仔竜、都会へ行く12
アルは誰にでも分け隔てなく懐いていた。昨夜アルに食べ物をやっていたのは商人の人達が多かったけれど、この野原にいたのであれば誰でも可能ではある。
商人達も、私に交渉をしてきた本人が先頭に立ってアルに関わっている人もいれば、竜に触るのに抵抗感があってか近寄るだけで、隊商で働いている護衛や下働きの人が触っているだけだということもあったようだった。
王都の商人を代表するトリアさんは名前を書き連ねた紙を取り出す。
「こちらに来た隊商は把握していますが、商人だけならまだしも入れ替わりのある護衛や下働きについては知らない顔もありました。また既にこの場を去っている商人は恐らく他の商談へ向かっているか、既に王都を出ている可能性もあります。今から容疑がかかっているというだけでその全員を呼び寄せることは難しいでしょう」
この世界には科学捜査はない。
魔術陣が用いられたのであれば、魔術師がその痕跡を辿ることも出来る。けれどもそれも確実とはいえないし、悪意の有無を調べる結界も犯罪者だけを浮かび上がらせることは出来ない。
魔術を用いていないことならばなおさらだった。指紋もDNA鑑定も監視カメラもない状況では、確たる証拠がなければ犯人を捕まえることが出来ないのだ。
人当たりの良い商人が多い中で鋭い雰囲気を持つトリアさんは、ことを大きくすれば疑いをかけられた商人達は評判を落とされたとして抗議してくることもあると眉を顰めた。王都の商人は多く、少しの噂でも商売が傾くことがある。その責任や恨みを押し付けられては今以上の被害が広がりかねない。
「一応、竜騎士団と騎士団を通じてこの場を離れた商人達にも話を聞いてみるが、自白でもしない限りは捕縛は難しいだろうな。そもそも下手人がまだこの場にいる可能性もある」
商人である限り、お金さえあれば『罪の眠り』を卸すことは不可能ではない。『罪の眠り』そのものは王城が定めた薬師だけが精製方法を知っているため、そこから買い付けた商人は辿れるものの、誰の手に渡ったか、いつ使われたのかという記録は全てが残っているわけではないそうだ。
竜騎士であっても、竜騎士団の持つ『罪の眠り』を盗むことは不可能ではないのだ。誰が持っていても不思議ではないし、当然やった人間が正直に喋るとは思えない。
「じゃあ、犯人は野放しなんですか? アルはあんなに辛い思いをしたのに、しかも、竜だから死ななかったけど、人だったら沢山の人が死んでたかもしれないのに」
「可愛がっている竜に毒を盛られた君からしてみれば納得出来ないかもしれないが、我々としてはその問題についてはあまり重要視していない」
人懐こい相手に毒を盛るような人が罪に問われないままなのか、と思わず声を上げると、中央ギルドのキルカさんが私を宥めるように言った。
「君は確か異世界から来たのだったな。あまりこちらの竜に明るくないのだろうが、犯人は遅かれ早かれ報いを受けることになるだろう」
「どういうことですか?」
「竜は賢い。魔獣の中でも最も強いと言われるのは、その頑強な体や身体能力からというより、むしろ知恵の方を恐れてそう言っているのだ」
竜は人間に負ければ主を定める。これはつまり、主である人間とそうでない人間を区別しているということだ。同じような背格好が集まる竜騎士団においても、竜が自分の主を見間違えることはない。視覚、嗅覚、聴覚などで判別し、そしていつまでも覚えている。十年前に捕獲に失敗した竜に竜騎士団が襲われた、という記録が残っているほどだ。
記憶力が良いということは、執念深いということでもあるのだ。
「竜は大型になればなるほど知能は高くなり、それに比例して誇り高くなる魔獣だ。人間に危害を加えられたということは恐らくアル自身も既にわかっているだろう」
「我々が危惧しているのはむしろそちらの方だ」
キルカさんの言葉を継いだのは眼鏡を指でくいっと掛け直したマギスさんだった。
「アルは一見無邪気に愛想を振りまいているように見えるが、竜に恐怖心を少しでも抱いている相手には自分から触ろうとしていない。積極的に撫でてくる相手に対しても、どの程度力を掛けて良いのか見極めている」
思わず視線を下げる。話を聞きながら撫でていたアルは、手を止めるときょろりと目を開いて喉を鳴らした。
屈強で普段から竜の力加減をわかっている竜騎士を相手にしていても、力仕事は下働きに任せいつもは頭を使う仕事をする商人を相手にしていても同じように遊ばれている。それはアルの方が力加減をしているからだとマギスさんは指摘した。
確かにアルは、初対面の子供達にも最初は身を低くしてそっと鼻先を差し出し触れるのを待つ。慣れてくれば鼻先に抱き付いてきた子供を空に持ち上げることもあるけれど、全員にそれをやっているわけではなかった。
「仔竜と言っても竜は竜、危害を加えた人間を見つければ己の手で始末するだろう。それは我々人間には止められないし、だからこそ竜に危害を加えた人間には命の保証はないと王城もギルドも竜騎士団も宣言しているのだ」
多くの面で重要視されている竜に危害を加えれば、死刑や終身刑を含めた重い罰則がある。しかしそれは罰というよりも竜に弄ばれて苦しむ死から人間を守るためのものという面が強いのだそうだ。竜にとっては、主以外の人間など小鼠のような存在なのである。
貴族は領地を守る仕事柄、竜騎士であることも多い。竜を持つことは羨望と嫉妬の的になることでもあるため、しばしば竜騎士やその竜は危害を加えられることもあるのだとマギスさんは顔を顰めて言った。そうして犯人が竜の牙にかかることも少なくはないらしい。
「アルが犯人を特定していて、その人間を襲うことは我々も止めはしない。しかし、王城や街の中で襲うということが周囲にどれだけの影響を与えるかはスミレ殿もわかるだろう。怒りに任せて下手人だけではなく隊商そのものを敵だとみなしていれば流石に介入せざるを得ないし、そうなれば主に対しても責任を問うことになる。特に貴殿の場合は一般より竜を御する必要がある。仔竜が関わると、種に関係なく周囲の竜も逸脱した行動を取りやすくなるからな」
人間が己の敵になることもあると知った今。
アルが己を制御出来る竜であるのか、私がアルを制御出来る人間であるのかに全てが懸かっているのだ。
自分にそれが出来るかと問われれば、確信を持って肯定することは出来ない。現に、私はアルが毒を盛られるのを防ぎきれなかったのだ。
けれど、起こってしまったことで悩んでるだけでは意味がない。力不足を感じているだけでは何も変わらないのだ。茶色がかったモスグリーンの鱗に手を当てて考えていると、ずっと黙っていたフィカルがおもむろに口を開いた。
「犯人は、見つけたら殺しても良いのか?」
「えっ」
今、なんでまたその話?
そして、なんでそんな物騒な方向性?




