寒い冬はやっぱり12
ちょうど今、ここに到着したばかりのアズマオオリュウのグループの中の一匹に、鼻の中頃に傷跡のあるアズマオオリュウがいた。茶色がかったモスグリーンのウロコがそこだけ生えていないので、よほど深いキズを負ったらしい。傷口は塞がっているもののまだ赤いのでおそらく今年に付いたものだろう。
巨大なティラノサウルス然とした見た目と傷口のせいでかなり凶悪そうな見た目になったそのアズマオオリュウは、その手に仔竜を抱えていた。鋭い爪にわきを引っ掛けるように抱えられているのは、仔竜としてもまだ小さい竜だった。
「そこに」
「あ、ほんとだ」
フィカルが指したのはその仔竜だった。
まだ丸みが残っているそのお腹の部分、手の間から足の間にかけて半透明の白いスライムが張り付いている。見ようによってはよだれかけのようで少し可愛い。
短いしっぽを振りながら成竜の爪に掴まっている仔竜は、キョロキョロと周囲を見回してはキギャッと鳴いている。抱えているアズマオオリュウは下りたそうな仔竜を抱えたままのしのしと温泉の方へと近付き、屈んでその仔竜を温泉に浸けた。
「ピギャーッ!」
いきなり浸けられた仔竜が暴れているけれど、成竜はそのまま仔竜を水面から出したり浸けたりしている。じゃぶじゃぶと水面を揺らしている様子は、まるで仔竜を洗っているようだった。
「あ、落とそうとしてるのかな」
オオリュウの中でも最大級であるアズマオオリュウは、大きいだけに細かい作業が得意ではない。薄く張り付いたスライムを剥がすのが難しいため、お湯を使っているのかもしれない。
昨日、アズマオオリュウのおかあさんも鼻先に付いたスライムを水の中で振り落としていた。あのときは結構な勢いで顔を振っていたけれど、仔竜をそっと浸けてただ水で揺らしているだけではあまり効果がないようだった。手足の間に張り付いているということもあるかもしれない。
「フィカル、取ってきていい?」
フィカルを見ると、「言うと思った」といいたげな顔をして頷いた。その腰にはすでに剣が装備されている。アズマオオリュウは大きいので、万が一を考えているようだ。
「アル、一緒に来て」
「ピギュルッ!」
仰向けで腹太鼓の続きを待っていたアルがぴゃっと起き上がり、近くにいた一回り小さい仔竜にひと鳴きして、ジタバタ頑張っている赤ちゃん竜たちの子守を頼んだ。それから私の隣を嬉しそうに歩き、仔竜を洗っているアズマオオリュウのところまで着くと私とその成竜を交互に見る。
「そう。その仔竜見せてほしいの」
私が仔竜を指差すと、成竜がわずかに唸る。それをアルがピギャピギャと宥めて、フガフガと嗅ぎ合い、それから成竜が私のことを念入りに嗅いだ。温泉に入ったアルがぐいぐいと押したので、渋々成竜は仔竜を引き上げて手から下ろした。
「危ないことはしないからね。これ外したいんだよね」
わずかに牙をのぞかせた口を近付けてくるアズマオオリュウに、ゆっくりと話しかけながら、仔竜に近付く。ブルブルと頭を振った仔竜は、ケケッ! と翼を広げて体を大きくしたあと、フンフンと私を嗅いでそれからどしんと体当りしてきた。それを抱きとめるようにして捕まえる。
体高が1メートルほどしかない仔竜だけれど、足は強いのか結構力が強い。フィカルが背中から抱えてくれなかったら、そのまま倒れ込んでいただろう。
「キケェーッ」
「よしよし元気だねえ、ちょっと待っててね」
フィカルに助けてもらいつつ、暴れたい盛りの仔竜を仰向ける。白いスライムの様子を確かめると、水分を吸ったのか外側が僅かにデロンとしていたものの、仔竜に触れている部分はやや固くしっかりと張り付いているようだ。
「水分を含ませて取りやすくするのかな」
温泉を掬って掛けてから触ってみると、仔竜が楽しそうに喉を鳴らして尻尾を動かした。時折起き上がりたそうに足を動かすけれど、頭の方に座ったアルがうまいことあやしてくれている。嫌がらないうちに剥がしてあげたいけれど、水分を含ませるほど、ツルッとして指で剥がしにくくなっていく。
「フィカル、火を持ってきてもらえる? 前みたいに剥がれるかもしれないから」
フィカルが頷いてスーを呼び、料理用の炭に火を移す。アズマオオリュウはスーを見てやや警戒し、私が火の付いた炭を仔竜に近付けると怒ったように唸った。アルが間に立ってくれなかったらガブッとやられてたかもしれない。
大きな尻尾を打ち鳴らすアズマオオリュウに周囲の注目が集まるので、私は急いで火箸でつまんだ炭をスライムに当てた。
赤くなった炭が仔竜のお腹に当たらないように、なるべく中央の厚みがある部分へと押し当てる。
するとちゅーっと音を立ててスライムが震え、広がっていた状態からじわじわと身を守るように縮んでいった。片手で剥がすと、ぽろりと仔竜のお腹から落ちた。
「取れた!」
すぐに炭を置いて、お湯をかけて火を消す。
ぎゅっと身を縮めたスライムが取れたことと、火を消したこと、そして仔竜が何ともなさそうに起き上がってバタバタと翼をはためかせたことで、成竜はようやく唸ることをやめる。
「キギェッ!」
「もう大丈夫だね」
仔竜は一度鼻先をお腹に向けたものの、あとは全く気にしていないようにアルに近付いたり、私にくっついてジロジロと眺めたりと楽しそうにしている。アルがケプッと吐いたマシュマロも、モグモグとすぐに食べてしまった。どのくらいの間スライムがくっついていたのかはわからないけれど、体調はなんともないようだ。
「ギャギャ」
「あ、これは触っちゃだめだよ」
世界のあらゆることに興味津々な仔竜は、剥がしたばかりのスライムにも鼻先を近付けようとする。持ち上げて遠ざけると、成竜が汽笛のような鳴き声を上げた。声を抑えているけれど、喉が大きいのでそれでも音は大きい。
「あ、これ、持っていってくれるの?」
頭を下げてきたアズマオオリュウは、私の手に鼻先を寄せる。
昨日見たようにこれを温泉の中に置いてくるつもりなのかもしれない。
もしかしたら、たまに張り付いてくるこれを落とすためにアズマオオリュウは温泉郷を作っているのだろうか。成竜からすると問題にもならないスライムだけれど、仔竜や赤ちゃん竜にとっては危険なものである。
自力では剥がせないアズマオオリュウは温泉を作ってスライムを振り落とし、また温泉の近くで赤ちゃん竜たちを育てることで、窒息させられたりする危険を減らしているのかもしれない。
アズマオオリュウにとって、このスライムは小さいけれど大きな脅威なのだ。
大きくて強いアズマオオリュウの泣きどころは、かわいいかわいい仔竜たちなのだから。