おうち騒動2
「こんにちはァ〜、チリルって言います〜。魔術師会中枢部から来ましたァ」
波打つ濃い赤紫の髪に同じ色をした少し垂れ目の大きな瞳、きゅっと通った鼻筋、色っぽい声を間延びさせた唇はぽってり赤く色付いていて、その右下にあるホクロが色っぽい。
なにより、真紅のローブを身に纏っていてもわかるほどぼいんぼいん。そのぼいんぼいんの辺りまである杖を紅い爪の両手で握っているので、より強調されている。
「応急的だった星石の守護魔術を改造することになってね、指導するために来てくれたのがチリルさんなんだ」
そう紹介したコントスさんの隣で、チリルさんはンフと笑って首を傾げた。それだけでギルドでたむろしていた独身組の男性がうおおおおおと雄叫びを上げている。
なんだかセクシーな人きた。
魔術師ルタルカが北西にある街の星石を破壊した影響で、各地にある星石をその街に住む魔術師が守護することになった。守護の魔術として王都が簡単な陣を作って広めたのだけれど、それは均一的で魔術師によっては使用する魔力が多く負担になることもあり、また周囲にある悪意を探知して無作為に反応するため狩りに殺気立っている冒険者達がお参りに来ても術が作動してしまっていたりした。
今回チリルさんが王都から派遣されてやってきたのは、そういった不都合を解消するためらしい。
「魔術師が一人だけだし魔力も少ないみたいだからァ〜、負担にならないような陣を作りますねェん。この土地の魔力も使いたいから色々調べるためにしばらくよろしくお願いしますゥ」
「ぃよっしゃァあああ!! いつまででも!!」
「どこ泊まってるんですか?! 夕飯一緒にどうですか!!」
「あーほらうるさい! 仕事に来てんだよ?! あっち行ってな!」
独身の冒険者だけでなく、既婚の人達もチリルさんをデレッとした顔で見ているので、同じ冒険者の奥さん達が頬を抓ったり耳を引っ張ったりしている。
チリルさんはしばらくトルテアに滞在してあちこちの様子を調査してから魔術陣を組み立てるらしく、森の奥に行くときは腕の立つ冒険者についていくようにとギルド所長であるガーティスさんが注意していた。春の陽気としばらく忙しかった反動でダラダラたむろしていた人達が急に仕事を探し始めているのが露骨である。
美人というのであればこの辺りではシシルさんがダントツだし隣街のテューサさんもキリッとして綺麗だ。だけどチリルさんは圧倒的にセクシーな色気を放っている。周囲の空気がピンク色に見えるほどだ。
すごい人が来たなぁと思って受付のカウンター越しに眺めていると、チリルさんがセクシーな歩き方でこちらへと寄ってきた。端からカウンターを回り、事務作業をするこちら側へと入ってくる。
「あの、こっち側は……」
「あなたが勇者フィカルね? 噂通りとォっても強そう」
止めようとした私の横をいい匂いを振りまきながらすり抜けて、この騒ぎの中でも相変わらずソファに座って黙々と読書をしていたフィカルの前でかがみ込む。思わずフィカルの傍に駆け寄ると、かがみ込んだチリルさんの真紅のローブの間から、バニーガールが着ているような黒いピッチリした服が見えた。ぼいんぼいんが服から零れそうなほど谷間を作っている。
思わずそのセクシーゾーンに釘付けになっていると、チリルさんが唇に人差し指を付けてにっこりと微笑む。
「ねェ、あたしと子作りしない? 気持ちヨくするわよォ〜」
「……!!!」
な、な、何言ってんだこの人ー!!
私が息を呑んで心のなかで叫んでいると、他の人が代弁するように色々と叫んでいた。
阿鼻叫喚の中で唯一フィカルだけが全く周囲を気にせずに本のページを捲っていたことが救いといえばそうかもしれない。
収拾がつかなくなりそうな中でなんとかコントスさんがその場を収めてチリルさんを案内するためにギルドを出て行く。それでもしばらく事務所の中は騒がしかった。
「マジかよフィカル……既婚者になってもお前は俺達から希望を奪うのか……ッ!」
「とんでもない女が来たね!! スミレ、あんなのに負けるんじゃないよっ!」
「なーなーこれってシュラバってヤツだろ? スミレ決闘すんのー?」
「子供らは早く帰りな!! ホラ手の空いてる奴らもさっさと仕事を済ますんだよ!」
見かねたギルドの肝っ玉母さんであるメシルさんが手を叩いて皆を追い立てると、ギルドがやっと仕事しやすい静かな環境に戻った。手続きや申請のために数人の冒険者だけが残っているけれど、私が応対すると気の毒そうな顔を向けてくるのがいたたまれない。
チリルさんの存在とその発言はあっという間にトルテアを駆け巡り、私は日が暮れて仕事が終わるまで非常に居心地悪く過ごすことになった。
夜、お風呂も夕食も済ませてペンを手に持つフィカルを横から真っ直ぐ見るように隣に椅子を持ってきて、私は神妙に切り出した。
「フィカル、チリルさんのこと……どう思った?」
フィカルが顔を上げてペンを置くと、テーブルの上で動くのは花瓶でおねむモードになっているアネモネちゃんだけになる。
こちらに顔を向けたフィカルは、私のことをじっとみて首を傾げる。
「何も思っていない」
「あそう……ですよね……でもほら、あの人、ホラ、ぼいんぼいんだったし……」
私は別に胸がないわけではないと思う。ただ、あんなにぼいんぼいんしたものを見せられると、誰だって相対的に小さく感じてしまう。
「フィカルのこと狙ってるっぽかったし……」
「殺気はなかった」
「そういう意味じゃなく……」
私とフィカルの結婚指輪はアズマオオリュウ謹製、私達に害意がある人達が近付けないようになっている。範囲は大体私達を攻撃できない範囲だとキルリスさんが言っていたので、昼間のあの距離なら射程範囲内だったと思う。だから悪事を働こうという気持ちは彼女にはなかったのだろう。
でもそれって逆に厄介なのでは、と私は思ってしまった。悪意なく堂々と子作りとか言ってしまうのはどうなのだろうか。しかも知らなかったとしても、フィカルは私と結婚しているのに。
星石の守護はとても重要な仕事である。チリルさんの仕事を邪魔する訳にはいかないし、それほどの仕事を任されるということは魔術師の中でも実力があるのだろう。キルリスさんの自分の身長より長い杖よりは短かったけれど、コントスさんの木刀くらいの大きさの杖よりは大きい。ということはチリルさんは少なくともコントスさんよりは魔力がある魔術師だということだ。
魔術師は魔術陣や調合などの技術が重要ではあるけれど、やはり魔力が実力に大きく関わっているものらしい。そういう凄い人なのだから、こんな初対面の印象で色眼鏡をかけるのはあまり良くないとは思うけれど。
考え込んでいると、フィカルが開きっぱなしだった本を閉じた。ふぅと息を吐いて私の脇に手を入れて持ち上げる。足が床から離れた私を持ち上げたままじっと見つめてそれから近付けて唇を合わせた。
しばらくそのままキスをして、私がフィカルの首に腕を回すとそのまま抱き上げる。ぽんぽんと背中を叩きながらフィカルは灯りを持って階段を登った。サイドテーブルに灯りを置くと私をベッドの上にそっと横たえさせる。そのままフィカルもベッドに乗り上げて、私の頭をよしよしするように撫でた。
慰めてくれているようだ。
「フィカル……」
しばらく慰められるがままにしていたけれど、段々手が耳をなぞって首筋をくすぐり鎖骨へと降りてくる。反対の手はパジャマの裾からなで上げるように入ってきて、お伺いを立てるキスがそっと降ってきた。
「き、昨日もしたのに」
「今日はしていない」
そういう意味ではないと思いつつも、私はフィカルに灯りを消すように頼む。フィカルは紺色の目を細めて少し表情を緩めた。
フィカルは明らかに「女房の妬くほど亭主もてもせず」の例から外れる旦那様だけれども、まあフィカルに限って浮気はないか。
一瞬だけ離れた手がまた熱心に私の肌を探り始めるのを感じながら私はそう思った。




