寒い冬はやっぱり16
「フィカル、どこかケガ……」
慌てて駆け寄った私の声は、アズマオオリュウの大きな叫び声に掻き消された。何匹もが吠え、動き回ってはスーとその上に乗ったフィカルを囲んでいる。
理由は程なくしてわかった。フィカルが、血塗れになった仔竜を引っ張りながら降りてきたからである。
「えええええ!!」
なまなましく傷口から血を流す仔竜に、私は背を向けて走った。ブランケットを引っ掴んで戻ると仔竜の背中側に立ち、傷口をそれで強く抑える。ぐったりした仔竜が痛みで暴れたけれど、噛み付きそうになった牙はフィカルが剣の柄で防いでくれた。
「止血! 圧迫!!」
頭から尻尾まで2メートルほどの仔竜の体には、大きな傷が斜めに一本。その近くに、丸く深い刺し傷のようなものが二所付いている。そこもブランケットで抑えた。他にも鱗の剥がれている場所があるけれど、出血はしていないようだ。
アズマオオリュウたちが牙を剥いて吠えている。
「アル!!」
「ピギャーッ!」
アズマオオリュウのおかあさんが通せんぼをする隙間から飛んできたアルが、私と仔竜をフガフガと嗅ぐ。
「アル! 泥作って! 泥!」
両手が塞がっているので、片足で地面を擦り、アルの方に砂を寄せる。伝わったようで、アルがムギュムギュと鳴きながら足踏みを始めた。どしどし音を立てていた地面は、やがてぐにゃぐにゃと柔らかくなる。
私は粘土のように細かい粒子で作られた黄土色の泥を手で掬い、ブランケットを剥がして傷口に押し付けた。
「ケェエーッ!!」
「スミレ!」
「大丈夫!」
痛がった仔竜の暴れた尻尾が、私の体に当たって衝撃が来た。膝立ちでいたのですっ転んで泥まみれになるけれど、そのまま泥を掴んで起き、また仔竜の傷口に塗る。
ヒリュウのスーが傷を炎で舐めて癒やすように、チリュウの傷には泥を塗りつけて治すのが最も効果的である。柔らかい泥を塗りつけて血を染み込ませ圧迫することで止血を促し、硬い泥で塗り固めておくことで治癒を促進する。チリュウが作り出した泥が魔力を含んで最も効きやすい。
前にロランツさんに送ってもらった、竜騎士向けに書かれた竜の応急処置説明書を思い出しながら、私はひたすら仔竜の傷口を圧迫した。泥で手が滑って抑えにくい上に、仔竜が痛みで暴れようとする。けれど、まだ出血の勢いがあるのでしばらく圧迫したほうがいい。
仔竜を傷付けるのではないかとアズマオオリュウたちは怒っているし、それを見てフィカルも剣を片手に殺気立っている。他にアルと同じく泥を作り出しているアズマオオリュウも多くて、私の周囲は泥だらけになった。じわじわと座っている脚が沈んでいく。
チリュウは、傷が付いたら泥を塗ればいいことを知っている。私が泥を塗ったことで仔竜を治そうとしているとわかったのか、大きく吠えて威嚇するアズマオオリュウは少なくなった。アルやアズマオオリュウのおかあさんがしきりに鳴いていたのも関係しているかもしれない。
「そろそろ止まったかな」
力を入れ過ぎて固まった手をゆっくり動かして、傷口の周辺についた泥をゆっくりと取り除く。血の色に染まったそれらを傷口がギリギリ見えるくらいまで取ってみると、もう出血はしていないようだった。仔竜は抵抗を諦めたようで、力なく頭を横たえポロポロと涙をこぼしている。ガジガジとフィカルが咥えさせた鞘を齧っているので意識ははっきりしているようだ。
傷口の泥を取り除き、今度は硬めの泥を塗っていく。アルがどしどし踏んで作ったそれは先程の泥よりもやや白っぽく、もったりとして固まる前のセメントのようだった。傷口を埋めるように塗り込んでいくと、特に穴になっている傷で仔竜がまた鳴き声を上げたものの、無事に塞ぐことが出来た。しばらくすると泥が固まって落ちなくなるけれど、仔竜はよく動き回るのでブランケットのきれいな部分を割いて巻き付け、その上から更に泥を被せておく。
「もう大丈夫。起き上がれる?」
手の汚れを新たな泥で落とし、ついでに鱗が剥がれているところにも泥を塗っておいた。体の下に膝を入れて支えると、ヨタヨタと泥に足を取られながらも仔竜は立ち上がった。そこそこの出血があったと思うけれど、呼吸や瞳孔を見る限りは大きな影響はなかったようだ。
痛いことをした私に対して、ケェッと牙を剥いてはフィカルの鞘に邪魔をされ、どしどしと地団駄を踏んでしばらく鞘をガジガジ齧ったあと、親らしき成竜に呼ばれてそちらへ走っていった。集まっていたアズマオオリュウたちもぞろぞろと解散し始めている。
「はぁー疲れた」
「大丈夫か」
「うん、いきなりでびっくりしたけど」
泥に足が沈んでいた私を、フィカルが引っ張り上げる。仔竜が暴れたので私の体はどこもかしこも泥だらけだったけれど、フィカルはフィカルで仔竜を運んだため血だらけである。
「フィカルはケガはないよね?」
「ない」
「よかったー」
ほっと一息吐くと、体の後ろがヒリヒリ痛い。
「傷が出来ているだろう」
「そうみたい。仔竜の尻尾でやられたとこかな」
「出血しているか?」
「え、こわ。多分血は出てないと……思うから捲ろうとしないでね」
顔を顰めて確認しようとするフィカルを必死に押し留め、お互いに体を洗って綺麗にしてから傷を診てほしいと説得した頃には、私の手先に付いた泥が乾いてきていた。
「赤くなっている」
「うわー、道理で痛いと思った。痣になりそう。お尻から腰くらいまで広がってるでしょ?」
「背中まである」
「まじですか」
下着だけは着させてもらって、アルのフカフカ腹掛けを借りてうつ伏せになった私にフィカルが薬を塗っていく。薬草を混ぜた粉に水を混ぜ、塗った上に布を貼る湿布である。左のお尻の上の方から右の肩甲骨に向けて、フィカルは広範囲にそれを塗っていった。ヒリヒリする傷口にヒヤヒヤが加わり、さらにかなり薬草臭いせいでアズマオオリュウが入れ代わり立ち代わり嗅ぎに来ている。いや、いいんですけどね。一応下着姿なんですけどね。
「ピギャギュルヮッ」
「アル、もういいから。泥は塗らないから」
心配そうな顔のアルが泥を鼻先に付けて塗ろうとしてくるのを固辞しつつ、私はヒリヒリジンジンする体でゆっくりと服を着た。




