きのこ再び5
翌朝、私はジャマキノコと対面することなく、フィカルによって起こされた。ゆさゆさと揺すられ持ち上げられて、ぐりぐりと懐かれていれば誰だって目が覚める。
「人の部屋に入るときはノックすること……ってもう100回くらい言ってるんだけどなぁ」
ふあ、とあくびを手で隠しながら起き上がる。窓が開いているので、ジャマキノコは既に放り投げ済みのようだった。
外を見ると今日も見事に雨模様、窓の下の方に赤い何かが見えている。
2階にある窓は、スーが背伸びすると届くくらいの高さである。手を伸ばして鼻先を撫でると、黄色の瞳をとろんとさせてグギュウと鳴いた。かわいいやつめ、と濡れたままのスーをぐりぐり撫でていると、つんつんと裾を引っ張られる。振り向くと無表情のフィカルがタオルを差し出していた。
「あ、アネモネ……みたいなやつ、もう咲きそう」
サイドテーブルに置いた、昨日貰ったばかりの花を指差す。
緑色のレースの襟巻をしているようながくの真ん中にある蕾が、僅かに解けようとしていた。紺色の花びらはシルクのようにつやつやしている。フィカルはそれをしばらくじっと見たあと、僅かに首を傾げる。
「それ、フィカルの瞳と同じ色だね。コントスさんもそう思ったのかな?」
きょとんとこちらを向いたフィカルの瞳も、日暮れ後の空のような紺色をしている。こちらの世界でも紺色は花の色としては珍しいので、フィカルを連想して選んだのかもしれない。
「今日お休みだから、花が咲く過程を観察出来るかもね」
そう言ってから、着替えるためにフィカルを部屋の外へと押し出す。階段を降りる音がしたので、朝食の準備を先に始めるのだろう。相変わらず火起こしは得意ではないので、先にお湯でも沸かしておいてくれるとすごく助かるのだ。
動きやすいワンピース姿に着替えて、ふとサイドテーブルを見る。
「んん?!」
振り返ってすぐのところに生えていたジャマキノコに驚いたわけではない。視線の先、アネモネがさっきよりも花開いていたのだ。近寄って、ベッドに座りながら観察してみても、明らかに先程よりも蕾が緩んでいる。
たった数分で。咲くのが早い種類なのかも?
絶叫したり人を食べたり、この世界の植物はなかなかアグレッシブな生態を持っている。そういったものに比べたら可愛い違いだなぁ。そう思いながら眺めている間にも、蕾はみるみるうちに開いてしまった。定点カメラの早送りを見ているような気分になる。
咲いた花は花弁の色が紺色だということ以外、本当に私が知っているアネモネの花にそっくりだった。つやっとした一重で丸みを帯びた花びらで、中心は真っ黒。色が濃いので1輪でも存在感があった。
「可愛い……」
17年間見慣れた緑の葉っぱも、がくも花びらも可愛い。
ジャマキノコのお礼としては過ぎるほどのプレゼントだな、と嬉しくなった。これを貰えたのだから、ストーキングでストレスを溜めた甲斐が少しでもあったのかもしれない。
今日は穏やかな一日になると良いなあ。
細かく先が分かれている葉っぱの先をつんとつつくと、柔らかいそれはわずかに揺れた。
しばらくするとその揺れが止まる……ことなく、くりっと折れ曲がってしまう。
「んんん?!」
葉っぱは私がつついた方だけではなく、両方共いきなり水分が足りなくなったようにだらんと垂れてしまった。
根本にある小さな花瓶に付くほど萎れたそれは、花瓶の縁に当たる。
そこから、ぐっと力を入れるように花瓶を押さえ、花瓶のくびれよりも下にあった根っこが外に出る。
まるで、「よっこいしょ」と半身浴をしていた人が水から上がったように。
「え……な、な……」
根っこは白い二股になっているので、足のように見える。
それからアネモネは花瓶の縁に腰掛けるように凭れて、しぴぴ、しぴぴ、とまるで片足ずつ水滴を落とすように動いた。それから5センチほどの高さがある花瓶からしゅたっとサイドテーブルの天板に着地し、したたたたたと小さな足もとい根っこで走り回り始めた。
「ぇえええええ?!」
驚いて叫ぶと、すぐに部屋のドアが開けられる。麻袋を片手にやってきたフィカルは、まず私が座っている隣に生えたジャマキノコを突っ込み、それから首を傾げた。
「フィ、フィ、これ、」
相変わらずしたたた……と走っているアネモネを指差すと、フィカルは茎の部分をぐっと掴んで持ち上げた。根っこは暴れるようにジタバタしている。
触って大丈夫なのか。
「ど、毒とか……平気? ていうかコレ知ってる?」
ふるふると頭を振ったフィカルは、窓を開けた。すかさず鼻先を突き出したスーにまだ暴れている花を突き出すと、スーはふがふがと大きな鼻の穴でそれを嗅ぎ、それからパカッと口を開ける。花はさっきよりも必死に根っこをジタバタさせていた。
スーが食べようとするということは危険な毒は入っていない。フィカルは花の代わりにジャマキノコを突っ込んで窓を閉めた。掴まれている花は心なしかぐったりとしている。
「えっと……とりあえず、放してあげて」
サイドテーブルの上でフィカルが手を開くと、ぽとっと落ちたアネモネっぽい何かは息を吐くように花を何度か上下させた。葉っぱは自分が無事か確かめるようにあちこちへと動いている。
やがて再び根っこで立ち上がって、したた、と私の近くに寄り、ぺこりと茎を折って頭を下げるように花を下げた。お辞儀をしているようだ。
「こ、こんにちは……」
こんどはフィカルの方を向いて、同じようにお辞儀をする。無表情のフィカルはもう一度掴もうとしたのか手を伸ばすけれど、花は慌てたようにそれから逃れてしたたたと私の方へと寄ってきた。サイドテーブルからえいっとジャンプしてベッドへと飛び乗り、布に足を取られながら私の後ろへと隠れようとする。
……なんだろう。花なんだけど、植物なんだけど。
なんか可愛い。
「おいで。フィカルは怖くないよー」
そっと掌を差し出すと、紺色の花がその掌を覗き込むように俯いて、それから私を見上げるように上向いた。それからよいしょと手に登ってくる。長さが足りなくてジタバタしている白い根っこが微笑ましい。
目線の高さまで持ち上げると、掌の上でくるくると周り、それから踊るように両方の葉っぱをわさわさと振った。フィカルが指を出すと、恐る恐るそれに触れてみせる。
「可愛い!」
したたた……と走る姿が可愛くて色々と遊んでいたら、すっかり朝食が遅くなった。
最後の方はぐったりし始めていたけれど、しきりにジェスチャーで花が主張した通り、水の入った花瓶に入れるとすぐに回復した。ふいーとまるでお風呂に浸かるような感じで根っこから水分を吸収している花はやっぱり植物らしい。
心なしか恨みがましそうな存在感を醸し出しているジャマキノコは見ないようにして、私とフィカルは新しい友達とキャッキャ遊ぶことに没頭した。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/15)




