青い指先2
フィカルがギルドで薬草の受け渡しをしている間に、私は先に家へと戻ってきた。まだ明るいので、外で作業することにする。暖炉の火を熾すと私は包丁とまな板、大きな鍋を持って出て、籠から出したムラサキワタシヅタのつるを細かく刻み始めた。
「ギャオッ!」
「あ、おかえりー」
顔を上げると、フィカルが帰ってきていた。嬉しそうに近付いてきたスーは今日も庭で寝ることにしたようだ。体が大きいので庭や屋根を壊さないか心配になるけれど、ジャマキノコを食べてくれるので無下にはできない。
またフィカルと並んで座り、大きなムラサキワタシヅタを刻む。太いものは皮が厚いので、断面から包丁を入れて皮を剥いてから刻む必要があった。皮が一番色が濃いので、剥がした部分も中に入れておく。大きな葉っぱは重ねて水の入った桶に漬けておいて、後で切るらしい。
「とりあえずこれくらいでいいのかな」
細かく刻んだムラサキワタシヅタが鍋いっぱいになると、包丁を置いて鍋を家の中へ持って入り、コップ一杯分だけ水を入れて弱火にかける。蓋をしておけば、そのうち火が通って体積が減るので、さらに減った分だけ刻んだムラサキワタシヅタを入れる。これを繰り返すことによって鮮やかな色が出るようになるそうだ。
「フィカル、そろそろごはん食べに行こうか」
大きなつるの皮をメリメリと剥いでいたフィカルは、こっくりと頷いた。
ムラサキワタシヅタのつるは長時間煮込まないといけないので、必然的に家での料理がやりにくくなる。外食の口実になって私はちょっと嬉しかった。料理は楽しいけれど、毎日ずっとだとやっぱり疲れるのだ。
炭火にして鍋の中に水分が出ていることを確認してから、出掛ける準備をする。暖炉は頑丈なレンガ製なのでちょっとやそっとでは火事にはならないだろうけれど、それでも少し心配なのでお店で食べるのではなく出来合いのものを買ってきて食べることにした。
「楽しみだね、うまく染められたらいいな。フィカルは何か作って欲しいものある?」
布を染めて新しく仕立てようとしているのは、夏用の服である。冒険者は危険を避けるため夏でも袖があるものを着ることが多いけれど、聞いたところによるとトルテアの夏は結構暑いらしい。冷房もない暮らしなので、せめて家の中だけでも薄着で過ごしたいと思ったのだ。
キャミソールや1枚で着るワンピースはお店では手に入らないので、自分で作るしかない。お裁縫はかなり、かなり面倒だけれど、自分の好きな形の服を作れるということは嬉しい。お店で売ってくれたらもっと嬉しいけれど。
フィカルにも夏用の薄いシャツを作る予定だったけれど、一応リクエストを聞いてみた。するとフィカルはしばらく考えてから、こっくりと頷く。
「ある? 何がいい? 出来はまったく保証しないけど」
「手巾がほしい」
あまり複雑なものだと私の残念な縫い目が目立ってしまうので構えてしまったけれど、ハンカチくらいなら真っ直ぐ縫うだけなので簡単だ。今までにも作っているし、小さいので時間もかからない。ちくちく縫っては首をほぐしている私に気遣ってくれたのかもしれなかった。
「ハンカチは布の余りで作れそうだから、何枚か作るね」
固いパンのサンドイッチとスープを買いながら言うと、フィカルはこっくりと頷いた。
手縫いというか、お裁縫そのものに慣れていない上に、ここで手に入る洋服用の布は割と固いものが多い。遠慮なく洗って何年でも使えるという点では嬉しいけれど、針を刺すのにいちいち力がいるので、首だけでなく手も凝ってくるのである。
下着用の布はそれより少し柔らかいので、これで服を作ったら楽だろうなと常々思っていたのである。部屋着なら少々柔らかすぎても問題ないだろうし、夏は風が通りやすい布のほうが過ごしやすい。
「余裕があったら、シーツも作ってもいいかもね。多めに染めておいて」
こっくりこっくり頷くフィカルに喋りながら家へと戻り、玄関を開けたところで私の足は止まった。
「ウッ!」
思わず顔を外へとそむける。
なんか、くさい。
はっきりとした悪臭ではないけれど、そこはかとなくくさい。ハーブのいい香りを目指して失敗したっぽい香りというか、成分を分解するとそれぞれは気にならなさそうだけれど合わせるとかなりダメというか、変に甘い匂いと酸っぱい匂いと爽やかな匂いが合わさりすぎてむしろドクダミ的なエグミが出ているというか……
そんな感じの匂いがむわんと私を包んだのである。
「……みんながあんまりムラサキワタシヅタで染めない理由がまたわかった気がする」
そういえば、シシルさんもちょっと臭うとは言っていたな。
これがちょっとというかどうかは置いておいて、私は明日多めに布を買い足して置くことにした。ちょっと次にこれを作る予定がまったく見えなくなったので、できるだけ多く染めておいて作り置きしておきたい。そしてせめてこの匂いの分の元を取りたい。
私たちの帰りを喉を鳴らして喜んだスーも、開けた扉から流れてきた匂いでブシッと盛大なくしゃみをしてから、ギューギュー鳴いて森の方へと帰っていった。後ろを見ると、フィカルも無表情ながらやや眉間が険しくなっている気がする。
結局その晩は、アネモネちゃんだけが平気そうに走り回っていたのだった。
嗅覚のない生き物、羨ましい。