森のいきもの3
木の枝に跨って座るのは、前のめりの姿勢をキープすると結構辛い。腕やら背中やらに負担がかかり、日頃の運動不足を目の当たりにさせられるのだった。休憩を挟んでみたり、お肉を3つほどまとめて枝に刺してみたり横着していたけれど、そろそろ地面が恋しくなってきた。
「水筒持って上がればよかった……」
木登りは得意ではないので、できるだけ身軽な格好で来てしまった。3メートルほど下にある水袋が恋しい。スーが持ってきてくれないかなと思ったけれど、私の残念な指示ではスーは意図を読み取れなかったらしく、くるりと回って見せては口を開けるだけだった。お肉をあげておいた。
とりあえず今持っているお肉をあげてしまえば下りて休憩しても問題ないだろう。フィカルが新しい餌を狩って帰ってきたらまた登ればいい。
そう判断して、私は革袋を逆さまにした。残っていたお肉はさほど多くはない。一気に落としてもまとめて食べてもらえるだろう。閉じた後にお肉が落ちないよう、袋の入り口を閉じてちょっと振り、一気に落とせるように準備をする。
座ったままちょっと枝の先へと移動し、出来るだけ体を前のめりにしながらオオタマゴソウの中心へ落ちるよう腕を伸ばす。
そして私は手を滑らせた。
「あっ」
持っていた枝が手から離れ、それに気を取られたせいで革袋もズルンと抜け出した。
袋の端に手を伸ばした瞬間、体勢が崩れた。
「えっえェー!!」
慌ててバランスを取ろうとしたけれど、どうにもならず傾いていく。ゆっくりと頭から落ちていく先に、赤色の正方形が見える。
「ええええウッ?!」
スローモーションな世界で、ふと靴下の片方がなくて探そうと思っていたことを思い出した瞬間、横から出てきた大きな物体に体の前面がぶつかる。
その衝撃で私の軌道は逸れ、バウンドして斜め方向へと落ちた。草が体を受け止める鈍い音と、体に固い痛みが走った。
「いっ……たー!」
「スミレ!」
全身の衝撃に体を縮ませていると、大きな声で名前を呼ばれた。ギャオーッと鳴かれてもいた。
どうやらちょうどフィカルが帰ってきたらしい。私の体のあちこちに触れ、それから手足を縮めて横たわる私にそっと寝返りを打たせた。反対側もあちこち触れてから、そっと抱き起こされる。
「ケガは」
「あちこち痛いけど、多分ひどいケガはないと思う……」
これはアレである。久しぶりに全身あちこち痣だらけになる感じのアレである。
フィカルに背中を支えられ、頭や首をチェックされている視界の端で、オオタマゴソウがモッチャモッチャと咀嚼しているのが見えた。革袋ごと食べてしまったらしい。あそこに落ちていたら、今頃私もモッチャモッチャされていたかと思うと笑えない。
そしてそっと視界に入る形で、体を伏せたスーがギューギューと小さく鼻を鳴らしながらじわじわと近付いてきていた。大きな鼻先が私の手にそっと触れる。
この鼻先が、私をオオタマゴソウ直撃から救ってくれたのだろう。
しっかり硬さのある大きな鼻筋は、きっと落ちた私を受け止めるつもりだったのではないだろうか。それが私の反射神経があれだったせいで勝手に落ちてびっくりしたようだ。恐る恐るという感じでこちらを窺っている。
最悪の事態をしっかり防いでくれたし、痛いとはいえ耐えられないほどの感覚はない。森歩きに備えてしっかりした服装だったので、外傷もほとんどないはずだ。立派に守ってくれたので自信を持ってほしい。
紅い鼻先に感謝を込めて撫でてから顔を上げると、フィカルが顔を強張らせていた。
相変わらず無表情に近いけれど、心なしか険しく、そして顔色も悪い気がする。
フィカルはもしかしたら私の不用心さを怒っているのかもしれない。普段、私がどんなヘマをしても特に怒ることはなく淡々と受け止めてくれているけれど、流石に命がかかるような失敗は見過ごせないのだろう。
私も怖かったし、失敗ではすまされないことだったと文字通り痛感している。
フィカルのお怒りも甘んじて受けよう。そう思っていると、フィカルがゆっくり私を抱きしめた。
ぐりぐりと、普段よりも弱い力で擦り寄っている。大きな手は無事を確認するように背中や肩を撫でていた。その手が少し震えているような気がして、私は途端に胸が痛んだ。
「……ごめんなさい」
フィカルは怒っているのではなく、心配していたのだ。
常日頃から頼りないとは思われていたけれど、こんな頼りないで済まないレベルのことをいきなり突きつけられたらそりゃ慌てもするだろう。普段からあれこれ気遣いしてくれるだけに、自分が目を離さなければと責任も感じているのかもしれない。
私も、フィカルがいきなり死にそうになっていたら心配しまくるだろう。そう思うとかなり申し訳なく、もしあのまま落ちていたらと考えることが怖く、また無事でいることが本当にありがたく思った。
「ほんとにごめんね」
私が痛みを感じない程度にぎゅっと抱きしめるフィカル、そして私たちにそっと寄り添うスーとしばらく固まって時間を過ごしてから、ゆっくりとフィカルは顔を上げた。
「帰る」
「えっ、待って、ほんとに怪我自体は大したことないから。アザとかそういう……あ、手はちょっと切ってるけど」
着地の際に草かなにかで切ったらしいところを見つけると、フィカルが光の速さで布を当てた。
しばらく動かなかったので落ちた衝撃の痛みはもう消えていた。あちこち痣になりそうな感じはするけれど、特にすぐ帰る必要はないように思える。
せっかく餌を上げて少し厚みが出たオオタマゴソウも、このまま時間を置けばまた薄くなってしまう。せっかく見つけたので、どうせなら最後までやってから帰りたい。
そう説明するけれど、フィカルはしばらく譲らなかった。
「えっ、背中も見るの? え、森なんですけど? 足も?」
怪我の様子を見せるという条件で続行に同意してくれたフィカルは、容赦なく私の怪我具合を検分した。
これからはもっと用心して生きようと私は心に誓った。