フィカルは見た 今は遠い場所1
ある秋のよく晴れた日。
「鼻水発熱咳に涙。こーれは風邪だよね。どう見てもね」
「グピュ……」
ガビンガビンとやかましい音を出し始めて3日、スーとアルが風邪を引いたとスミレは断言した。洟を垂らし目を潤ませ、ぜいぜいと音を立てて呼吸する竜達は寝転がり、スミレのことを不安そうに見上げた。腕捲りをしてそれぞれの上顎を持ち上げ、滋養団子をぐっと奥まで突っ込んで飲み込ませると、スミレは手を洗いに家の中へと戻った。
「魔力性感冒だって。竜みたいな頑丈な魔獣ほどかかりやすいみたい」
竜のことについて研究し始めて一年以上経っているからか、さほど動じてはいない。知らない状態のほうが不安になるのだとスミレが学術書を読み漁っていた頃はとても退屈だったが、最近はスーやアルの観察に力を入れているせいで抱き付いていてもさほど文句は言われなくなったので良かった。
「先週、ルドさんと一緒に運搬の仕事したでしょ? ラルサもかかってるんじゃないかなぁ」
あとで行こうと相談しながらスミレと食糧庫に向かう。スミレは本を持って文字を指で辿りつつ、そこに書いてある薬の材料を読み上げた。アネモネちゃんがそれを聞いて、棚の上部に陳列してある薬草瓶を押して落とす。それを全て受け止めると、スミレが確認をして頷いた。
「乾燥させた魔草12種、と、水分と魔力を多く含むもので伸ばす……ジャマキノコで良いかな」
スミレが呟いた途端床のあちこちにキノコが生い茂った。すり鉢の隣やまな板の上にも生えている。
「そんなに生えなくていいから……とりあえず2つ……え、もっと? 3つ? フィカル、刻んでくれる?」
アネモネちゃんと相談しつつ決めるスミレに頷くと、まな板に生えたジャマキノコをまず取って横に寝かせる。大きなテーブルで刻んでいる隣でスミレはすり鉢に薬草を入れていった。開け放した窓から頭を中に突っ込んでいるアルと、その上に顎を乗せているスーはいつもより弱々しく鳴いていた。
「シンセツソウの干したひげ根ふたつかみ……これくらい? あとは、うぇ、ネジレヘビの黒焼き……」
竜は非常に強い魔獣のせいか、怪我や病気なども限られている。そのため必要になる薬の材料も限定されているが、その半分ほどは薬草で、他はヌマイノシシの脂だとか、黒焼きだとかである。スミレはそういったものが苦手なようで、扱う時はとても嫌そうな顔をするのだった。スミレはとても可愛いが嫌なことをあまりしてほしくない。大体は代わりにやるというとお礼を言ってくれるけれど、竜のことに関しては自分でやると決めているらしく譲ってくれないのだ。
「いやぁ……これ形が残ってるぅ……え、これ? これにするのアネモネちゃん? こっちの崩れたのじゃダメなの!?」
薬科に関してアネモネちゃんの見立てを全面的に信頼しているスミレは、顔を背けながら今にも動きそうな形の黒焼きを摘んですり鉢に入れた。目を瞑りながら磨り潰すスミレの肩で、アネモネちゃんが慰めるように頬を葉で撫でている。
「くっ……結構固い……あ、フィカル終わった? ありがとう」
ジャマキノコを刻み終わりすり鉢を手で押さえるとスミレが笑ってお礼を言った。一所懸命に磨り潰すスミレを間近で見ながら、時折ジャマキノコを混ぜる。粉になって混ざったすり鉢の中身は時々色を変えたり僅かに発光しながら、なんとも言えない匂いを発するようになった。窓から鼻先をこちらに向けていた竜達がいつの間にかいなくなっている。
「なんかこう……強烈というか、じわじわと不安になる匂いだね」
スミレが泥のような固さになった薬をすりこぎ棒で持ち上げると、もったりとしたそれはゆっくりとすり鉢へと落ちた。
出来上がった薬を眺めて暫く唸っていたスミレは、余ったジャマキノコを手に取って刃を入れ半分に割ると、中をくり抜いてそこに大さじ山盛りの薬を入れて元のようにジャマキノコをくっつける。それを2つ作って外に出ると、頭を隠した竜の山が2つ出来ていた。
「ほーらスー、アル、おやつだよ〜」
「ギュゥ……」
いつもなら喜んでスミレに近寄る2匹が動かないのは、風邪を引いているためだけではないようだった。
「はいアルちゃん、ジャマキノコだよ〜あーんしてね〜」
「ピグ……ギュ……ギュァ……」
首をゆっくり振るアルを撫でながらスミレがそっと口を開けようとする。鱗の切れ目に手を突っ込んで開こうとすると、じわじわと隙間から牙が見えてきた。
「怖くないよ〜まずく……ないかどうかはわからないけど大丈夫だよ〜ほらいい子だね〜開けてね〜」
いつもより柔らかい声で宥めるが、アルは力を入れて口を開けまいと踏ん張っていて膠着状態になっていた。仕方がないのでスミレに薬の入ったジャマキノコを渡し、上顎と下顎に手を掛けて一気に開ける。
「ピギェッ?!」
「はい食べてー! そのまま飲み込んじゃって! よしよしいい子だね可愛いね頑張ったねー!」
スミレが開かれた口の奥にジャマキノコを押し込んだので強引に閉じる。アルは閉じられた口の中を暫く動かした後に飲み込んだが、数秒してから悶絶するように舌を出したまま転げ回った。
「うわ……すごいマズそうだね……蛇の黒焼きってヤバイらしいし……」
「スー」
アルを心配そうに見ているスミレを見ていると、こそこそと逃げ出そうとしている気配があった。呼んでこちらに来るように指示すると、スーは目を細めて聞こえないふりをした。
「スーおいで、はいこっちおいでー、アル頑張ってたねースーも頑張ろうねぇ。スー、おいで! 足全然進んでないからそれ!」
スーは足を動かしていたが、ほぼ足踏みをしている状態で近付いていない。顔は全力で背けられ引け腰になっていた。蹴り飛ばして進めようと近付くとようやくスミレに近付く。スミレの顔と、涙を流して鼻を鳴らすアルの顔をせわしなく見比べていた。
「スー、風邪辛いでしょ? これ飲んだら楽になるからね。いい子だね〜。アルも頑張ったからスーも出来るよね?」
「ギュゥ……」
スーがじっとこちらを見上げてきたので、じっと見返す。
それから口を開けるために手を突っ込んだ。
「スーもアルも安静にしててね。ごはん買ってきてあげるからね」
庭で大きく火を焚き、アルはその近くで土山を作って潜り鼻先だけ出している。スーはその土山に凭れるようにして火に当たりながら体を横たえていた。どちらも薬が効いたのかぐったりとしたまま目を瞑っている。
スミレは薬の残りを瓶に入れ片付けをしてからカバンを肩に掛けた。
「転げ回るほど苦いんだね……ラルサ、飲んでくれるかなぁ。3匹とも風邪が長引くなら、薬の材料が足りなくなっちゃうかも」
この時のスミレの心配は的中していたのだと、その直後に知ることになった。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/20)




