森に出るユーレイ10
街から少し離れたところで森から出て、フィカルが網を放す。
ぐるぐると色を変えたり明滅してはユーレイを出して頑張っていたミズウシが、そろそろと網の上から砂の上を目指して移動していた。
「ほら見てくださいスミレちゃん!! 浮いてますよ!!」
「えぇー? ……あ、ほんとだ。浮いてる」
ミズウシ、浮いてた。
2センチくらい。
リルカスに促されて四つん這いになり、並んでウミウシの下を覗き込むと、ほんのすこーしミズウシの下に空間があった。
これ、浮いてるでいいんだろうか。上から見たら普通に移動しているように見えるけど。でも微妙に湿り気がある体表なのにナメクジのような跡がつかないのは、やっぱり浮いているからなのだろう。
「ヨウセイモドキって色々いるんだね……魚みたいなのもいるし、本当に謎」
「ヨウセイモドキは翼を持たずに飛ぶ生き物の総称みたいなものだからねぇ。ほらリルカス、遊んでないで準備を始めよう」
「はーいお師匠さま!!」
ウキウキと返事をしたリルカスが、背負っていた荷物からあれこれと小さい瓶や袋を取り出している。コントスさんはローブの腕まくりをして、集中するように肩や首を軽く動かしていた。
ちょっとかわいそうなミズウシの対処として、コントスさんが提案したのは「転移」である。
このトルテアの森では魔力不足になってしまうミズウシが生きていくには、もっと魔力が強い土地に移動させる必要がある。そこでコントスさんは魔術陣を使って、ミズウシを王都の西近くの街、そのすぐそばの森へと転移してはどうかと提案してくれたのだ。
コントスさんはその街でしばらく暮らしていたらしく、森にもよく入っていたので座標も把握できている。人気のない水場があるので、そこへ転移すればしばらくは暮らせるだろうとのこと。
「ただし、僕が手を貸すのはここまでだからね。そのあとミズウシが回復せず他の生き物に食べられたとしても、またここを目指して弱ってしまっても、もう何もしない。わかったかいリルカス?」
「わかりましたお師匠さまは街を守る魔術師ですもんねはやく魔術陣描いてくださいはやくはやく!!」
「本当にわかってるのかなぁ……」
コントスさんは苦笑いしつつも杖を取り出し、砂の上にするすると模様のような文字を描いていく。リルカスとアルは目をピカピカさせながらそれを見守り、コントスさんに指示をされると書き終えた文字のところに色のついた砂のようなものを注いでいた。
魔力が見えているリルカスが文字の上に浮いているらしい何かを手で触ると、アルも鼻先でそれを突くようにして喉を鳴らしていた。私は何も見えないので、2人がパントマイムで遊んでいるように見えてちょっとかわいい。
「グルッ」
「スー、どうしたの?」
魔術陣作りを眺めていると、鼻先がそっと差し出された。撫でられて気持ちよさそうに目を細めたスーは、ミズウシに鼻先を寄せてからギャウと鳴いた。
「あ、食べたらダメだよスー。ミズウシはコントスさんに持っていってもらうから」
「グルォウ、グルギャオウ」
「お腹空いてるの? とりあえずジャマキノコで我慢しててね」
「ギャウ……」
あまり納得いっていなさそうな顔で、スーは口を開けて私にジャマキノコを入れさせた。
竜にとっては、まずいもの以外の魔獣は大体が捕食対象である。かわいいとかかわいそうとかで食べるかどうか決める人間は、スーにとっては不可解にしか思えないのかもしれない。
私だって、トルテアの森にいる可愛いマルマリトカゲやキノボリウサギを獲って食べることもある。もしかしたら、北西の方ではこのミズウシも人が食べている魔獣のひとつなのかもしれない。
でもリルカスも私も、ここでミズウシが死ぬのは可哀想だと思った。魔力の影響を考えたのも確かだけれど、その気持ちの方が今は強い。それはエゴだからか、それともこのミズウシが出すお母さんを見てしまったからだろうか。
「人間って変だねえ。でもスー、今日もお肉食べるからちょっと我慢してね」
「グルッ……グルフッ……グフッ」
喉を差し出してグルグルと気持ちよさそうにしているスーも、普通なら触らせない主人以外の人間である私に撫でさせてくれている。リルカス風に言うと、エゴもまた自然の摂理ということかもしれない。少なくとも今日はそういうことにしておこう。
「スミレ」
「フィカル」
私がスーを撫でまくっていると、フィカルが間に入ってきて私を持ち上げ、ぎゅーっと抱きしめてぐりぐりすり寄ってきた。ヤキモチ焼きである。
フィカルも撫でまくっていると、ギューギューとスーが鼻を鳴らしている。フィカルがそっちを向くとその鳴き声はピタリと止まった。
「フィカルもスーを撫でてあげてね。たまには」
「前にも撫でた」
「もう何ヶ月も前じゃない? いつだっけ? 冬?」
スーはつれないフィカルに対していつも健気である。もっと撫でてあげてもいいと思うけれど、竜を撫でるという素敵な行為に対してフィカルは特に興味がないようだ。
それでも促すと、フィカルは固まっているスーの鼻筋にポンポンと手を置いた。
「……ギャオーッ!!」
「うるさい」
フィカルに一喝されて喜びの雄叫びはやめたものの、スーは喉を鳴らしすぎてグルルルル……と唸っているような音を出している。
「スーは本当にフィカルが好きだねー」
「スミレは?」
「えっ」
「スミレは好き?」
「う、うん」
フィカルはこっくり頷いて、またすりすりすり寄ってくる。グルルルいっているスーもそっと寄り添ってきた。
かわいいなあ。
アルがピギャー!! と仲間はずれに対する抗議の声を上げるまで、私は大きなふたりを撫でまくる至福のときを過ごしたのだった。