冬のぼんおどり15
発酵させないパンは、ガスで膨らまない分どっしりと重たくてお腹に溜まる。なので穀物の種類はあまり増やさず、ドライフルーツを刻んで入れるくらいの方が美味しかった。
「小麦粉、多めに持ってきてよかったねー」
街に寄らない旅では炭水化物を途中で入手するのが難しい。タンパク質は魔獣や野獣を狩ることで、ビタミンやミネラルも野草や魔草で賄いやすいけれど、炭水化物は芋や豆類、果実くらいでしか手に入らないため量を確保しにくいのだ。
旅の最中はいつもより健康に気を使うので、炭水化物も少し余ってもいいくらいの気持ちで荷造りするのだけれど、今回もその判断は正解だったようだ。アズマオオリュウからの需要的な意味で。
「私たちはごはん先に食べちゃうけど、パンはもう少しかかるから待っててね。これから焼くから」
大人しく伏せている巨大な鼻先を撫でてから、2つの器にスープを入れる。まず一杯を注いで、注いだものを並んで大きく開いている紅いお口に入れ、それから茶色っぽいお口に入れる。ギャムギャムと味わっているのを聞きつつフィカルの分を注ぎ、それから自分の分を注いでおたまを置いた。もっと欲しそうな鳴き声が聞こえてくるけれど、次の分配は私たちが食べ終わってからである。
平たくて硬いパンとフィカルが焼いてくれたお肉に野菜のピクルス。そこにスープが付けば立派なディナーの出来上がりだ。いそいそと背凭れと化すスーと自分の食事は済ませたのによだれを垂らしているアル、そろそろおねむの赤ちゃん竜たち、あとイス代わりにしては多過ぎるジャマキノコに囲まれながらフィカルと私の晩餐が始まった。
「このアズマオオリュウ、お風呂には入らなくていいのかな。できたら呼んであげるのに」
この空間にいるだけでも充分暖かいけれど、わざわざここで冬を越す竜たちは大体温泉が好きなことが多い。温かい岩盤でのんびりするのが好きなアルのおかあさんも、狩りに出たあとなどはジャブジャブ潜りにいっているのだ。
「壁をお手入れする方が好きなのかな?」
骨付き肉を食べているフィカルが首を傾げる。なんとかおこぼれを貰えないかと砂にめり込む形でズリズリ近寄っていたアルも首を傾げた。
しばらくすると、炭火でゆっくり火を通していたパンのいい匂いがフライパンと蓋の間から漏れ出てきた。あたりにいい匂いが漂うようになるとアルがウロウロし始め、アズマオオリュウもソワソワと鼻先を近付けたり体を起こしたりし始めた。焼きたてパンに惹かれてしまうのは人も竜も同じなようだ。
「ピギュウ……ギュルウ……」
「まだまだだよ。ていうか焼けてもアル食べられないんだけど、わかってなさそう」
まだなのまだなのと鼻先を腕にくっつけてウロウロするアルは、お腹いっぱいのはずである。いつもなら食いしん坊にお裾分けをするのだけれど、今回は取引成立済みなのでそうもいかない。
蓋を開けてこんがり焼き目がついたほかほかフワフワパンを目の当たりにした上、私がくれないとわかると案の定アルは駄々をこね始めた。ピギャーッと嘆きながら仰向けになってジタバタしている。赤ちゃん竜が真似し始めているのでやめてほしい。
「アルー、パンは明日また焼くから。ねっ、明日の朝食べようねー」
「ピギャギャオウッ! ギャーオーッ!」
「そっかー食べたかったんだねー。じゃあアルにこれあげようかな? でもアルいらないかな? おーやーつ、食べないのかなー」
大げさにおやつを強調すると、アルが素早く寝返りを打ってじっとこっちを見た。私とフィカルが食べた後の骨をもったいぶってから出すと、嬉しそうにボリボリと齧り始める。単純な竜である。
「あ、まだ熱いよ」
炭火から下ろして冷ましているフライパンに巨大な鼻が近付いていた。私がそっと触れて止めると、小さく鳴いてからまた鼻先を近付けようとする。
ヒリュウであるスーは火がついた食べ物を飲み込んでも火傷はしないけれど、チリュウであるアズマオオリュウは火傷するのではないだろうか。
それでもアズマオオリュウはしきりに鳴いて取り出そうとするので、心配しながらもスプーンの柄をフライパンとパンの間に差し込み、パンを取り出しやすく剥がしていくことにした。
丸く整形したパンを真ん中に1つ、その周囲に5つ並べて焼いたそれは、くっついて花のような形になっている。私やフィカルはそれをちぎって食べるけれど、アズマオオリュウにはこのままの方がいいはずだ。
「熱いけど今食べる? 口に入れようか?」
広げた布巾に乗せる形で持ち上げてみせると、アズマオオリュウは私をじっと見て鳴き、ゆっくりと身を屈めた。差し出されたのは大きな口ではなく、そっとくっつけられた両手である。
「え? 載せるの? 熱くない?」
躊躇した私を急かすようにアズマオオリュウが口を閉じたまま鳴いた。なのでお椀のような形を作っているアズマオオリュウの手に布巾ごとパンを載せ、爪の間に頭と腕を入れて落ちないよう手のひらの方へ押し込んでから布巾を回収する。私が一歩下がると、首を傾げて片目でそれを見ていたアズマオオリュウがそうっと手でパンを包み込んだ。
「……あの、それ食べ物ってわかってる……よね? 置いとけるものじゃないって知ってるよね?」
パンはフカフカになればなるほど日持ちしなくなる。最も美味しいのが焼きたてだとすると、そのまま常温で置いておけば翌日には味が落ち始めるし、こんなに湿度と温度が高いところだといくらもしないうちにカビが生えてしまいそうだ。異世界のパンに生えるカビは大体光るので、夜中にキッチンへ降りるとカビてるかどうかはすぐにわかるのである。
美味しさを味わってもらうためにも、できたら早めにお召し上がりいただきたい。
けれどアズマオオリュウはその気配もなく、体を起こすと一声鳴いてからどこかへと歩き始めた。
「観賞用にしちゃうのかな……食べてほしいけど……」
クッション性はないので、枕にしたらぺちゃんこになるし、床に転がすと汚れる。そこもおわかりいただけているだろうか。
のしのしと歩いていく姿を見送っていると、フィカルが鍋に蓋をして、炭火を砂に埋める。それから私の方を見た。
「見に行く」
「えっ? あの竜についてくの?」
「行きたい顔をしている」
お見通しだった。
まだ夕食が終わったわけではないけれど、フィカルは既に立ち上がっている。手を伸ばしてくれたので、私は自分の手をフィカルのものに重ねた。