フィカルは見た アネモネちゃんの真実
ぺきっ。
室内から聞き慣れない音が耳に入ってきたので起き上がり、スミレを窓際へ寄せながら跨ぎ越し、部屋の様子を確認しながら剣に手を伸ばした。
いつもなら窓際で眠るスミレを部屋側から抱きしめて寝ているが、最近は位置が逆転している。スミレがアネモネちゃんの様子を心配しているためだった。
「フィカル、アネモネちゃんが枯れちゃったらどうしよう……」
日に何度もそう呟くスミレは、いつもよりこまめに水を替え、仕事もそこそこにアネモネちゃんを見張っていた。これを機に仕事を辞めないかと期待したが、時間を融通してもらうくらいでそのつもりはないようで残念だった。
不安からいつもより寄り添ってくるスミレはとても可愛いが、心配で顔を曇らせているのは痛ましい。浮かない顔で相手もろくにしてもらえないために竜達が日に日に煩くなってきているのも気になる。アネモネちゃんが現状のまま変化がないようなら、王都まで持っていってみるかと明日にでも提案しようと思っていた。
ぺきっ、ぺきぺきぺき。
小さな音はサイドテーブルの花瓶から聞こえてきている。薄闇の中でアネモネちゃんがうごめいているのが見えた。スミレがよく眠っているのを確かめて顔の周辺にアズマオオリュウの巣材をそっと置き、音を立てないように立ち上がってランプに小さく火を灯す。明かりがスミレの眠りを妨げないように手で影を作りながら花瓶を照らすと、紺色の花びらが震えているのが見えた。
その動きに合わせて、分割されていた体を合わせるように結んでいたリボンを葉っぱが撫でるようにしている。その動きが引っ張るような動作に見えたので手伝うように引っ張るとリボンが解けてサイドテーブルの上に落ちた。他のリボンも同じようにすると、葉が元の位置に戻り震えに揺られるだけになった。
ぺきぺき。
不規則な震えとともに鳴っている音は、体に亀裂が入っている音だった。
縦に半分割られた状態だったアネモネちゃんが、更にそれぞれを縦に割るように亀裂が走る。じっと眺めていると花の方から茎を通り、ぺきぺきと音を立てて最終的に根まで割れて完全に四分割されてしまった。
これはまたスミレが悲しむ。
4つに分かれたまま動かなくなってしまったアネモネちゃんをどうしたものかと眺めて、傍に置いてあった魔石をなんとなく花瓶の中に入れてみる。半分に割られていた根に影響を与えないように、といつもより口の広く深めの花瓶なので、アネモネちゃんを一旦纏めて取り出して入れてみると水が溢れないまま魔石が丁度入る。
そっとアネモネちゃんを戻して眺めていると、次第にアネモネちゃんが震えだした。先程の割れるに任せて震えるようなものではなく、ブルブルと全身を振動させているようなものである。四分割の全てがそうやって震え出して、その震えでアネモネちゃんの体が次第に浮き上がり、花瓶から押し出されるようにして四方に落ちる。
サイドテーブルの上でまだ震え続けたアネモネちゃんは、しばらくしてピタリとその動きを止めた。花瓶に戻すかどうか迷っていると、みちみち、とそれぞれの断面が広がっていく。
みしっ、みちみちっ。
数秒の間に膨らんだ断面は、欠けている部分を補うようにむくむくと膨らみ、見る見るうちに完全な姿へと戻ってしまった。
つまり、完全な姿のアネモネちゃんが4つ、サイドテーブルに寝転んでいるわけである。
「……」
これは……スミレは喜ぶのだろうか。
ランプをかざしながら首をひねっていると、むくりとそのうちのひとつが起き上がって影を揺らした。ほかの3つも続くようにむくりむくりと起き上がる。体の具合を確かめるようにそれぞれがわさわさと動いて、サイドテーブルを所狭しと走り回り始めた。
中央に置かれた花瓶の周囲を回って走るアネモネちゃん4体は、大きさも形も動きもほぼ同じである。
ちらりとスミレを窺うと、この小さな騒ぎに気付くことなく眠っている。最近は寝付くのが遅かった事もあって疲れているのだろう。
4体飼うとなると、花瓶が少し足りないように思う。小さな花瓶はこの辺では珍しいものなので追加作成をコントスに頼むべきなのかと考えていると、仲良く回っていたアネモネちゃん達が絡み合っていた。
ぺち。ぺちぺちぺち。
絡み合っているというより、人間の動きで言うと格闘しているように見える。白い根の足で互いを蹴り合い、葉で花びらを殴り合っているのだ。柔らかな植物なのにぺちぺちと音が鳴っているので、それなりに力が篭っているらしい。
「…………」
どうすれば良いのか。
サイドテーブルから転がり落ちそうになったアネモネちゃん達をそっと手で押し戻しながら少し悩む。スミレが悲しみそうなので、もし葉が千切れたり茎が折れたりするようであれば引き離した方が良いのだろうが、4体の格闘には何か鬼気迫るようなものがある。そして、どれを庇うべきなのかよくわからない。
眺めているうちに勝負がついた。
ぺちぺちっぺちん! ぺちん! ぺちん!
素早く体を起こしながら葉で3匹を引きずり倒し、威力のそこそこありそうな早さで根が倒れている3つの花を蹴った。したっと着地したアネモネちゃん以外のアネモネちゃんはくったりと力を失っている。堂々と仁王立ちするアネモネちゃんは、どうだ、と言わんばかりにこちらに手を振ってきた。
同じに見える4体でも、僅かに実力が違ったらしい。
勝ち残ったアネモネちゃんが、他のアネモネちゃんを引きずるようにして運び出す。どうやらベッドを越えて窓際を目指しているようなので、スミレの上を通って安眠を妨げないためにも手伝うことにした。ランプを消し、スミレを窓際から離して冷えないように体を白い巣材で覆ってから窓を開ける。白い月が出ていて視界には困らなかった。
倒れたアネモネちゃん3体を纏めて手に乗せると、手首に飛び乗ったアネモネちゃんが葉で花瓶を示す。花瓶も手に取って窓際へ近付くと、倒れているアネモネちゃんの根を花瓶の水に入れるようにと指示された。
1体の茎を摘んでそっと花瓶に浸ける。ぐったりしていたアネモネちゃんがピクリと動いたのが指から伝わる。
すると見ていたアネモネちゃんの葉が持ち上げるように揺れたので持ち上げた。
「あ」
アネモネちゃんが素早く手の内側へ潜り込むようにやってきて、ぺちっと根で蹴りを繰り出し、摘んでいたアネモネちゃんが窓の外へと蹴り出された。窓の外を覗き込むと、直ぐ側で眠っていたアルの背中に落ちている。空を振り仰げば、スーが屋根の上からそっとこちらを覗き込んでいた。
同じように残りの2体も根を水に浸けて蹴り出され、アルの背へと落下する。
桟に立って覗き込むように花を下に向けたアネモネちゃんと共に落下したものを眺めていると、やがて3体のアネモネちゃんは起き上がり、よろよろと竜の背を降りて、そのまま森の方へとそれぞれが別方向に走って行ってしまった。
残ったアネモネちゃんを見下ろすと、満足そうに葉を振っている。
いいのだろうか。
しばらく森を眺めていたが、スーが降りてきてアルを踏み台にしながら鼻先を近付けて視界を占領したのとスミレが寒そうに身動ぎしたので窓を閉めて眠ることにした。
アネモネちゃんは窓枠から飛び降りてスミレが眠る様子を近くで少し眺めていたものの、再びサイドテーブルへと戻った。花瓶の中から魔石を取り出すとそこへ自ら入る。しばらくはさわさわと動いていたものの、やがて大人しくなった。
もう分割はしないようなので、布団に入ってスミレを抱きしめる。温かく、抱き寄せると眠っているのに擦り寄ってきた。んん、と声を上げていたものの、背中をそっと撫でると寝息が安定してくる。
スミレの眠る姿はとても無防備だ。全身の力を抜いて、気絶したときのように意識を深く手放している。スミレにとって睡眠とはただ休息をとるためのものではなく、安らぎに身を浸すものなのだ。
最初の頃はスミレがこんなに無防備な状態で夜を過ごすことについて見ているだけでも不安だったが、ずっと眺めているうちに安らぐということをどうすれば良いのかわかるようになってきた。力を抜いて、警戒を緩めるというのは慣れないうちは逆に落ち着かないものだったが、加減を覚えるととても心地良い。
安らぐという点においてはスミレは非常に優れた能力を持っていて、ただ力を抜くだけではなく、灯りを蝋燭にしたり香りのあるものを寝室に置くという知識もあるのは感心するほどだった。じっと眺めているうちに起きていても安らぐことも覚えたが、安らぐことによってより集中や警戒がしやすくなったのは良かった。より安らいでいるスミレには相変わらず警戒心が薄いのは少し不思議だが、その分守ればいいだけなので問題はない。
朝になれば割れていないアネモネちゃんを見つけて、スミレはとても喜ぶだろう。アネモネちゃんが断面から増えたと話せばスミレは見たいと言うかもしれないので、外に水を張っておけばまた寄ってくるかもしれない。その時は、残っているアネモネちゃんが追い払う前にスミレを呼ぶ必要がある。
久々に曇りのない笑顔を見れると思うと、朝が来るのが待ち遠しいほどだった。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/20)




