに座ると、フィカルはちゃっかり隣に座ってきた。じっと睨むと、じっと見てくる。
ちなみにフィカルの背後にある、中庭に面して造られている部屋の窓は曇っていた。二階に位置するこの部屋をなんとか覗こうとしている竜たちの鼻先から、ブフーブフーと湿った空気が吹き付けられているからである。
「ちゃんと言葉で言わないと、今日は別々に寝ます。立派なソファあるし」
「メルソスとの距離が近過ぎた」
「え? メルソスさん? 別にそんなことなかったけど」
「近過ぎた」
他に人がいない部屋で喋りやすかったのか私の脅しに屈したのか、フィカルはあっさりと言葉で伝えてきた。薄々気付いていたけれど大したことじゃなかった。
「あのねフィカル。そう思ったらそう言えばいいから。いや本人の目の前で言うとアレだけど、気になるなら後で言ってくれれば気を付けるから」
「後では意味がない」
むっと口をへの字にしたフィカルが、私をぎゅーっと抱きしめる。
「もう、相変わらずやきもち焼きな旦那さんですねー」
ぐりぐりと擦り寄ってきた頭を撫でると、フィカルが間近でじっと私を見つめた。
他人とのコミュニケーションを求めず、私と2人っきりで引きこもっていたいと本気で考えているフィカルからすると、こうして自分のテリトリーではないところに出掛けていくこともあまり楽しくはないのだろう。その上でやきもちを焼きたくなるような場面を見たら機嫌だって斜めになってしまうものかもしれない。
だからといっていきなりチューとかそういう手段での抗議はやめてほしいけれど。
「メルソスさんたちはキルリスさんやナキナさんから言われてるし、私たちのことをちゃんと守ろうとしてるんだと思うよ。でも、フィカルがイヤにならないように気をつけるね。フィカルもちゃんと言葉で伝えてね」
むにむにとほっぺを揉みながら言うと、フィカルは「わかった」と小さく返事をした。
「せっかくこんな貴重な場所に来たんだし、楽しく過ごそうね」
ちょっと無言になってから、フィカルはこっくりと同意してくれた。
数時間後、夕食の時間だと呼ばれて食堂へ降りると、香ばしいパイの香りが漂ってきた。焼き上がるまでの間、席についてお喋りをして過ごす。
「えっ、キルリスさんが狩ってきたお肉で作ったんですか?」
「ああ。ここらに棲むイノシシは臭みが少なく旨いぞ」
あっさり頷いたキルリスさんは、服装も髪も全く乱れたところがない。
大勢部下もいるのに、わざわざ本人が。野営中でもないのにお貴族様に獲ってもらったお肉を食べるなんていたれりつくせりである。
「お待たせしました〜! スミレさんフィカルさん、もう運ばれてきますからお待ちくださいね〜!」
「ようやく焼けたか」
ナキナさんが知らせに来ると、キルリスさんは席を立つ。
「ここの者と親交を深めるには、私はいない方がいいだろう。寛いで過ごすがいい。もし何かあれば呼べ」
「あれ、キルリスさんは一緒に食べないんですか?」
「私がいるとどう嫌味を言うかで頭がいっぱいになってしまう人間が多いからな、ここには」
鼻で笑ったキルリスさんが、扉の方へと歩いていく。ナキナさんから大きなバスケットを受け取ると、そのまま消えてしまった。頭を下げてそれを見送ったナキナさんは、すぐに身を翻してパイを運んでくる。
「焼き立てなので気をつけてくださいね〜! 飲み物はどうしますか? お酒? お茶?」
「お茶でお願いします……あの、キルリスさん行っちゃったんですけど、お忙しいんですか?」
私がそっと訊ねると、ナキナさんはきょとんとしてから微笑んだ。
「お忙しいのは年中ですけど、今は特にそうでもないですよ! そもそも隊長は、このお屋敷で食事を摂ることはないんです。他の本家の人と顔を合わせると食卓に吹雪が舞いますし、毒を警戒して食べるのも面倒だからって。この近くに隊長だけが入れる別邸があって、食事も睡眠もそこで摂られているそうですよ」
「あ、そうなんですね」
私たちが来たせいで余計な仕事が増えたり気遣いをしてくれたのでは、と思ったけれど、普段通りのようだ。
そしてふと思いつく。
「あの、毒とか……もしかして、キルリスさんが自ら狩りに行ったのって」
「毒が見つかったわけではないのでご安心ください。ただ少し、厨房の近くで騒ぎがあったので、念のため献立を見直せと隊長が仰いまして……あの、本当にスミレさんたちの食べ物に関しては大丈夫です! 私たち直属部隊の手で作ってますので!」
毒味もしました! と意気込んだナキナさんの言う通り、深皿で焼き上げられたパイは一部が既に取り分けられている。
キルリスさんとその直属の部下の人たちだから、私たちの食事に関しては確かに心配はないのだろうけれど。
「ナキナさん、毒盛られたことあるんですか?」
「ありますよ? あ、その、同じ魔術師から出世を恨まれただけなので大丈夫です!」
「大丈夫要素が見当たらないんですけど大丈夫なんですか」
「魔術師同士ではよくあることなので……でもでも本当にスミレさんとフィカルさんの食事は大丈夫ですから!! 厳戒態勢で作ってますから!!」
てへへ、と効果音がつきそうな感じで、普通のことのように肯定されてしまった。
パイを切り分けたフィカルが、席を立って窓辺に近付く。スーとアルに嗅がせ、スーに食べさせたあと、戻ってきてから「安全だ」と私に言う。割と失礼な行動だと思うけれど、ナキナさんは「ほら! 大丈夫ですよー!」とニコニコしていた。
「おかわりもありますからいっぱい食べてくださいね!」
「い、いただきまーす……」
ツヤと焼き色が美味しそうなパイを取り分け、魔術師の皆さんと一緒に夕食をいただく。サクサクと音が鳴るパイは、軽い生地も中に入っている煮込み肉もとても美味しかった。東部の人たちとは味覚が似ているのか、美味しい食べ物が多い。
けれどちょっと、ちょっとだけ、私は魔術師に生まれなくてよかったな、と思ってしまった。
食べ物は安心して美味しく食べたい。