赤子大騒動11
この建物の窓は、竜騎士団が出動の時に使うだけあってとても大きくて枠は頑丈な石で出来ており、幅も広い。外壁の突起に足をかけてゆったり羽ばたいているスーの距離も近い。とはいっても、飛び移るのはやっぱり怖かった。2階の高さである。
「今すぐ子供を連れ戻せ! いいか、間違っても怪我をさせるなよ!」
「阻止しろ! 彼らを守れ!」
レルネル様とルチアさんが命令し、それぞれの竜騎士が動き出す。人数が少ないながらもせき止めてくれている今、さっそうと脱出しなければいけない。躊躇している暇はないというのに。
「スミレ」
手に汗を滲ませながら椅子に足をかけていると、フィカルに呼ばれた。振り向くといきなり赤ちゃん達ふたりを渡されて、慌てて受け止める。どぅーどぅーを見ていた赤ちゃん達は、いきなり私に抱っこされてまだ乾かない頬を歪ませた。
これは泣く。
そう思ったけれど、フィカルが赤ちゃん達を優しくつついて窓の外を指差す。
「どぅーどぅ」
「どぅー……どぅっ!」
「どぅーどぅー!」
フィカルがどぅーどぅって言ったのが可愛い。それに私が騙され、どぅーどぅーに赤ちゃんが騙され、その隙にフィカルが私ごと赤ちゃん達をぐわっと抱き上げる。お姫様だっこをした状態でフィカルが椅子の座面を蹴り、窓枠から軽く飛んで、間髪を入れずにスーの鞍に着地する。
「ひゃー!」
「どぅーっ!」
「どぅーどぅー!」
ふわっと来た浮遊感に声を上げると、赤ちゃん達もボルテージを上げていた。赤ちゃん達を抱っこしている私を座席に乗せ、フィカルは手綱を操る。建物の外壁を蹴るようにして飛び上がったスーの後ろを、ピギャピギャとアルが追いかけてきた。高い笛の音がいくつか聞こえて、集まっていた竜のうち数匹がそのままこちらを追いかけてくる。
腕の中にいる赤ちゃん達はあたたかく、そしてとても柔らかい。こちらを向いて不安そうな顔になるので慌てて前方を指して注意を引いた。
「ほらー。どぅーどぅーだねえ〜。どぅーどぅー飛んでるね〜」
「どぅーどぅ?」
「どぅーだーぁっ」
「どうだろうねぇ〜どぅーどぅー! ほーら大丈夫だからね〜」
魔法の言葉「どぅーどぅー」によって赤ちゃんは機嫌を完全に持ち直し、スーの頭の方を指してはこっちを向いてひゃっと笑った。むずむずと体を動かすことなくどぅーどぅー飛行を楽しんでいるようだ。
スーは後ろを気にしつつも手綱の通りに城から西の方へと降り、一際背の高い建物を目指す。後ろから他の竜の声が追ってきているけれど、襲えと指示はされていないからか不必要に近付いてくる様子はないようだった。アルが時折振り返って竜を追いかけているらしく、声が戸惑ったようなものになったり、羽ばたきが不規則になっている。
「フィカル、時計塔の鍵取って」
フィカルが手綱を持ったまま座席の前に回り込み、首にかけておいた金属製の鍵を取る。フィカルの登場と何か掴みやすいものの発見に赤ちゃん達は喜んだけれど、フィカルは鍛えられた運動神経で上手に小さい手を避けて鍵をゲットした。
時計塔は円柱形で、上部に時計が付いている。屋上に出る用の小さな正方形の扉が見えていた。壁面に小さい窓が斜めに上がるように並んでいるのは、内側に螺旋階段があるからだろう。小柄な人ならわからないけれど、屈強な男性が窓から入るのは無理そうだ。
「竜騎士も来ている」
「もう? やっぱり竜がいると早いなー。上から入ったら追いつかれそう。下の扉から入って中に閉じ籠もろうか」
こっくりと頷いたフィカルがスーを降下させる。時計塔の周辺は芝生や花壇があり、スーはそこに優しく着陸した。フィカルがまた私達を抱き上げて、スーが伏せる前に着地する。
大きくて頑丈そうな扉を鍵で開けて、フィカルが空を仰ぎ見た。
「来た。早く中に」
「えっ、フィカルは入らないの?」
「スミレが危ないから倒す」
そっと背中を押されて薄暗い建物の中に入ると、フィカルは扉を閉めて鍵もかけてしまった。内部は薄暗く、小さい窓から差し込む光で階段が見えるくらいの明るさしかない。
「フィカル……て、手加減してあげてねー! 動けなくなるくらいで勘弁してあげて!」
扉を閉めるときのフィカルの目がなんだか物騒めいたものだったので、私はとりあえず叫んでおいた。中央に柱があり、螺旋階段が上まで続いている塔の中は声がよく響く。それが不気味だったのか暗いのが嫌なのか、赤ちゃんが2人ともぐずるように動き出した。
「あーほら、大丈夫だよー。どぅーどぅーいるかな? アルー?」
「ピーギャッ!」
螺旋階段を登り、窓から呼ぶと楽しそうなアルがぬっと窓を塞いだ。
近すぎてちょっと暗い。
扉の向こうは騎士の怒声や竜の声が聞こえてきている。フィカルが複数相手といえど竜騎士に負けるとはとても思えないけれど、赤ちゃんを怖がらせないためにも扉から離れておくことにした。
「あっちの窓にもどぅーどぅー来るかな? どうかなー?」
私が階段を移動するに連れてアルも付いて来る。ぬっとこちらを片目で覗くアルが面白いのか、赤ちゃん達は泣かずにいてくれていた。不安にさせないように私も軽い声を出して話しかける。しかしその声は、段々と息切れしかけていた。
赤ちゃん2人を抱えて階段登るの、結構キツイ。
「どぅーどぅっ!」
「あー、来たねえ。どぅーどぅーだねー」
ゼエハアと窓の前で立ち止まっていると、ピギュグルと瞳孔をアーモンド型にさせたアルがじっと覗き込み、それから見えなくなって次の窓を塞いでいる。あっちに行ったから向かえと言わんばかりに赤ちゃん達がだぁだぁと私に言うので、細かく長い螺旋階段をまた登り始めることになった。
私もトルテアで色々と生活をしてきているので、赤ちゃん達を持ち上げるくらいは難しくはない。だけど加減を間違えると落っことしてしまいそうな柔らかさを抱っこし続けるというのは結構筋肉にクるというのがわかった。そして、その状態で階段を登り続けると余計に辛い。体が酸素を欲している。
アルがいなくなった窓から外を覗き込むと、もう時計塔の半分くらいは登っていた。下に竜騎士が集まっていてフィカルが大活躍しているけれど、その強さに竜騎士達が自分の竜もけしかけているようだ。空中で待っている竜は紅き暴れん坊スーによって蹴散らされ、空を舞っている。
「あそこだ! 挟み込んで壁を壊せ!」
「うわ」
「赤ん坊を落とさないように離して穴を開けろ!」
空を飛んでいた竜騎士がこちらを指し、指示を受けた竜騎士が塔の上の方と下の方へと近付く。焦茶色の鱗を持った比較的小さいサイズの竜はニシイワツミリュウだ。アルと同じチリュウであり、岩や土をもろく崩して積み上げた巣で暮らす習性がある。
「まじですか……」
ニシイワツミリュウはスーの攻撃を避けながら壁に張り付く。螺旋階段の上を眺めていると、パラパラと砂の落ちる音が聞こえ、それから塔の中に差し込む光が増えた。下の方でも同じような音が聞こえる。穴を空けてそこから入り、挟み撃ちする戦法のようだ。
「さすが西方の竜騎士団、連携がすごい」
いや、感心してる場合じゃない。
「スミレ!」
「フィカル! 挟まれそう! スーをけしかけて!」
窓から下に向かって叫んでから、近くでホバリングをしているアルを呼んだ。
「アル、おいで!」
「ピギュッ!」
素早くやってきたアルと、じっと目を合わせる。瞬膜で瞬いた目が、命令を出すのだと気付いてじっと大人しくなった。
「アル、キャッチ、キャッチだよ。出来る? キノコじゃなくて、赤ちゃん。噛まないで、そのままいられる?」
両腕で赤ちゃんを抱えたままだと何の抵抗も出来ない。赤ちゃんを階段に座らせておいて戦ったとしても、竜騎士に挟み撃ちされている状態ではフィカルが来るまでに奪われてしまうかもしれない。
赤ちゃんを見せてゆっくりと「キャッチ」の言葉を繰り返すと、じっとこちらを見ていたアルは、フガフガと私を嗅ぎ、それから赤ちゃんを嗅いだ。生温い風を嫌がった赤ちゃんは、ぶーと言いながらアルの鼻先を叩いている。
やがてアルは、小さく喉を鳴らして口をそっと開けた。
「いい子ね。赤ちゃん、どぅーどぅのお口にいてね。大丈夫だからね」
小さい2人を見下ろして、一瞬戸惑う。迷いを振り切るように片方を一旦階段に降ろして、それから片方をそっとアルの口の中に入れた。
「そのままだよ。わかるよね? いい子だね。少し我慢してね」
大きく並んだ牙の柵の内側に、そっと赤ちゃんを下ろす。きょとんとした赤ちゃんが見える状態のまま、アルは舌も動かさずにそっと翼を羽ばたかせていた。
大きさ的に、2人並べるとどちらかが舌の奥側に近付く。下手に動かれたら嚥下されてしまうかもしれない。残った赤ちゃんを抱き上げて、一瞬のうちにひどく悩んでからもうひとりをアルに預けることは諦めた。
この選択が、もしかしたらこの赤ちゃんを傷付ける結果になるかもしれない。そう思うと、穴から竜騎士の声が聞こえるのがとても恐ろしかった。
「グルギャオォウッ」
「スー?」
大きな鳴き声が響いてどんどんと壁に響く音が聞こえ、それからアルのかわりにスーが顔を出した。壁を蹴っているようだけれど、なかなか頑丈なようで唸ってはこちらを覗いていた。
腕の中の赤ちゃんが喜んで手を伸ばすと、黄緑がかった金色の目をゆっくりと細めて、それから口を開ける。
「え、スー、預かっててくれるの?」
「グルッ」
スーは「キャッチ」遊びをしたことがない。アルとの意思疎通のための遊びとして行っていたものなので、そばで見ていたことはあるけれどきちんと訓練したことはなく、ねだってきてもジャマキノコをあげるだけでいつもばくんと飲み込んでいたのだ。
さらに言えば、スーは他人に触られるのをひどく嫌がる。
「ギャオッ!」
じっとこっちを見たスーが、より大きく口を開けた。その鋭い目がじっとブレずに私を見つめている。
「わかった。スー、ありがとう。お願いね」
グルッと鳴いたスーの口に、私はもうひとりの赤ちゃんを預けた。そっと腕を離れた赤ちゃんはしばらくこっちを見つめていたけれど、ふわりと浮き上がった景色に泣くこともなくじっとしている。
「よし」
スーは素早く、アルは子竜だ。もし他の竜に襲われてもすぐに赤ちゃん達が危険になることはないだろう。
とりあえず私はそっちの心配を忘れて、腰につけた剣を手に取った。すでにぷるぷるしている腕の筋肉でしっかりと構えて、聞こえてくる竜騎士の声に耳を澄ませる。
竜騎士がスーとアルを襲わないように、襲ってくる人達はここで私が食い止めなければ。