春の冒険者たち1
カーン、カーン、とよく響く夜明けの鐘の音に、はっと体を起こす。
「こんなことしてる場合じゃなかった!」
降ろして、と足をバタつかせてみても、フィカルはむ、と不満そうに少し口を曲げただけでスリスリを再開させようとする。猫か、この人。
あまり抱えられていると、流石に恥ずかしくなってくる。伸びっぱなしの前髪で隠れていて見えにくいけど、フィカルは意外とイケメンなのだ。この世界の人は西洋人に似た骨格をしているので、外国人は皆イケメンに見えるフィルターもかかっているけれど。
「フィカル今街に帰ってきたとこ? 着替えてゆっくりしたら?」
こっくりと頷いて、フィカルは私を持ち上げたまま歩き始める。このまま5分ほど歩いて家まで行く気だろうか。腕力のトレーニングじゃないんだから。
「ちょっと待って、私はこのまま仕事なんだけど……あと、私今ギルドの事務所の上借りてるんだよね。あの家一人じゃ大きいし」
先程出てきたばかりのすぐそばの建物を指しながら告げると、ますますフィカルの口角が下がる。
私達2人が住んでいた家は、かつてガーティスさんの弟一家が住んでいたところだった。近くで商店を開いていた一家は、3年ほど前にそこの息子さん達がやれ騎士だの医者だのの学校に次々受かったので家族で住まいを王都に移した。男兄弟が多い一家だったこともあり家は大きく、1階にはリビングやキッチン、食料庫、洗濯場、体を洗う場所にトイレ、大きめの納戸があり、2階に居室が4つある。1人ではぶっちゃけ掃除するのもめんどくさい。
絶叫する植物をはじめとして、この世界は私が暮らしていた場所とはまったく違う生き物がたくさん生息している世界だった。中には大型で凶暴なものもたくさんいて、それらを討伐したり、希少な材料を手に入れたりといった仕事を引き受けるためのギルド――冒険者ギルドが発達している。
この冒険者ギルドでは大きな竜を討伐するといった危険で滅多にないような仕事もあるものの、そのほとんどの依頼は生活に密着していて、「ただ“ギルド”といえば冒険者ギルド」というくらい沢山の人が冒険者ギルドに関わっている。
例えば料理に使うハーブを集める手伝いをして欲しい、といった依頼があるとすると、依頼者も被依頼者もギルドに入っている必要があるので、この世界の人の多くは身分職業の関係なく冒険者として登録しているのだ。そのため街にひとつはギルドの事務所があり、そこで事務仕事や依頼物などの管理を引き受けている。
ガーティスさんはこの街、トルテアのギルド事務所をまとめている所長さんなのである。そのガーティスさんと相談して、夜勤を多く引き受ける条件で働いている事務所階上の仮眠室を間借りさせてもらっている。
「家は一昨日風通しはしたけど、掃除しないといけないかも……って、だからストップ、降ろして!」
フィカルがこっくりと頷いて再び歩き出そうとするのを引き止めてじたばた暴れると、フィカルは仕方ないという気持ちを体現するような、ふぅ……と溜息を吐いてようやく私は地上に帰還することが出来た。こっちだって溜息を吐いてもいいのではないだろうか。
フィカルは言葉で表現しないだけで、割と頑固なところがある。
私は夜干しシオキノコの入った籠を回収して、びしっとフィカルに宣言した。
「今日は春分の日なんだよ! 仕事が色々あるんだから」
春分の日は、ギルドにとって特別な日でもあるのだ。別名を「旅立ちの日」と呼ぶように、冒険者としての旅立ちに最も適していると言われている。もとは昔の有名な勇者なんちゃらさんがこの日に旅立ち大事を成し遂げたとかなんとか。この縁起を担いで、冒険者ギルドに登録できるようになった6歳の子供が、このトルテアの街を目指して出発する日でもあるのだ。
なぜこの街を目指すのか。
この街周辺の生き物は比較的小さく、穏やかで、冒険初心者に向いている依頼も豊富である。
この世界の生き物は地域によって強いものや弱いものがそれぞれ密集していることが多い。
例えば「岩窟の要塞」という異名があるガルガンシアという街では、鎧を着なければ街の外にも出れないというくらいに危険な生き物しか生息していないらしい。反対にトルテアは血まみれの行き倒れがいても食欲で集まってくる生き物が基本的にいないくらい、平和な街だ。ここで行き倒れかけてよかった。
冒険者のたまごたちにとっても非常に安全な街といえる。生まれた街でギルドデビューを済ませる子供もたくさんいるが、貴族や騎士を目指す子供、それに冒険者として名を上げたいという夢を持っているならばトルテアから、という習慣がある。有名な勇者のなんちゃらさんもここの出発だったとか。
「……とにかく、おかえり、フィカル。これから忙しくなるから、話はまたあとでね」
名残惜しそうな目をして、大きな背を丸めてとぼとぼと歩いて行くフィカルに別れを告げて、私は慌てて事務所へと戻った。
「おはよう、スミレ。今日も早いのねぇ」
「シシルさん、おはよう」
事務所の1階でひとりお茶を沸かしていたのはシシルさんだ。薄桃色の絹糸のような髪は長く、透き通るような白い肌に刻まれた緻密な美しさの顔立ち。エメラルド色の瞳が美貌を更に際立たせている。この世界には妖精がいてすごく美しいらしいのだが、本物の妖精を見た人がシシルさんのことを「妖精のようだ」と評するほど、つまりむちゃくちゃ美人である。儚げでほんわかとした雰囲気なので、余計に妖精っぽい。
普段は機織りの仕事をしていて、忙しいときなどにギルドに手伝いに来てくれる助っ人だった。
「父さんがスミレも出立式においでって。初めて見るでしょう?」
そして、あのクマ男であるガーティスさんの娘である。つまり母親は恰幅の良い肝っ玉母さんであるメシルさん。遺伝子の神秘に思いを馳せずにはいられない親子だ。
「わーやったぁ。昨日のうちに結構準備しといたので、あとはバセロ・インクだけですよ」
バセロ・インクというのは、子供の冒険者に使うインクである。25種類くらいの薬草を乾燥させて粉にしたものを魔術師が液体にするらしい。どうしても魔術師とか聞くとグツグツ煮立っている不気味な色の液体を鍋で掻き回しているようなイメージがあるけれど、この世界の魔術師はそんなことしないらしかった。
これからの時期に大量にいるので材料の粉はたくさん積まれているが、その日に使う分だけを作らないと意味がないらしく、まだ完成はしていない。
事務所をシシルさんに任せて、街の中央にある石畳の広場に行くと、広い正円の広場にはまだ早朝だというのにもう沢山の人が見物に集まっていた。
今日ばかりは、商店も既に客寄せを始めている。この日にちなんだお祝いの餅菓子や飴は縁起物として人気があり、早々に売り切れるのだそうだ。人混みは円を囲うように軒を連ねた商店の近くに集中しており、商店に顔を向けているものもいれば、広場の中央を覗き込んでいる人もいる。
人混みは中央がぽっかり空いていて、そこにガーティスさんたちギルドのメンバーが何人か、そして小さい子供たちがそわそわと集まっている。この街で出発の儀式「出立式」に出る6歳の子供は、全部で12人。近所に住んでいて知っている子供もいるし、見たことがない子供もいる。離れたところで見守っている親に不安そうな視線を向けている子供もいるし、楽しそうに歌を歌っている子供もいるし、大人の冒険者の剣を触りたそうにしている子供もいる。
やがてラッパの音色とともにフリーダムだった子供たちは一列に並ばされ、鎧を着て冒険者らしい格好になっているガーティスさんから順番に小ぶりのナイフを受け取っていく。このナイフはオオリュウという種類の大きな竜の牙で出来ていて、きちんと定期的に火で炙って手入れすれば欠けることがないという丈夫なナイフだ。ベテランの冒険者もこのナイフを携帯している人は多い。ギルドに入るときに貰うもので、私も鞘に花の刻まれたものを貰った。
順番が来た子供は石畳に膝をついて、両手を差し出す。そこにガーティスさんが物々しく両手でナイフを置いて、わしわしと頭を撫で回していた。受け取った子供はしげしげとナイフを眺めたり、ぴょんぴょん跳ねて見物客の笑いを誘ったりしていた。
それから子供たち一行は、冒険者が左右に5人くらいずつ並び、それぞれの武器を掲げて作ったトンネルをくぐって出発する。この出立式に出る冒険者は子供たちの憧れである。街一番といえる腕自慢たちで、武器もガーティスさんの使う斧もあれば大剣、棍棒など様々なものがあって面白い。
冒険者の激励を貰って心なしか気を引き締めた子供たちは、たくさんの拍手に背中を押されながら広場の端で待機していた乗馬している騎士に付いて退場していく。涙を拭っているのは親御さんだろうか。
「やーいつ見ても最高だな! 若い頃を思い出すぜ」
「私もわくわくしながら出発したの覚えてるわ〜」
「ちびの冒険者が増えると春が来たって思うな!」
やいやいと子供たちの後ろを付いて行く見物客を見送っていると、大役を終えたガーティスさんが近付いてきた。メシルさんもいる。
「ガーティスさん、かっこよかったです」
「ガッハハハ、だろ? 所長としての威厳の見せどころだからな!」
「スミレったら、あんまり褒めると調子に乗るからやめときな。それにもうしばらくしたら、事務所のほうが騒がしくなるからね」
そう、他の街では、このトルテアを目指して出発する出立式。でもここは既にトルテアなので、ここの出立式はその辺を練り歩いて終わりなのである。遠方から危険な旅をする子供たちは、屈強な騎士が大勢引率で来ることもあるらしいが、トルテアでは街すら出ないので、騎士も先頭に立ってぽっくりぽっくり馬を歩かせるだけ。実に牧歌的な光景である。
「さあ、スミレも戻って準備するよ! 初めてのリーダーだろう」
「はいっ」
グループとして依頼された仕事で、不慣れな冒険者を指導する立場をリーダーと呼ぶ。安全上、リーダーは指導される冒険者で最高のものよりも2段階上のランクであることが定められている。
そして今日は、私のリーダーとしてのデビューの日でもあるのだ。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/08/02)




